いやー、もう最高、最高、最高。1991年の
スティングのLAでのバースデーライブ。先日BSで放映されました。
NHK洋楽倶楽部 スティング・伝説のライブin LA ~40th バースデー・セレブレイション~
特にラストを以前見た記憶があって、たしか「ハリウッド・ボウル」という会場名もこれで覚えました。当時放映されたんでしょうね。衣装や曲のアレンジも見覚え・聞き覚えがありましたけれど(でもこれは日本でのライブも同じだったのかも)、最後のド派手なファイアーワークが記憶通りだったのでほっとしました。うっかりツイッターで記憶を頼りにつぶやいてしまったのですが、最近記憶が入り交じってねつ造記憶になってることがあるので。(笑)終盤近くにちょっとしたサプライズもあるので、詳細はこれから見る方のために伏せておきますね。(まだ
NHKオンデマンドで見られます)
ここからは個人的なファントークになるのでお許しください。スティング、洋楽で唯一好きなミュージシャンで、洋楽でというか、「歌の入った音楽」はあまり聴かないので、CDが出るたびに必ず買った、というのはこの人くらいです。(あとは一時期の聖飢魔Ⅱ(笑))このライブの頃、二十代前半だった自分にとっては、スティングの曲は
「聴くと正気に戻れる」音楽でした。なんか人様と接するときって精神的に仮面をかぶるじゃないですか。彼の曲を聴くとそれを外せて、自然な自分の感覚になれるというか。まあその年代ですからいろいろあったんですよね。電車のなかで聴いていて泣いてしまったこともあります。ああ、恥ずかしい。(笑)
友達が何かのサウンドトラックを「カセットテープに」(笑)ダビングしてくれたとき、「これいい曲だから聴いてみて」とついでに入れてくれた
『ラシアンズ』がきっかけではまりました。たぶんアルバム
『ナッシング・ライク・ザ・サン』が出たばかりの頃だと思います。歌詞が聞き取れたわけではないので、サウンドで充分やられました。
それから歌詞を知ってより深くはまり、しばらくして別の友達に見せてもらった
「プロモーションビデオ」なるもの(当時そんなものがあるとは知らなかった(笑))でご本人の姿を見たらこれまたかっこよくてラッキーでした。(笑)でも最初に教えてくれた友達はそれきり邦楽の某デュオのファンになり、ビデオを見せてくれた別の友達も引っ越してしまい、その後ずっと身の回りにスティングを聴いている人はいませんでした。だから「世の中ではメジャーだ」という感覚がなく、ライブも一人で行っていて、「こんなにファンがいるのか」と驚いたくらいでした。(笑)ライブに行っていたのは『ナッシング・ライク・ザ・サン』から『ブラン・ニュー・デイ』のあたりまで。その後曲のジャンルが変わるにつれて距離ができて、最近は聴くとしても昔のCDでした。
曲はやはりその頃の、ジャズとロックが混ざったような感じが好きで、詞と相俟ってすごく美しいし、おこがましいかもしれませんが、自分にとって「しっくりくる音楽」であります。(もちろん多くの方にとってもそうだと思います)
歌詞の隠喩表現も魅力です。最初はもちろん訳詞を読んでいましたが、そのうち少しずつ原詞のほうも辞書をひいて読み合わせ、すべてではありませんが、キリスト教モチーフの意味付けなども補完して味わうようになりました。思えば曲がりなりにも
英語を詩的に味わう、ということを覚えたのは、スティングの歌詞からかもしれません。直訳っぽい表現をかっこよく感じる、という感覚も、当時読んだ訳詞が影響しているかも。それから、
ラブソングのテーマはうまくいかない恋愛や失恋のほうがいい曲になりやすい、という意味のことを言っていたのも覚えています。これ、ポップミュージックに限らないことのような気がしますね。(笑)
同じ曲がアレンジや演奏するときの演出で違う意味にとれる、という醍醐味も、この方のライブで体験しました。たとえば
『ウィル・ビー・トゥゲザー』という曲。日本ではビールのCMでも使われたので、ある世代以上の方は無意識のうちに聞き覚えがあると思います。歌詞は「君と僕と赤ん坊」、と出てくるので「We」は家族であり、
『セット・ゼム・フリー』の一部――「誰かを愛してるなら(そいつを自由にしてやりな)」――を一瞬引用してから続く「今夜僕らは一つになる」のリピートは、別の意味のラブソングのニュアンスでも聴けるのですが、これが黒人と白人の意味で「今夜僕らは一つになる」という大合唱になったこともありました。今回放送されたライブでは、またストレートなラブソングに聞こえました。
驚いたのが
『ホワイ・シュッド・アイ・クライ・フォー・ユー』。大好きな曲なんですが(というか、この時代のアルバムは好きな曲ばかりで、驚くことに
捨て曲がまったくないのです!)、この方、
壮大でちょっと幻想的な情景・風景を
ラブソングに織り込んでイメージを広げるのがお得意な方なので、ずっとそのタイプの「ラブソング」だと思っていました。で、タイトルになってる部分は
Why should I cry for you?
なぜ僕が 君を求めて泣かなければならないんだ?
…という感じで聴いていました。ところが、今回歌う前に
「今日こられなかった(亡くなった)両親に」と言い添えたことで意味が変わりました。
Why should I cry for you?
なぜ僕は あなたを求めて泣くのだろう?
cry for(「あなたに向かって/あなたを求めて 泣き叫ぶ」)が、子供がそこにいない親を求めて泣くイメージと重なりました。同時にいい大人が親に対して、今まで疎遠だったのに(親が死んだあとの)今になってなんでこんなに恋しいんだろう、というような。曲の見事な変容です。
I loved you in my fashion
僕なりに 君を/あなたを 愛してたんだ
も対象が違うとニュアンスが変わって……なんとも得難い体験でした。
もともとこれが入っていた
『ソウル・ケージ』は父親の死の直後のアルバムなので、そういうベースがあったのかもしれません。しかし
二十数年間持っていたイメージがガラッと変わった瞬間は衝撃的で、感動的でもありました。
ライブを見始めて一曲目でもう「ああ、この曲についてブログに書こう」と思ったんですが、それが曲が変わるたびにそう思うんですよ。(笑)なんかえんえんと書いていられますが、きりがないのでやめておきます。しかし見ていて途中からぼーっとしてきてしまって。体調が悪かったのもあるんですが、この時のスティングの年齢をはるかに越えてしまったことをしみじみ感じました。踊ったりはしないタイプのライブですが、かなり消耗すると思います。体力あるなあ、さすがに。
でも、一度日本公演で風邪をひいて(?)まったく声が出てなかったことがあって、ファンながら「金返せ」と思ったことを思い出しました。たしかそのあとの公演はキャンセルになって、当時の写真週刊誌に露天風呂に浸かってる写真が載って、「ハダカになってごめんなさい」的なキャプションがついていたと思うのですが……謝罪にしてはずいぶんオレ様な写真だなあ、と思った覚えがあります。(笑)
…で、新譜の宣伝もしっかりされているのですが、「今のスティング」が……相変わらずかっこいいものの、すごく愛想のいいおじさんになってるのがちょっと印象的でした。とんがってないというか、一杯入ってるのか? と思ったくらい。(笑)あと五年で70だそうで、その時にまだ演奏活動をしていたい、と語っていました。70歳のバースデーライブ、ほんとに見てみたいです。