2023/11/25

1ドルコンサートと馬車道散策(喫茶と古本♥)

暑さで半病人だった夏の仇をとるように、あまりお金のかからない文化イベント参加が続いております。ついでに喫茶や古書店巡りを楽しんだので、思い出を交えつつ、その半日の記録です。

【目次】 
  • ワンコインでパイプオルガン  
  • SF感とパシフィコ・ワールドコンの思い出
  • 馬車道と馬車道十番館
  • イセザキモール~黄金町へ

ワンコインでパイプオルガン  

コンサートはこれまた図書館にチラシがあったもので、11/22にみなとみらいホールで開催された「オルガン・1ドルコンサート」100円でパイプオルガンの生演奏が聴けるという、「節約モードで文化に飢えてる者(笑)」にはありがたい催しです。じつは昔、生け花の講座でいっしょだったおばさまに教えていただき、何度か足を運んだことがありました。(一緒に行こうではなく「ワンコインで聞けるのよ」と情報をいただいて、一人で行きました。当時の自分には適度な距離を保ってくれる「程の良さ」がありがたかった☆)あの頃は毎週やっていたと思いますが、今は年数回のようです。現在は1ドル100円では釣りあいませんが、100円切っていた頃もありましたもんね。輸入DVDなんかが買いやすかったなぁ……(遠い目)

オルガン・1ドルコンサート
2023年度 ラインアップ

(↑現在、来年春くらいまでの予定が掲載されています)



みなとみらいホールは、昔ジェリー・ゴールドスミスのコンサートを聴いた思い出深い場所でもあります。特に覚えているのが『オーメン』のOPになってる悪魔の讃美歌で、生の合唱が圧巻でした。(もちろん自分は内容が聞き取れませんが、ほんとに悪魔を称える讃美歌になってるそうで、キリスト教圏ではなかなか演奏できない貴重な演目だと聞きました)ご病気でご本人は来られず、お見舞いの寄せ書きをするコーナーがあったように思います。その少しあとに亡くなってしまいました。

今回は耳馴染のない曲ばかりでしたが、照明の演出もあってオルガン自体のビジュアルも迫力満点。30分のコンサートながら別世界に連れて行ってもらいました。音色を聴きながら、唐突に思い出したのが『さらば宇宙戦艦ヤマト』の白色彗星のテーマ。パイプオルガンだったんですよね。あれを思い出しました。お里が知れますね(笑)。

その「白色彗星」のテーマみたいに不穏で重厚なのから、荘厳で神聖なの、可愛らしいのまで、いろんな音色を聴かせてもらいました。パイプオルガンて一台でオーケストラみたいな厚みのある演奏が聴けるなあ、としみじみ思いました。ここのオルガンは「ルーシー」という名前があって、「25歳になった」そうです。

100円でもきちんとした客席案内係さんがいて、アナウンスも丁寧。「上質な空間でもてなされている」雰囲気も一緒に楽しめました。慌ただしい日常からしばし切り離されて、なんかほっとするひとときでした。


直結のクイーンズスクエアには巨大なクリスマスツリーが。
平日のせいか比較的人が少なくていい感じ。


SF感とパシフィコ・ワールドコンの思い出


クイーンズスクエアからさらに奥で直結しているパシフィコ横浜は、2007年にワールドコン(世界SF大会)が行われたところです。懐かしいのでちょっと通路まで行ってみました。ファンジンアレイに出展させていただいたり、テッド・チャンさんのインタビュー企画を見に行ったりした思い出があります。それまで以上にファンになったのはあれがきっかけでした。その後ほとんど来ていないので、いまだにその時にタイムスリップする感覚があります。

(当時自サイトに書いたレポートをアーカイブに残しているので、ご興味のある方はどうぞ。>Nippon 2007 ワールドコンレポート ところどころ添えてる拙い英語キャプションはご容赦を。十数年前の精一杯です(^^;)



クイーンズスクエアからパシフィコ横浜への通路。
ワールドコンの数日間毎日通った思い出がよみがえります…。


通路から観覧車を臨む。
たしかここから夜景を撮ったと思います。

話が前後しますが、みなとみらい駅は地下鉄駅改札を出て、長いエスカレーターでクイーンズスクエア・みなとみらいホールへの通路に直結していて便利。帰りはもちろん逆向きに降ります。

長い直結エスカレーターからの眺望。
大きな吹き抜けになっています。


この未来感がたまらない。吹き抜けから地下鉄のホームまで見えます。写真に撮らなかったスクエア側の壁面に、詩か何かのレリーフもある。非日常を感じる空間です。


馬車道と馬車道十番館


みなとみらい線で一駅移動して馬車道へ。あまり使ったことがないけどここも駅の中にカモメの鳴き声を流していたり、構内のイメージカラーがレンガ色だったりで素敵な非日常。通勤したら慣れてしまうだろうけど。

