2014/04/26

ナショナル・シアター・ライヴ『コリオレイナス』感想

はじめに

見てきました、ナショナル・シアター・ライヴ『コリオレイナス』マーク・ゲイティスが出ている、という理由で見に行ったミーハーですが(笑)、意外にも見ていて印象に残ったのは演出や上映形態の工夫でした。そのへん含めて、覚えている限りで書きだしてみました。またラストまで書いちゃってますので、これからご鑑賞の方はご判断下さい。

本編前にうまい導入の工夫があるので、予習なしでも大丈夫です。もともとシェイクスピアでもマイナーなお芝居ですし、若いファンがたくさん来ることが予想されるキャストですから、そういうアプローチになるのは自然でしょう。「わるい意味の敷居の高さ」はまったくありませんでした。個人的にはあまり予習「したくない」ほうなので(笑)、ゲイティス兄出演のニュースがあったときに(まさかあとで日本で見られるとは思わず)、同じ原作をレイフ・ファインズが監督・主演した『英雄の証明』を好奇心で見ていただけです。(ファインズ版はレビューがイマイチで、たしかにチープな印象でしたが、追放される場面をテレビスタジオにするなど、「現代版」のアイデアが面白く感じました。オーフィディアスがジェラルド・バトラー、母親役がヴァネッサ・レッドグレーヴなどキャストも豪華でした)戯曲はGutenbergの無料テキストで、映画の印象的だった台詞を拾い読みした程度でした。見た後に、上演版の脚本を買いました。(参照した脚本やサイトのリンクは末尾にまとめてつけておきますね)

今回の感想は各トピックを書き出して覚え書きをしたので、あまり全体がつながってません。リサーチも不十分なんですが、忘れないうちに印象を書き留めておきます。(一回見ただけでうろ覚えもありますので、そのへんはご了承下さい)

National Theatre Live: Coriolanus trailer (2)


全体・俳優さん

物語は、高潔さ・自らの信条への誠実さゆえに大衆と敵対する英雄の悲劇。政治とか大衆とか影響力がありすぎる母とか、いろんな要素がつまったお芝居でした。でもアタマより脊髄にくる引力は、主演の旬な人気俳優の肉体。これがお芝居の大黒柱としてどどんと立っていた気がします。トム・ヒドルストンて人は案外大柄で逞しい体つきなんですね。ゲイティス兄と並んで背がほとんど同じという長身。とくにファンではないんですが、この立派な肉体が血まみれになったり、本水浴びたりというインパクトはすごくて、それが引き立つ演出でした。大衆に票を乞うために、薄ものの粗末なトーガ一枚にさせられるところでは、体つきが透けて見えるようにライトを当てられてます。こういう要素ほんとに大切だな、とまじめに(笑)思いました。

ヒドルストンは若くて目が大きくて愛嬌がある顔つきなので、コリオレイナスの高潔な生硬さが、「大人の事情」に妥協できない若さとも見えてきます。これはもっと高い年齢の俳優では出ない雰囲気でしょう。(じっさい、普通はもっと年上の俳優が演じるらしい)母にほだされる場面なども、レイフ・ファインズと比べてもニュアンスが違いました。

見に行った目的だったマーク・ゲイティスは、主人公を息子のように愛してきた親友の貴族メニーニアス役。「老」メニーニアスとまで言われるし、「息子よ」と呼びかける台詞からしても、これも通常はずっと年上の俳優の役。メイクは目の下に色を入れている程度で、演技もたいして老け作りにはしていないので、見た目どおりの年齢差として演じられたものと思います。ゲイティス兄が見られたので文句はないですが(笑)、役としてはやはりもっと年のいった俳優のほうが合っていたと思います。「息子」の台詞は比喩として有効だけれど、後半コリオレイナスに拒否されるくだりは、老人であればもっと深い哀れさが出ただろうなあ、とちょっと思いました。でも別の情緒は出ていたので、これはこれとして出来上がっていたと思います。逆にいうと、コリオレイナスと年齢が近いメニーニアスだとこういうニュアンスになる、という珍しい例になるのかもしれません。

Donmar warehouse

このお芝居のもう一人の主役はこの劇場かもしれません。「Warehouse(倉庫)」という名の通り、元はバナナの倉庫だそうで、冒頭にバナナを運搬している古いモノクロフィルムが流れました
。客席は左右と前方にあり、狭くて高さのあるすりばち状の空間に見えました。舞台袖もカーテンもないです。飾り気のない空間が客席を含めて議場にもなり、戦いを見物するコロシアムのような場にもなります(この物語の時代はまだコロッセウムはなかったそうですが)。現代の壁の落書き(スプレーで文字がかかれたアレ)を模したという壁はラフで、お芝居全体のトーンを作っていました。

