2014年4月11日金曜日

思い出が満ちたワインセラー by ジョナサン・アリス/「アンダーソンの中の人」のワインサイト寄稿記事・和訳とリンク

先日ふらふらと検索していて、ななんとジョナサン・アリスさんご本人(!)が寄稿した記事を発見してしまいました!しかも中国のワインニュースサイトのようです。いろいろびっくり!日付は2009年で、SHERLOCKより前。どういう経緯での寄稿かわかりませんが、ワインセラーにまつわるお父様の思い出のお話で、とても素敵だったので、勉強を兼ねてちまちま訳してみました。まだちょっと文がこなれてないところがありますが、よかったら。(けっこうまとまった長さで、ちょっとしたエッセイです。ごゆっくりどうぞ♪)

ちなみにお父様のベン・アリスさんも俳優さんで、こちらにまとめてお写真が。
aveleyman.com: Ben Aris (素敵!お鼻の形が似てますね)

(ワインはまったくの素人なので、ひたすらグーグル先生に頼りました。(^^;)出来る限り調べたつもりですが、解釈が不十分なところがあるかもしれないので、ソースのページにリンクを張っておきます)

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China Wine Innovation Association:
A wine cellar filled with memories By Jonathan Aris  (2009-11-9)
元ページはこちら。写真もそちらのものを拝借しました。
(ヒゲとメガネは素のデフォルトだったんですね♪)

"父が大切にしていたワイン・コレクションを受け継いで、
ジョナサン・アリスは夢中になれる趣味を見つけた"


思い出が満ちたワインセラー by ジョナサン・アリス


ワインは魔法の飲み物だ、と知ったのは子供の頃だった。父が特別な式服(昔の兵役で着たつなぎの作業着)を身にまとい、僕には触らせない魔法がかかった瓶を、居間の聖なる床下から掘り出すのをよく見たものだった。 コルクを抜いてデカンターに移す儀式にはずらりと並んだ秘密の道具が必要で、家中が固唾を呑んで静まりかえった。ピアノのうえから持ってきたアームつきのランプ(lamp)が、いけにえの子羊(lamb)のごとく犠牲を払い、上向きに捻じ曲げられる。その光は、瓶からデカンターへと細く滴り落ちる魔法の妙薬を照らし出す。一連の儀式がいったん始まったら、けっして邪魔をしてはいけない。さもなくば恐ろしい呪いが下るのだ。
だが、ワインが本当に非凡な芸当を演じるのはグラスのなかだった――それは生き物になる。僕の幼い目には、それはライビーナ(訳注・クロスグリから作られる濃縮果汁飲料の商品名)のように見えた。だが父は、「ボディ」や「ノーズ」や「レッグス」があると言う。そして奇妙な香りも。農家の庭のようなとか、灰皿や腐りかけた野菜のようなとか。最も不思議なのは、ワインは父の機嫌がどんなに悪かろうとその気分を変え、喜びを与えられることだった。

少し大きくなると、ワインが食卓に出ていれば一口飲めと誘われた。十代にはそれがグラスになり、父は僕の感想を聞いたものだった。父は僕にワインの知識を点滴みたいに少しずつ教え込んだ。そして僕は自分が飲んでいるものについて、ほんの少し、こっそりと学び始めた。
だがたくさん学びはしなかった。父はエキスパートだったから、僕がそうなる必要はなかったのだ。僕は少しずつ、家にあるワインが本当に逸品なのを理解した。1980年代のあるクリスマスに、僕は父がデカンターに移していた赤ワインのボトルが、普通の緑ではなく透明なのはなぜかと聞いた。父は、1940年代は戦争のせいで緑のガラスが不足してたんだ、と答えた。そのワインはシャトー・ラトゥールの1945年。途方もないヴィンテージで、素晴らしいワインだった。これが食卓を飾っていた家は、たぶん近所に多くはなかっただろう。

父は大量にワインを飲んだわけではなかった。日曜日のローストのお供に一本、そしてしばしば一週間飲まなかった。そして大金を費やしたわけでもなかった。職業俳優として、父とブドウの両方にとって良かった年にだけ、ワインを買っていた。この自然にできたフィルターが、豪華なワインセラーを作ったのだ。

当然のこととして、僕の味覚は贅沢に慣れた。高校や大学のパーティーで、ワインと称されていた液体の味は、僕にはバッテリー液みたいだった。それでも飲みはしたけれど(飲んだどころの話じゃない)、いつでも家に帰れば父が旨いのを開けてくれるんだ、と思っていた。
そして時は流れ、2003年、父は亡くなった。66歳だった。僕は33歳で、父親を失った息子のご多分にもれず、打ちのめされた。深い悲しみと混乱の静かな嵐が過ぎ去ると、母と妹(訳注・姉か妹か不明ですが、とりあえず。わかったら直しますね)と僕は、父が残した巨大な穴の周りに、人生を立て直し始めた。
妹は外国暮らしで、母はやるべきことで手が一杯だった。それでセラーいっぱいのワインは僕に降りかかってきた。突然僕は、秘蔵の瓶のどれをいつ開けるべきか、知る必要に迫られた。ダメになるまでほったらかしたり(想像もしたくない)、飲み頃になる前に開けたりしないように。

幸い、父は記録魔だった。晩年しぶしぶコンピューターを買って、ワイン専用のソフトを使い、コツコツとセラーの目録を作ったのだ。全ての瓶について、いつからいつまでが飲み頃かを。だがそこから最初の疑問が浮かんだ。これらの日付は更新していくべきなのか?父が今いて聞くことができたら、とどんなに思ったことか。500本かそこらある瓶のほとんどは、飲む前に何十年も寝かされていた。予想より早く、あるいは遅く熟成しているものがあるはずじゃないか?
僕は、父が一番信頼していた権威にあたった。ワイン協会、ヒュー・ジョンソン。そして父の流儀に反して、僕が知る限り父が決して参考にしなかった人物、アメリカ屈指のワイン評論家ロバート・パーカー。…その意見(と、悪名高き100点スコアシステム)は、望ましくない影響を及ぼしたかもしれない。しかしそのウェブサイトは、テイスティング・ノートと"drinking windows"のチェックに便利だった。(訳注・"drinking windows"は、ズバリと説明しているところを見つけられませんでした…ググってみて大雑把に「飲み頃」「飲み頃の期間」みたいな意味…?という感じがしたんですが、似た言葉のdrinking datesとどう違うのかよくわかりませんでした。詳しい方がおられたらぜひ教えてください!)