…そういえば「馬車道」と「伊勢佐木町」を区別できるようになったのは最近で、子供の頃から「ばしゃみち」「かんない」「いせざきちょう」はだいたい脳内で同じものです(笑)。身内ではイセザキモールの延長線上は馬車道から黄金町近くまで一緒くたになっていて、馬車道にあるお店でも「伊勢佐木町の…」と話してたりします。(厳密には町名違います(笑))一本で雰囲気がえらく変わっていく道。昔は大きな映画館があって、雰囲気が好きでよく行きました。なくなったのは本当に残念です。



県立歴史博物館。いつもと反対側から見る側面パース。


じつは『横濱の喫茶店』というムックで目をつけた馬車道十番館公式サイト)の喫茶室が目的でした。こんなに通ってるのに行ったことがないので。見つけるまでに苦労しました。馬車道添いではなく一本奥なんですね。参照した地図の方位がまちまちで、行ったり来たりしてしまいました。

満席で、受付で名前を言って少し座って待ち、二組目で入れました。そうそう、ビスカウトはここが作ってるのでした。待ってる間目の前で物色してるおばさんがいたのでお土産にと考えましたが、家では「馬車道の行きつけの安い店で昼を食べる」と話したし(つまりここに来たのは秘密(笑))、母がダイエット宣言もしてるので購入はやめることに。

内装にステンドグラスのある内装写真に惹かれたのですが、入ってみると意外に狭い。よく見る写真は二階からで、撮り方がうまいですね。狭いけど吹き抜けなので頭上に解放感があり、内装は壁の白と木部のこげ茶がベースで落ち着きます。古そうな絵がかかっているのもまた素敵。

メニューはコーヒーだけで800円超えでビビりましたが、自分にご褒美なので(笑)。ムックで紹介されていたご飯ものはハッシュドビーフでしたが、パンものが食べたくてクロックムッシューとブレンドを頼みました。

念願の馬車道十番館。ブレンドが来たところ。
テーブルは低めで足が組めなかったです。(笑)


ブレンドコーヒーは座席で注いでくれるスタイル。液体のクリーム(ミルク?)のほかにホイップクリームらしき濃厚なクリームも来てびっくり。デフォルトでウインナコーヒーなんですね。贅沢な気持ちになりました。美味しかったです♥

座席で注ぐスタイルということはもしやおかわり可?……と思ったのですが聞く勇気はなく(笑)、今ググったらモーニングだと一杯おかわりできるらしいです。12時までやってるそうなので、次回はモーニング狙いで行ってみます。(モーニング大好き♪)



奥に見えてる暖炉の上には、「鏡の前に花」のテクニック。
半円状に生けてラウンドに見せ、空間の奥行も出ますね。
ステンドグラスも撮ればよかったな。

頼んでから「手が汚れそうなものを頼んじゃったなあ…」と思いましたが、持ちやすいサイズに切り分けられていてさすがの気配り。高いお店はこういうところが違うのね。あと、コーヒーの味も。紙パックで「ホテル用」と書いてあるのがこんな味。日頃のインスタントやドトールとは違う飲み物。自分はたまにしか飲まないので特別感があります。


クロックムッシューとブレンド。

クロックムッシューはハムの下に黄色いチーズ、上に白いチーズ。メニューにエダムチーズがなんたらと書いてあったので、今度二種使いを真似してみたい。焼き目がいい香り。このあとマスクの中でかすかに残り香を楽しめました。(笑)

外観は斜めからですがこんな感じ。この通りは六道の辻通りというんですね。由来を知りたいな。


 

馬車道に戻り、古本散策に出発。少し戻って地下鉄駅近くのお店を外から見たらお休み。店自体はまだあったのでほっとしました。昔ここのワゴンセールで買った『海底考古学の冒険』は自分の「お宝レトロ本」のひとつです。全体に専門書が多くて高めなのですが、これは300円でした。

回れ右して伊勢佐木町方向へ。

途中素敵な建物やガス灯をパチリ。昔から通ってるわりには逆に写真とか撮ったことがあまりないので。


ガス灯を撮ったのですが、車がなければ
向かいの建物と一緒に模写してみたいくらい。


イセザキモール~黄金町へ


イセザキモールは馬車道エリアより馴染んでいるのでほっとします(笑)。でもゆっくり見るのは久しぶりで、いろいろ店が変わっていました。モール入口付近の輸入ナッツやチョコを売ってたお店は、寄りたかったのにシャッターが(お休み?閉店でないことを祈ります)。でも子供の頃からここに来るとよく家族と覗いたペットショップは健在。通りから少し入った古書店はわりと最近知ったのだけど、平日でもお客さんが入ってました。からくり時計は最近また宣伝してますね。日ノ出町駅に出る交差点付近にある「つけ麺大王」は、亡父が行きつけにしていたお店です。自分にはあまり落ち着く雰囲気ではありませんが、大きな映画館があった頃は何度か行きました。健在で嬉しかったです♪ 