導入・人物・テーマ・文法

今回はナショナル・シアターのCMはなし。すぐに本編付属の導入映像が始まりました。
主演のトム・ヒドルストン、共演のマーク・ゲイティス、演出のJosie Rourke、衣装/美術のLucy Osborne(両方女性なんですね)らのコメントや、イメージ映像が入ります。言われているとおり、シェイクスピア劇のなかでもあまり知られていないタイトルだし、この導入部は必要だったと思います。「ローマ」と聞いて甲冑らしきものをつけた人物が出たら、ローマ帝国を想像することが多いと思います。でもこの芝居は帝国になる前の古代ローマの話。イタリアにたくさんの小国がある時代だと主演のヒドルストンが語ってくれます。おかげでこちらは、「ローマっぽい名前の人同士が戦争をしている」話にすんなりと入っていけます。主人公が傲慢で独裁的、同時に高潔さを持つ人物であることもあらかじめ教えてくれます。

物語は政治と議会も扱います。マーク・ゲイティスは現実の政治の場での印象的な出来事として、ロシアで発言中の人物に突然銃が向けられたエピソードを話し、その実際の映像も流れます。このお芝居が化石のような古典物でなく、近・現代にもあてはまるリアルなテーマを扱っていることが伝わってきます。

一番最初は、少年が出てきて床に血の色で大きな四角を描きます。出演者ほぼ全員が舞台エリアの奥に一列に座り、ライトの当たっているこの四角のなかに出てきて芝居をします。このお芝居全体の「文法」がここで設定されるんですね。待機中の俳優がそのまま後ろの壁の前(ライトは当たらない場所)に座っている、という演出が随所に入っていました。切り替えは基本的に暗転でしたが、見える状態で俳優たちが座っている椅子を持って移動したり、行進するように退場したり、という見せ方に、独特のリズムと力強さを感じました。


原作戯曲と字幕

Gutenbergからダウンロードした元戯曲は「コリオレイナスの悲劇」(The Tragedy of Coriolanus)というタイトル。ダイレクトに物語を表現しています。主人公は古代ローマの将軍マーシアス。タイトルになっている「コリオレイナス」は、コリオライという街を制圧した武勲に対して与えられた尊称。この栄誉を受けたところから、主人公は自分の本領である戦闘以外のこと、とりわけ本人が軽蔑している「大衆」に媚びることを強いられます。悲劇はここから展開していくので、「マーシアスの悲劇」というより「コリオレイナスの悲劇」なんですね。

導入部も含めて、「シェイクスピア劇」「古典」という意識なしに入り込める作りでした。扱われているのはどの時代にも通じる話で、演出も現代的です。(もちろん、英語圏の方は言い回しの古臭さを味わえるのでしょうけれど。でも字幕は現代語ですので、普通の映画と同じ感覚でした。文字の欠けや変換ミスがちょっと多かったのが残念かな…あと、タイミングも。間に沈黙が挟まる台詞が一つの字幕で書かれていて、数秒出っ放しなこととかあって。次の台詞が目に入ってしまうのがちょっと興ざめでした)


大衆

始まりは食料不足から起こる市民のデモ。この大衆というものを、マーシアス(のちのコリオレイナス)は軽蔑しています。彼にとっては、戦いもせずにすごしている者たちは、元老院に要求などする資格がない。イマドキには流行らない考えですが、彼の台詞はいちいち的を得ていて、反民主的でありながら共感も覚えました。

コリオライ征圧で栄誉を得て「コリオレイナス」になったマーシアスは、気乗りのしない執政官選挙に出て、市民の票を乞うよう強制されます。ここで彼は市民への軽蔑を隠せません。コリオレイナスの言い分は高潔である意味筋が通っていて、それでいて反民主的。大衆の権利を否定します。それが反感を買い、英雄転じてローマから追放されることになります。この過程は、本当に今でもいろんなところで見られる構図。(皮肉にも、政治の例は思い出せないけど…)