ワイン協会は、会員にだけ販売をする共同組合だ。原則的に非営利で運営されていて、この世は善人ばかりという象徴みたいな団体だ。どの価格帯でも慎重に選びぬかれたワインを提供してくれて、そのアドバイスは文句のつけようがない。
父は自分のワイン協会の会員資格を僕に遺贈して、会員枠を生かし続けることを望んでいた。父が死んだとき、協会の会長は、彼と委員会からのお悔やみと、僕を会員として歓迎するという個人的な手紙をくれた。こういうことは、スーパーマーケットでは手に入らない。

ジョンソンのポケット・ワイン・ブックは、世界中のワインの年刊ガイドだ。どのヴィンテージワインをいつ飲むべきかの助言まで入っている。妹はそれを、毎年クリスマスに父に買っていた。今は妻が僕に買ってくれる。

いつ飲むかを調べ終え、僕はどのように飲むかを学び始めた。最初のうちは、一口一口が厳粛な亡き父の記念にならざるをえなかった。そのあと極端に走り、僕はピザを食べながら1978年のシャトー・マルゴーを飲んだ。最近ではいいものは家族や友達と分け合って、大げさな儀式もファンファーレも抜きで、みんなが楽しむのを喜んでいる。

それでもなお、父のボトルの一本を開けることには、いつでも深い意味がある。僕にとってもっとも大切なのは、それが父の思い出を、さまざまなレベルで同時によみがえらせるということだ。たとえば1982年の瓶を開けるとこんなことを思う。これを買う45歳の父、12歳の僕、そして僕らの当時の関係、どんな役をやってこれを買ったのか、もし生きていたら今はどうなっていただろうか、などなど。まさに魔法の飲み物だ。

年をとるにつれて、僕は父がした良い仕事を受け継ぐことが楽しくなっている。未来に向けてセラーを満たしておくために、僕はワインを買い始めた。父のように。最良の年の最良のワインだけを買うよう自分をいましめている。だいたい手ごろな値段なら、ほんの少し新酒を(まだ樽のなかにあるうちに)買う。そして何十年かしまい込んでおく。父と僕の好みが重なったり、違ったりするのを見るのは興味深い。たとえば、僕らは二人ともシャトー・オー・ブリオンにぞっこんだ。だが、僕のドライリースリングへの浮気を、父が認めるかどうかは難しいところだ。僕は失敗を経験した。二、三本を飲む前に熟成させすぎたし、たぶん2003年のヴィンテージを買いすぎた。初心者がやりがちな間違いだ。でも僕は急速に学び、学習曲線は急なカーブを描いている。

書いている今、妻は僕らの初めての子供を身ごもっている。この子は僕の父を知ることは決してないが、確実に父のワインを飲むことになるだろう。それで充分だと思う。ところで、僕は決して飲むことがないかもしれないワインを寝かせている。2008年以降のヴィンテージが僕より長生きするかどうか、今年初めて先のことを計算した。最高のものは2050年まで飲めるはずで、その時僕は80だ。

新酒のワインを買う変わった方法の一つは、瓶詰めされる数年前に買うことだ。もちろん出荷もずっと先だ。父が最後に買ったのは1ケースのビュー・シャトー・セルタン2002年もので、死んでから二年後に配達された。それをセラーに横たえるのは、苦くて甘い体験だった。だけどこれ以上の記念品は僕には思いつかない。父は死んだかもしれないが、二、三百本の瓶の中で、今も立派に年をとっている。


ジョナサンのテイスティング・ノート

シャトー・ラトゥール1945年ものは今もおいしく飲める。(そして一本あたり2000ポンドか3000ポンドの格安)しかし素晴らしいポイヤックがより安価で楽しめる。

AvosVins softwareはセラーの目録作りと、いつワインが飲めるようになるかを追跡するのを助けてくれる。www.avosvins.caから、33ポンドくらいでダウンロード可能。購入前に試用できる無料版がある。

ワイン協会は40ポンドで生涯のメンバーシップを提供し、thewinesociety.comで買い物をする義務はない。

ロバート・パーカーのウェブサイトは年会費99ドル。erobertparker.com.をどうぞ。


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以上でした。

…奥が深いですねえ。ぜんぜん知らなかった世界なので、検索していていろいろびっくりでした。そういうものなんですね、ワインセラーって…。しかしロシア語ができてヴァイオリンが弾けてワイン通って…いくつ隠し球があるんでしょうこの方は!いかん、深くはまりそう…。(はまっても日本でチェックできるものがほとんどないというのがくやしいけど、まだまだこれからに期待です)

(息抜きで訳すつもりが、専門用語だの慣用句だの多くて、自分にとってはけっこうな力仕事になってしまいました。でも楽しかったです♪(もっと推敲したい~!(^^;))もしお気づきの点がありましたら、ご教示いただけたら幸いです)

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