 

同じ交差点の反対側は、昔オデオンというビルがあって古書店や中古フィギュアなどのお店が入っていました。確か上に小さい映画館も…(今ググったら、もともと映画館跡地にできたビルだそう)オープニング企画(?)のチャップリン映画や、『プランケット&マクレーン』なんかをここで見たような気がします。自分にとっては聖地でしたが、古書店等はだいぶ前になくなり、今回見たらドンキになっていました……。(涙)

ここから黄金町方向に少し行くと、昔ウェンディーズというハンバーガーショップがありました。他にはないベイクドポテトとかアメリカンな雰囲気のメニューが魅力で、映画館帰りによく行きました。ここは企業さん自体が日本から撤退した記憶が。(→今ググったら2011年から別事業者で再展開しているらしいです)

もう少し歩くと右手にスーパーがあったと思うんですが、見落としでなければなくなっている様子。よく店頭で靴やバッグのセールをやっていたので、リュックがあったら見たかったんですが。この通りにしては「日常」を感じさせてほっとする場所だったので、なくなったのだとしたらショックです。

蛇のはく製(?)が目印の「へびや」(伊勢佐木町ブルースの歌碑の向かいあたり)もシャッターが下りていました。これも子供の頃から見ていたものなのでちょっと残念。けれど目星をつけてる古書店はすべて営業していました。一軒、外の棚に置いてる分を無人販売にしているところがあってびっくり。箱にチャリンと入れるスタイルです。日本は治安がいいですね。

イセザキモールの日の出町付近。
エンゼルトランペットが見事に咲いてました。
名前に似合わず毒があるそう。
(考えようによっちゃ名前に合ってる?)

収穫は一冊のみで「ジャン・コクトー展【美しい男たち】」のカタログ。ジャン・マレーの美しい写真に惹かれたのですが、夜に中をざっと読んだら新情報もあり買ってよかったです。文章部分はまだすべては読んでないのでこれからのお楽しみ。絵はあまり期待してなかったけれど(コクトーの素描はあまり惹かれない)、油絵やほかの人が描いたコクトーの絵もあり、今の自分のアタマを自由にするのに役立ちそうです。(よく見たら渋谷のBUNKAMURAでやった展示の図録なので、もしかしたら見に行ったかもしれません。内容は覚えてませんが…複数回やってるようなのでこれじゃないかも?)

戦利品のコクトー展カタログ。


関内~黄金町のいきつけ古書店はすべて見たので満足。でも食指があまり動かなかったのも事実で。今はもう読みたい本は持っていて、ほしいのは読む時間と空間だと気づきました。ああ、部屋の断捨離を進めないと。



黄金町駅への途中、大岡川の桜並木。
春は見事だけど、紅葉もいい感じ。
カラスが逃げずにポーズをとって数回鳴きました。

帰りに横浜地下街のダイヤキッチン「跳ね鯛」でひらすの照り焼き、ホタテの照り焼きをお土産/おかず用に購入。足が棒になったのでバスで帰宅。もうコンサートのことは忘れているくらい(笑)盛りだくさんの半日でありました。

2023/11/21

サザンカの剪定で鳥の巣を発見

 先週は月曜から突然エンジンがかかって、気になっていた庭木の剪定や納戸(と化した部屋)の断捨離にいそしみました。庭木は夏のうちから気になっていて、でも暑さが続いて体力的に無理だったので、ようやく念願の剪定。基本的に剪定好きなので嬉しかったです♪


一番気になっていたのがサザンカ。元からあったもので、うちが植えたものではありません(うちの庭木は大半がそうです)。来た当時の写真が残ってるんですが、もう五十年くらい前なのでまだ丈も低く扱えてました。狭い庭なのに大きくなりすぎてるので、思い切って低くしたいところです。

今ちょうど咲いてるんですが、すぐそばのモミジ(うちのではないので切れない)の張り出した枝に徒長枝が届いて閉塞感があります。


ビフォー。ぴゅんと伸びた徒長枝が
奥から張り出しているモミジに届いています。


そういう徒長枝を中心に、花やつぼみはなるべく残す方針で切りました。自分が手を入れ始めた数年前まで「忌み枝といえば全部忌み枝」な状態だったので、丸く刈るやり方ではなく大胆に透かし剪定をしていい感じにもっていこうとしています。風通りと日光の入り方が改善したせいか今年は花が多いです。ちょっと嬉しい♪