オーフィディアス

ローマと敵対し、たびたび戦闘しているヴォルサイ人の将軍オーフィディアス。ローマから追放されたコリオレイナスは、殺される覚悟でこの敵将を訪ね、敵の軍を率いてローマを攻めようとします。この二人の「絆」は特別なもので、強敵であるがゆえに相手を認めているという萌え構図。それにしても熱烈なものがあります。唇にキスまでするのは今の目では強烈。(昔だとわりとあるのかも?)これも官能性とナラティヴが手をとって相乗効果をあげている好例。腐属性にはもう鼻血ものです。(なぜかこういうシチュエーションはゲイという設定より萌えるんですよねえ…)


ローマを攻撃することをやめて、和睦をはかってほしいと頼みに来る母。元は武勲を重んじて、戦場で息子の体に傷が増えるのを勲章のように喜び、誇っていた「強い」母親。コリオレイナスが母に折れて和睦すると言ったとき、この母親は愕然とした顔をします。それで息子がどうなるか、その時予想がついたかのようです。


血だまりと鎖

ラスト、コリオレイナスは殺されますが、このシーンがじつに印象的にできていました。これもこの劇場ゆえの演出かなあ…。縦に長い空間に、コリオレイナスは鎖でさかさまに吊るされます。喉(?後ろ向きなので見えませんが)を掻き切って噴き出すコリオレイナスの血を浴びながら、オーフィディアスが最後の台詞を言います。コリオレイナスによって夫や子供を殺された人々も、彼の高潔さを忘れないだろう、という台詞。じつにビジュアルが強烈でした。(オーフィディアスは血をうまく浴びるために、位置を微調整するのがたいへんそうでしたが(笑)。もう少し高く吊るせなかったのかな)

コリオレイナスが吊るされた鎖とその下にできた血だまりは、うろ覚えですが、カーテンコール(カーテンはないけれど)のあと、(映像内の)観客の退場中もそのまま置かれて、しかもライトが当たっていたと思います。(上映用にそう編集されたのでなければ)。これがとても雄弁で、ほんとに印象的でした。

(ラストの演出については、じつは事前におおらかなネタバレがありました。たまたま今週初めに放映された『トップギア』のゲストが、このお芝居を上演中のトム・ヒドルストンだったんです。で、MCのジェレミー・クラークソンが、ジョークの前フリで「吊るされて血まみれになるそうだけど」とあっさり…ヒドルストンは「スポイラーだ」と苦笑してました。まあカットされてなかったということはOKなのかな?(笑))

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ばらばらな覚え書きでまとまりませんが、とりあえずこんな感じでした。(ほんとにメモですみません。スパコミ追い込み中なので☆(^^;))

上演脚本がAmazonで販売されていたので、昨夜kindle版を買いました(劇場でのパンフ的なものは今回もなし)。元の戯曲を今回の上演用に編集・短縮したものだそうで、台詞は見た限りでは元のテキストに忠実。でも古い単語が今の単語に替えられてるところもありました。(少なくともhaue→haveになっている箇所はありました)。前にダウンロードしたGutenberg版は当然ながら旧式で、役名の表記法もわかりにくかったので、こちらのほうが参照しやすく感じます。中にキャストやスタッフ一覧、初演情報なども入っています。



無料のGutenberg版はこちらからダウンロードできます。
(上演脚本はこれを編集したものです)
The Tragedy of Coriolanus by William Shakespeare (Gutenberg)



今後の上映作品などはこちら。


2014/04/11

思い出が満ちたワインセラー by ジョナサン・アリス/「アンダーソンの中の人」のワインサイト寄稿記事・和訳とリンク

先日ふらふらと検索していて、ななんとジョナサン・アリスさんご本人(!)が寄稿した記事を発見してしまいました!しかも中国のワインニュースサイトのようです。いろいろびっくり!日付は2009年で、SHERLOCKより前。どういう経緯での寄稿かわかりませんが、ワインセラーにまつわるお父様の思い出のお話で、とても素敵だったので、勉強を兼ねてちまちま訳してみました。まだちょっと文がこなれてないところがありますが、よかったら。(けっこうまとまった長さで、ちょっとしたエッセイです。ごゆっくりどうぞ♪)

ちなみにお父様のベン・アリスさんも俳優さんで、こちらにまとめてお写真が。
aveleyman.com: Ben Aris (素敵!お鼻の形が似てますね)

(ワインはまったくの素人なので、ひたすらグーグル先生に頼りました。(^^;)出来る限り調べたつもりですが、解釈が不十分なところがあるかもしれないので、ソースのページにリンクを張っておきます)