花の色はとてもきれい。ただ形がちょっと。
もう少ししまりのある花の形ならなあ…。(笑)


で、大きい脚立を出して張り切って切り始めたのですが……長い徒長枝を切っていたら、なんとそこに隠れる形で鳥の巣があったんです! そういえばこのへんからよく鳴き声がしていて「かわいいねぇ♪」なんて言ってたのですが、まさか巣があったとは♥


鳥の巣。庭で見たのは初めて。
2.4mの脚立に上ってやっと見えた場所です。(笑)


中はすでにカラのようで、モミジの落ち葉で覆われてました。そういえば最近鳴き声が聞こえなくなったような。でも鳥は虫を食べてくれるのがありがたいので、「使う気ならまた来れば?」くらいの気持ちで巣の周りの枝を少し残し、切る高さを加減しました。

ですが……こういうのって再利用するものなのかしら。周りの枝が少なくなって上からは丸見えになっちゃったし、隠れたいならもう来ないかも? それならきちんと始末したほうがいいかなぁ……と、良い対策のヒントを探して検索してみました。


…するとなんと! 「鳥獣保護管理法」というのがあって、野鳥の巣はむしろ「中にヒナや卵がある場合は撤去してはいけない」んでそうです。知らなかった! 

こちらは地元神奈川県のホームページ。他県にも同様のページがありました。

野生動物に関するよくあるご質問


…そうか、うちは「かわいい♪」とかのんきに喜んでいたけれど、むしろ害獣の範疇になる場合もあるんですね。その場合も巣はヒナが巣立つまで待ってから撤去、なんだそうです。


基本的に「お上(かみ)」と聞くと無駄に反発を覚えがちな性格なのですが、意外にこういう配慮も行き届いているんだなぁ……なんて「私ナニサマ?」な感慨を覚えたのでした……。(笑)

前述の通り、うちの場合は虫を食べてもらうために鳥には来てほしいので、じつは鳥がとまりやすい枝の切り方とか心がけています。(上から飛んでくるので、あまり覆われてしまうと枝にとまりにくいらしい。ちょっと鳥の立場になればわかることなんですがなるほどでした)でも今回の例を見ると、むしろ放置した場所に巣をつくるのかな。でも庭なので、美観との兼ね合いで手は入れたいし……まあ周囲に鬱蒼としたところはあるので、うちの庭で悩むことはないかもしれません。


今回は鳥の種類がわからなかったのが残念ですが、庭で鳥の巣なんて見たことなかったので、こんなに近くに巣があるなんて…と新鮮に映ったのでした。


というわけで、剪定は巣のあたりの高さまでで止めました。これからもう一度「廃墟」になってるかを確認して、やはりもっと低くするかもしれませんが。


アフター。モミジとの間に空間ができました。


 とりあえず風が通って明るくなり満足♪


*     *     *


後日談:つぼみのついた枝を切ってしまったので、ダメ元で水に挿しておきました。固そうなつぼみでしたが二日後に開花。花は小さかったですがよく開いてくれたなぁ…。こういうのは身につまされるんです(笑)。数日室内で楽しませてもらいました。ありがとう♪


2023/11/12

荻野アンナさんの講演会に行って、なぜか帰りにペン軸とペン先を買い直した話



[目次]

・おフランス文学とバナナのたたき売り
・人様の運、自分の運
・世界堂さんと朝日カルチャーセンターの思い出
・もっと自由に


おフランス文学とバナナのたたき売り

昨日は個人的にブームになっている「図書館にチラシがあった無料/廉価イベントに行ってみよう!」シリーズで、荻野アンナさんの講演会「本と私 読んで書いて60年」を聞いてきました。参加無料・自由席ですが事前申し込みが必要で、受付開始後まもなく満席になったそうです。自分は特にファンというわけではなくたまたま見つけただけなので、もしファンの方で入れなかった方がいらしたら申し訳ない。(^^;)でもお話から間接的に良い影響を受けてきました。


講演は荻野さんのご両親の出会いからご自身の現在までの生い立ちに、本好き・物書きになった経緯、持ちネタのラブレーのお話(これはやはり長め。「推し」ですもんね(笑))、影響を受けた文学作品の一節などを交えて進みました。


おなじみのダジャレをところどころに挟みつつも、訥々とした語り口。(原稿を読んでいらっしゃったのも一因でしょうか。でももともとこんな感じだったような?)OHP…じゃなくて今はなんていうんでしたっけ。あの資料をスクリーンに映すやつ。(今はデジタルで…やばいぞ商品名が思い出せない!(^^;))とにかくあれで紹介された文章は資料として配布もされて、知らなかったものが大半なので刺激になりました。絵画も資料で配布してくれれば良かったんだけどなあ…。『ガルガンチュア』や『パンタグリュエル』のクラシックな挿絵を紹介してくださったんです。これはお値打ちでした。(私には学校の世界史で出てきた「単語」程度のイメージしかなかったのに、ビジュアルが付いたんですから!)