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China Wine Innovation Association:
A wine cellar filled with memories By Jonathan Aris  (2009-11-9)
元ページはこちら。写真もそちらのものを拝借しました。
(ヒゲとメガネは素のデフォルトだったんですね♪)

"父が大切にしていたワイン・コレクションを受け継いで、
ジョナサン・アリスは夢中になれる趣味を見つけた"


思い出が満ちたワインセラー by ジョナサン・アリス


ワインは魔法の飲み物だ、と知ったのは子供の頃だった。父が特別な式服(昔の兵役で着たつなぎの作業着)を身にまとい、僕には触らせない魔法がかかった瓶を、居間の聖なる床下から掘り出すのをよく見たものだった。 コルクを抜いてデカンターに移す儀式にはずらりと並んだ秘密の道具が必要で、家中が固唾を呑んで静まりかえった。ピアノのうえから持ってきたアームつきのランプ(lamp)が、いけにえの子羊(lamb)のごとく犠牲を払い、上向きに捻じ曲げられる。その光は、瓶からデカンターへと細く滴り落ちる魔法の妙薬を照らし出す。一連の儀式がいったん始まったら、けっして邪魔をしてはいけない。さもなくば恐ろしい呪いが下るのだ。
だが、ワインが本当に非凡な芸当を演じるのはグラスのなかだった――それは生き物になる。僕の幼い目には、それはライビーナ(訳注・クロスグリから作られる濃縮果汁飲料の商品名)のように見えた。だが父は、「ボディ」や「ノーズ」や「レッグス」があると言う。そして奇妙な香りも。農家の庭のようなとか、灰皿や腐りかけた野菜のようなとか。最も不思議なのは、ワインは父の機嫌がどんなに悪かろうとその気分を変え、喜びを与えられることだった。

少し大きくなると、ワインが食卓に出ていれば一口飲めと誘われた。十代にはそれがグラスになり、父は僕の感想を聞いたものだった。父は僕にワインの知識を点滴みたいに少しずつ教え込んだ。そして僕は自分が飲んでいるものについて、ほんの少し、こっそりと学び始めた。
だがたくさん学びはしなかった。父はエキスパートだったから、僕がそうなる必要はなかったのだ。僕は少しずつ、家にあるワインが本当に逸品なのを理解した。1980年代のあるクリスマスに、僕は父がデカンターに移していた赤ワインのボトルが、普通の緑ではなく透明なのはなぜかと聞いた。父は、1940年代は戦争のせいで緑のガラスが不足してたんだ、と答えた。そのワインはシャトー・ラトゥールの1945年。途方もないヴィンテージで、素晴らしいワインだった。これが食卓を飾っていた家は、たぶん近所に多くはなかっただろう。

父は大量にワインを飲んだわけではなかった。日曜日のローストのお供に一本、そしてしばしば一週間飲まなかった。そして大金を費やしたわけでもなかった。職業俳優として、父とブドウの両方にとって良かった年にだけ、ワインを買っていた。この自然にできたフィルターが、豪華なワインセラーを作ったのだ。

当然のこととして、僕の味覚は贅沢に慣れた。高校や大学のパーティーで、ワインと称されていた液体の味は、僕にはバッテリー液みたいだった。それでも飲みはしたけれど(飲んだどころの話じゃない)、いつでも家に帰れば父が旨いのを開けてくれるんだ、と思っていた。
そして時は流れ、2003年、父は亡くなった。66歳だった。僕は33歳で、父親を失った息子のご多分にもれず、打ちのめされた。深い悲しみと混乱の静かな嵐が過ぎ去ると、母と妹(訳注・姉か妹か不明ですが、とりあえず。わかったら直しますね)と僕は、父が残した巨大な穴の周りに、人生を立て直し始めた。
妹は外国暮らしで、母はやるべきことで手が一杯だった。それでセラーいっぱいのワインは僕に降りかかってきた。突然僕は、秘蔵の瓶のどれをいつ開けるべきか、知る必要に迫られた。ダメになるまでほったらかしたり(想像もしたくない)、飲み頃になる前に開けたりしないように。