ただ、芸風(?)が、この小見出しにしたようなギャップ芸——「恵まれた容姿と生い立ちを持つインテリ層の方が、"意外に庶民的/お調子者"な側面を無理に(というか実際そうなのだからじつは無理でもなんでもない)、自虐的に披露なさっている」——なので、ちょっぴり妬まれてしまうこともありそう。実際自分などは「(下層目線で)逆説的に片腹痛いわ☆」みたいな感覚もすこーし起こりました(私いやな奴ですね!(笑))。でもその場にいると「観客としてそれは大人げないぞ」という気分になって、実際お話にだんだん引き込まれていきました。そして「芸風」の一端は、「恵まれた部分から逆説的に派生する逆境」で身につけられた処世術かな……という感じにも見えてきました。

自著の売り込みをさりげなく織り込むのもかえって好感が持てましたし、引用された「良心のない知識は痴識」といった警句なども、素直に気持ちよくいただけました。横浜市の読書推進活動の一環としても沿った内容だったと思います。ただこういうのって「すでに本好き」の人が集まるものなので、ちょっと皮肉かもですが(笑)…こういう無料の地域のイベント節約モードのインドア派には得難い刺激の場でありがたいです。


…じつは以前は「コミュニティなんたら」とか目に入るだけでも毛嫌いしていたのに(なんか書いててつくづくいやな奴だな私☆(^^;))、図書館にチラシのある地域イベントへの参加はえらい方向転換です。最近なぜか心理的氷解が起こっていろいろ楽しめるようになったので…。

「地域のなんたら」が苦手だったのは、たぶん以前目にしていたのは「子供」や「親子」、あるいは「リタイアした高齢者さん」などを想定した「参加者同士や主催者とのコミュニケーション込み」のイベントだったからかな、と思っています。最近そうでもないのがけっこうあるのに気づき、しかも講演はオンラインのものも。「見るだけ」「聞くだけ」なら気楽です♪


…脱線失礼しました! 
講演後には「バナナのたたき売り」風の「自著のたたき売り」もありました。口上が面白かったです。「売るほどあるけど売れない」「(これを2冊買えば)娘に虫がつかない(著者が「虫がつかない歴60年」という——ご自身は「籍を入れなかっただけ」だと思いますがこういう言い方をされると親しみが(笑))」 ……などなど。語り口がもう少し流暢でいらしたらものすごく盛り上がりそうだなーと……講演も含めこれが少し残念でした。(まあ芸人さんではなくあくまで学者さんなので、そこまで求めるのが無理というもの☆)


たたき売りは座席の脇で行われて、見づらかったので途中であきらめて出てきましたが、舞台で演じられて見える状況だったらもう少し見ていたかったな…。単純に「見た目上品で美しい方」が「たたき売り」を演じているだけでもギャップが楽しいですから。(美しいのも芸のうち!) でも目の高さが同じでないと「たたき売り」の雰囲気は出ないですね。じつは正しい「たたき売り」なのでした。


…告白しますと、じつはご著書はちゃんと拝読したことがなくて、むかーし『世界古本探しの旅』っていう写真の多い共著本で寄稿部分と写真を目にしていたくらい。(これまた申し訳ないです(^^;))でも昔ときどきテレビで拝見した記憶はあって、美しい外見と「ラブレー」という発音のイメージ、断片的な予備知識はありました。生い立ちは知らなかったので、今回いろいろ納得しましたし、自分についても新たな視点を手に入れました。


人様の運、自分の運

お父様がアメリカ人、お母さまは日本人の画家。お母さまが装丁をした小説のゲラをアンナさんがたまたま読んで、編集者に感想を伝えたのがきっかけで書評を書くようになり、小説を書いて受賞までつながっていったことなどは……「ああ、やっぱりそういうつながりってあるんだなぁ……」と思いました。作家さんで「親が出版業界につながりを持っていた」方はけっこういらっしゃいますが、それだけでスタート地点が違う。これはもう妬みでも何でもなく事実ですね。


でもそれはたぶん、他の業界・職業でも同じですよね。(あら、書いて初めて気づいた。これが書き出すことの効用ですね☆)幼い頃自然に目にしていた物事や体験が「当たり前」の基準になる——だから子供の環境はできるだけ配慮してあげるべきなんですね。

作家の子供は、何かを書いて編集者に見てもらい出版してもらって、不安定な収入を得ることを特別なことだとは思わないでしょう。同じようにシェフの子供は、厨房で料理して人様に食べてもらって、不安定な収入を得ることを特別なことだとは思わないでしょう。サラリーマンの子供は、「学校を卒業したらどこかの会社に就職」して、毎月安定した収入を得ることを特別なことだとは思わないでしょう。いずれも心理的障壁が低くなるし、その分チャンスも増えます。


…そして親の路線に従っても、すべて成功する訳ではないのも多かれ少なかれ同じ。そこから先はご本人の資質や努力や環境と運なのでしょう。まあ運とまとめてしまえば努力できる能力もタイミングも運だし、出版業界も含めて昨今言われる「親ガチャ」から逃れてはいない、ということかなあ……。でも誰もが、それぞれに持っている「恵まれた部分」はあるはずです(運と逆説的なものも含めて)。というのは、ものごとの価値は「見方しだい」ですから。そして「その恵まれた部分の範囲」を超えてアウェーに出る自由がある(はず)、というのももちろん同じでしょう。


で、「自分の恵まれているところ」も考えてみました。…「ないことはない」、ことに気づきました。(笑)



世界堂さんと朝日カルチャーセンターの思い出

今回、間接的に良い影響を受けたと書きました。上記の「気づき」以外に2つあります。ひとつは、じつは講演を聞いている最中から、ぜんぜん関係ないのに「やっぱアナログで絵を描きたい。それも漫画以外のペン画!」との思いがふつふつと湧いてきまして。じつは昨年からの断捨離で、ペン軸とペン先を手放していたんです。というのも、最近はデジタルで描くので実質使わなくて、「子供の頃から使っていたから」というお守りみたいになっていたので。でも「ペンで描く感覚」をとにかく味わいたくて、買い直そうと決意。帰りに画材屋さんに行きました。(これはかねてからの予定で、じつは最近額装に興味が出ているので、マットや額縁が見たかったのです)


行ったのは横浜駅直結のルミネの8階にある世界堂さん。これまでは横浜の画材屋さんというと西口のToolsさんしか知らなくて、こちらはすごく縮小してしまったので(今の店舗になってからだいぶ経ちますが、自分が横浜駅を日常的に使っていた頃は上の方の階でもっと広かったのです)、他にないかなあと前日に検索して、初めて行ったお店です。最初は「8階なんてずいぶん上の階で行きにくいなぁ…」と思ってたんですが、行ってみたら朝日カルチャーセンターの横で。「ああ、ここにこれあったっけ!」と一気に記憶がよみがえりました。


余談の私事になりますが……実は昔ここで生け花を習っていたんです。20年くらい前でしょうか……勤めていた会社を辞めて、比較的余裕があった時期でした。(時間も退職金もあった)。この余裕は期間限定だとわかっていたので、独学でやっていた生け花をこの機会にきちんと習ってみよう、と思ったのでした。受講する前に流派について調べて、「生け花はもとをたどれば源流が一つで基本はどこも同じ」と知り、水曜日に開講していた草月流を選びました(もう少し古風なほうが好みではありましたが、帰りに映画館のレディースデーに行けると思って(笑))。いちおう名前をいただく辺りまで続けましたが、それが目標だったわけではなく、そこから先は講師になるための勉強になる、というタイミングでやめました。生けるのはひたすら楽しいのですが、自分が生けたいだけだったので…。生け花も「作品を作るより作り方を教えるほうが稼げる」ものの一つなので、自然な流れなのでしょうね。でも自分はだいたい人様にものを教えるような器ではありません。(笑)


閑話休題、当時はフロア全体がカルチャーセンターでしたが、その一角が画材屋さんになっていました。なるほど、アート系講座の受講者さんが自然に常連客になるわけですから、これは良い所に目をつけたなあ! …とにかくその世界堂さんでいろいろ物色して、ペン軸とスターター向けのペン先「画き味くらべ」セット、漫画ではなく絵を描きたいだけなので、気楽に小さく書けるように(あと、うまく描けたのを自宅で飾りやすいように)はがきサイズの用紙パック(ワトソン紙と厚いクラフト紙)、当初の目的だつたカット済の額装用マットを買って帰りました。ペン軸は丸ペンも匙タイプも付けられて、しかもペン先を付けたときに先端を覆ってくれるキャップがついている! 手に刺した経験が数えきれない身には目からウロコ! なんて素晴らしい進化!!!(笑)