幸い、父は記録魔だった。晩年しぶしぶコンピューターを買って、ワイン専用のソフトを使い、コツコツとセラーの目録を作ったのだ。全ての瓶について、いつからいつまでが飲み頃かを。だがそこから最初の疑問が浮かんだ。これらの日付は更新していくべきなのか?父が今いて聞くことができたら、とどんなに思ったことか。500本かそこらある瓶のほとんどは、飲む前に何十年も寝かされていた。予想より早く、あるいは遅く熟成しているものがあるはずじゃないか?
僕は、父が一番信頼していた権威にあたった。ワイン協会、ヒュー・ジョンソン。そして父の流儀に反して、僕が知る限り父が決して参考にしなかった人物、アメリカ屈指のワイン評論家ロバート・パーカー。…その意見(と、悪名高き100点スコアシステム)は、望ましくない影響を及ぼしたかもしれない。しかしそのウェブサイトは、テイスティング・ノートと"drinking windows"のチェックに便利だった。(訳注・"drinking windows"は、ズバリと説明しているところを見つけられませんでした…ググってみて大雑把に「飲み頃」「飲み頃の期間」みたいな意味…?という感じがしたんですが、似た言葉のdrinking datesとどう違うのかよくわかりませんでした。詳しい方がおられたらぜひ教えてください!)

ワイン協会は、会員にだけ販売をする共同組合だ。原則的に非営利で運営されていて、この世は善人ばかりという象徴みたいな団体だ。どの価格帯でも慎重に選びぬかれたワインを提供してくれて、そのアドバイスは文句のつけようがない。
父は自分のワイン協会の会員資格を僕に遺贈して、会員枠を生かし続けることを望んでいた。父が死んだとき、協会の会長は、彼と委員会からのお悔やみと、僕を会員として歓迎するという個人的な手紙をくれた。こういうことは、スーパーマーケットでは手に入らない。

ジョンソンのポケット・ワイン・ブックは、世界中のワインの年刊ガイドだ。どのヴィンテージワインをいつ飲むべきかの助言まで入っている。妹はそれを、毎年クリスマスに父に買っていた。今は妻が僕に買ってくれる。

いつ飲むかを調べ終え、僕はどのように飲むかを学び始めた。最初のうちは、一口一口が厳粛な亡き父の記念にならざるをえなかった。そのあと極端に走り、僕はピザを食べながら1978年のシャトー・マルゴーを飲んだ。最近ではいいものは家族や友達と分け合って、大げさな儀式もファンファーレも抜きで、みんなが楽しむのを喜んでいる。

それでもなお、父のボトルの一本を開けることには、いつでも深い意味がある。僕にとってもっとも大切なのは、それが父の思い出を、さまざまなレベルで同時によみがえらせるということだ。たとえば1982年の瓶を開けるとこんなことを思う。これを買う45歳の父、12歳の僕、そして僕らの当時の関係、どんな役をやってこれを買ったのか、もし生きていたら今はどうなっていただろうか、などなど。まさに魔法の飲み物だ。

年をとるにつれて、僕は父がした良い仕事を受け継ぐことが楽しくなっている。未来に向けてセラーを満たしておくために、僕はワインを買い始めた。父のように。最良の年の最良のワインだけを買うよう自分をいましめている。だいたい手ごろな値段なら、ほんの少し新酒を(まだ樽のなかにあるうちに)買う。そして何十年かしまい込んでおく。父と僕の好みが重なったり、違ったりするのを見るのは興味深い。たとえば、僕らは二人ともシャトー・オー・ブリオンにぞっこんだ。だが、僕のドライリースリングへの浮気を、父が認めるかどうかは難しいところだ。僕は失敗を経験した。二、三本を飲む前に熟成させすぎたし、たぶん2003年のヴィンテージを買いすぎた。初心者がやりがちな間違いだ。でも僕は急速に学び、学習曲線は急なカーブを描いている。

書いている今、妻は僕らの初めての子供を身ごもっている。この子は僕の父を知ることは決してないが、確実に父のワインを飲むことになるだろう。それで充分だと思う。ところで、僕は決して飲むことがないかもしれないワインを寝かせている。2008年以降のヴィンテージが僕より長生きするかどうか、今年初めて先のことを計算した。最高のものは2050年まで飲めるはずで、その時僕は80だ。

新酒のワインを買う変わった方法の一つは、瓶詰めされる数年前に買うことだ。もちろん出荷もずっと先だ。父が最後に買ったのは1ケースのビュー・シャトー・セルタン2002年もので、死んでから二年後に配達された。それをセラーに横たえるのは、苦くて甘い体験だった。だけどこれ以上の記念品は僕には思いつかない。父は死んだかもしれないが、二、三百本の瓶の中で、今も立派に年をとっている。