もっと自由に

影響の2つ目は、「こんなにやりたいことをめいいっぱいやってる人がいるのに、自分は何を遠慮してるんだろう」…という気持ちが湧いたこと。上記の道具を買い直したのもその発露かもですが、ぶっちゃけ「売れるもの/売るためのもの」でなくともいいじゃないか、という天啓を得ました(この部分は荻野さんとは関係なく)。同人誌や個人出版なんて、普通の出版に比べたらなんでもありのはずなのに。なんだか自分の活動をすべて同人誌イベントに向けたものに「そぎ落とし」、すごく窮屈に考えてしまってました。別に発表することが前提でなくていいんだ、と。これはすごく自由になりました。絵を描くことが版下づくりになってしまい、発想も狭くなっていた。それに気づけただけでも、今回の講演会は実り多いものでした。


あ、あともう一つありました。「文章は簡潔に」が必ずしも常に正義ではないと思えた(ラブレーの冗漫な文体が肯定されていた)こと。今回あまり推敲で削らなかったのはそういうわけです。(笑)

2023/11/04

変わる言葉、進化する意識

 昨日は、図書館でチラシを見つけて申し込んでいた講演をオンライン視聴しました。

文字・活字文化の日記念講演会「翻訳の言葉、言葉の翻訳」
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/new-info/2023/09/2023113.html


講演者は翻訳家の金原瑞人さん。以前『翻訳エクササイズ』(>amazon)という本を購入してお名前を覚えました。(ベテランの方なのに認識が甘くてすみません💦 訳書はたぶん意識せずに読ませていただいていると思います。とりあえず本棚ですぐ見つかったのは未読了の近刊で、カート・ヴォネガット『読者に憐れみを』でした。) 自分も底辺(…の、どん底の裏口入学的ドロナワ☆)ながらちょっぴり翻訳をしているので、何かヒントが伺えれば…と申し込んでみました。


面白く感じたのは、金原さん世代と「今の若者」との言語感覚の違いのお話(大学で教えてらっしゃるので)。最近の学生さんは、「ある日」を「とある日」「あらゆる」を「ありとあらゆる」、と書きたがるのだとか。…3へえ(死語(^^;))。自分も金原さん世代のほうによほど近いので、「と」や「ありと」に「必要ない or ちょっとくどいかも?」…程度の違和感を感じました。


以前はそういう表現を添削していたそうですが、最近は多いので直さなくなったそう。それから、訳文について若い編集者さんから「"死体"は生々しすぎるので"遺骸"ではどうか」と提案を受けた、というお話も興味深かったです。過去の言葉の慣習の変化はトリビアとしてよく聞きますが、自分がその渦中にいる、と認識するのはまた新鮮……。(軽くショックも☆)


そういえば以前、「最近は小説や映画がハッピーエンドかどうかを事前に確認したがる人が増えている」と聞き、衝撃を受けたことがありました。自分にはネタバレの一つに思えたので……。同人誌でならまだわかるんです。嗜好の縛りが強い世界なので。でも商業作品でもその傾向が強く出てきたということで、これも時代の変化でしょうね。


想定する読者層にもよるとは思いますが、全体に乱暴な表現(…とおっしゃっていましたが、「きつい/ショックが強い」表現、というニュアンス)を避ける傾向があるというお話でした。「なるべくショックは受けたくない・与えたくない」方向に行ってるのだとしたら、世の中全体も穏やかになるといいなぁ…。


ちょっと横道にそれますが、見たばかりのニュースで……アメリカの若者が米政府のイスラエル支援(この状況での)に異論を唱え、グローバルサウスの国々からダブルスタンダードを指摘されている、と報道されていました。こういうのって「やっと」表立って議論されるようになったんですよね。みんな思ってたことがはっきり言葉にされた。Me tooも、そのほかのアレコレも、そういうのが噴出している時代だと思います。やっと議論できるようになった。これは進化でしょう。先ほどの言葉の感覚の問題も、そのへんとどこかでつながる進化のようにも思えます。自分はもう中高年世代に入っていますが、「ショックの強い(野卑な/露悪的な/性的なetc.)表現をすればするほどエライ」みたいな価値観の世界には違和感を覚えてきたほうなので……。(まあ進化と言っても文化的なものなので一様ではありませんし、一方に針が触れすぎれば揺り戻す、という繰り返しもあると思いますが……)

そういえば、日常で接する若い店員さんや職員さんに、態度も言葉も柔らかくて印象の良い人が増えたなあ……という印象を持っています。もちろん逆の人もいることは認識していますが、比率の問題で。昔は「態度の悪い店員さん=若いバイトさん」みたいな認識がありましたが、ぜんぜん成立しなくなってきたのは確かです。

…横道失礼しました。講演では、最近は海外の作品(小説でも音楽でも)より国内の作品が好まれている流れについて、国内作品のレべルが上がったことが指摘されていました。旧世代(私も入ります)は、「(特定の分野については)海外作品のほうが出来が良い/面白い/かっこいい」…という時代を経験して、価値観もそこで培っています。そのへんがまた若い世代の方とズレてきているんですね。昭和ブームとかも逆説的につながっている気がする……そういう構図はいろんな所にあります。でもそれで「だから国内製のほうが」になったのではなく、「どっちでもいいじゃん」になってきているように見えるし、それは好ましいことのように思えます。