ジョナサンのテイスティング・ノート

シャトー・ラトゥール1945年ものは今もおいしく飲める。(そして一本あたり2000ポンドか3000ポンドの格安)しかし素晴らしいポイヤックがより安価で楽しめる。

AvosVins softwareはセラーの目録作りと、いつワインが飲めるようになるかを追跡するのを助けてくれる。www.avosvins.caから、33ポンドくらいでダウンロード可能。購入前に試用できる無料版がある。

ワイン協会は40ポンドで生涯のメンバーシップを提供し、thewinesociety.comで買い物をする義務はない。

ロバート・パーカーのウェブサイトは年会費99ドル。erobertparker.com.をどうぞ。


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以上でした。

…奥が深いですねえ。ぜんぜん知らなかった世界なので、検索していていろいろびっくりでした。そういうものなんですね、ワインセラーって…。しかしロシア語ができてヴァイオリンが弾けてワイン通って…いくつ隠し球があるんでしょうこの方は!いかん、深くはまりそう…。(はまっても日本でチェックできるものがほとんどないというのがくやしいけど、まだまだこれからに期待です)

(息抜きで訳すつもりが、専門用語だの慣用句だの多くて、自分にとってはけっこうな力仕事になってしまいました。でも楽しかったです♪(もっと推敲したい~!(^^;))もしお気づきの点がありましたら、ご教示いただけたら幸いです)

2014/04/02

公式サイトリンク備忘録(ナショナル・シアター・ライヴ日本サイト、ワールズ・エンド、SHERLOCK 3、サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド)

ええと、やっとナショナル・シアター・ライヴの日本の公式ページを見つけたので、ついでに自分のメモとして公式ページ類のリンクを。どこかでお役にたてばサイワイです。

ナショナル・シアター・ライヴ2014

日本での公式ページ。ここを見れば最新情報わかりますね♪マーク・ゲイティス兄ご出演の『コリオレイナス』間近で楽しみですー♪…ほかのも全部見たい…❤…ヘレン・ミレン様はもちろんとして、年末の『オセロー』『華麗なるペテン師たち』エイドリアン・レスター(追記・「マーク・レスター」と間違えてました!(>_<)えらい違いだよ自分!(笑))が出るんですね。タイトルロールのムーア人役、一昔前は白人俳優さんが顔を黒く塗ってやってましたが、ホンモノの黒人さんのやることが増えましたね。

この『オセロー』(の、たぶんイアーゴー役?)と、一つ前の『ハムレット』のハムレット役をやるローリー・キニアさんも見覚えが…たしかマーク・ゲイティス脚本・出演の『The First Men in the Moon』にも主演していた方です♪(あ、見てみたら『007スカイフォール』マーティン・フリーマンも出た『ターゲット』にも出ておられますね(^^;)…すいません)

来年も再来年も続いてほしい…しかし短いなあ上映期間が…(一週間もないじゃないか…!(^^;))


ワールズ・エンド 酔っ払いが世界を救う!

いよいよ来週公開ですね。マーティンニッペグもみられるエドガー・ライトの新作♪試写会ですでに見た方のお話を伺ってもう楽しみでたまりません♪


SHERLOCK 3

ついでにNHK公式ページを。ほかでずっとジョナサン・「アリス」と表記されてたアンダーソンの中の人が、ここではジョナサン・「エイリス」になってたので、今後どっちに合わせよう…と悩み中。(^^;)しかしこーんなにきちんとキャラ紹介があって嬉しい♪(いやもう、絶対S3放映後は増えますよアンダーソンファン。ミニエピソードとDVDでコロリと転んだ自分がいい例です…(笑))NHKは『奥さまは首相』も放映していたので、大々的に応援してほしい…(『首相』再放送とか…(笑))


サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド

アンダーソン(違)つながりということで、ジョナサン・アリスさん(こちらはこういう表記(^^;))出演作の公式ページ。(タイトル何かと思ったら「観光客」なので「サイトシーアーズ」ですね。語感で縮めたのかな)3月にDVDがリリースされたばかりですが、いやもう、アンダーソンファンは必見!です!ヒゲ・めがねで萌え萌え!七分ほどで消えますが(笑)消え方もおいしい。これは改めてきちんと感想書きたいです☆(先日の薄本ではエドガー・ライト監督作と書いてしまいましたが、制作総指揮の間違いでした。ごめんなさい!監督名より目立ってたのであっさり誤解しました…。(^^;)ワールズ・エンドと時期重なってるのにどーやって撮ったんだ…とか思ってやっと確認。スミマセン!)