でも、さっきの「とある日」に感じた違和感のように……やはり自分の生まれた世代の「感覚」から完全には自由になれないな、とも思います。年を取ると、変化は(たとえ進化かもしれなくとも)劣化に見えやすいものです。よく「世の中が変わるのは人が考えを変えるからではなく、寿命がきて人が入れ替わるからだ」と言われますが……自分もだんだん抜け替わる側になっていくんだなー……と実感。


…さて、ちょっと寂しくなっちゃいましたが(笑)、お話のなかでは救いになった言葉が二つありました。「世の中うまい話はある」(金原先生の恩師の言葉として)と、「自分の持っている文体は一つしかない」。若者言葉を無理に使おうとは思わない方なのですが、勝手にお墨付きをいただけたような安堵感がありました(^^)。(今の年だからではなく、振り返ると若い頃から新しい流行り言葉に馴染むのに時間がかかるほうでした)


講演はカジュアルな雰囲気で、そのほかにもいろんなお話が聞けました。会場に行っている参加者さんのレベルが高かったらしく、質疑応答も聞いてて退屈しなかったです。無料で聞かせていただいてありがたいイベントでした。


でもよく見たら「子供の読書推進活動」をしている方の参加を想定した企画で、初めに高校の図書委員さんの動画紹介があってびっくりしました。…あちゃー、パンピーが申し込んでよかったのかしらん…と少し不安になりましたが、チラシには学生さんもOKとあるし(う、図書委員さんて意味かしら?(^^;))、特に活動を問われることなく申し込みができたので、セーフだと思うことにします。文化の日にふさわしい午後を過ごさせていただきました☆<(_ _)>


今週末・来週にも図書館のチラシで知った無料/廉価のイベントに申し込んでいます。こういう催し、これまであまり気にしたことがなかったんですが……涼しくなって、母(3年前に脳梗塞を患いました)も昼間留守にして大丈夫なまでに回復してくれたので、物色するようになりました。いろいろあるんですね。節約モードの身にはありがたいです(笑)。

じつは11/2の石田組組長さんのソロコンサート(石田泰尚さん。バンカラなビジュアルが目を引く、弦楽アンサンブルのリーダーさんです)にも申し込んでいたんですが、こちらは残念ながら落選でした。往復はがきでの申し込みだったので、応募多数で抽選になったとの返信がきまして……まあ抽選になるのは必然だろうと予想しておりました。当選なさった方はおめでとうございます!(羨ましいです!(笑))

次のイベントは自分もリアルの会場に行くので、また違った感じで楽しみにしています♪

2023/11/02

神田古本まつりに行ってきました。

 昨日(11/1)、神田古本まつりに行ってきました。

じつは先週中に行くつもりだったんですけど、足の指をちょっと痛めてしまい、落ち着くのを待っていました。週間予報で「11/2以降は最高気温が25℃…」と聞いて、その前に行かねばと急遽決定。久しぶりの古書店巡りで前日からワクワクしました♪


神保町駅前。

じつは、今回はルートがめちゃくちゃ楽になったのです。最寄り駅がある相鉄が東急と相互乗り入れになった影響で、なんと最寄り駅から乗り換えなしで神保町まで行けるように! いつもなら神保町に着いたらもう疲れてるのに(笑)、今回は元気元気! 

いつも通り、ここからもう本の出店が並んでいます♪


いつものつもりで11時頃到着の計画を立て、「着いたらまずお昼を食べてチャージしてから回ろう」と思ってたんですが、ありがたいことにずっと座っていけたのでまったく疲れなし。そのうえ朝にけっこう食べてしまったためおなかが空かず、食事は後回しにしました。それに、行こうと思ってたお店に軒並み行列ができていたのも理由の一つです。開店早々こうなんですね、人気店は…。

で、今回はちょっと変則的な歩き方になり、神保町交差点から御茶ノ水側のお店を先に見ることになりました。(いつもは出店を伝ってなんとなく反対側に行きます)というのも最初にお手洗いを借りようと歩き回って…土地勘がないので当てにできる三省堂さんまで歩き、戻りながら見ることに。三省堂、縮小したのを忘れてました。ちょっと寂しい…でもマップでは仮店舗と書かれていたので、今だけなんでしょうね。

やはり建物に仮店舗っぽいチープ感はあるものの、かゆいところに手が届く品揃えと上品なBGM…と雰囲気は最高。古本見る前に新刊書をじっくり見て回り、交差点に向かってぶらぶらと戻りました。今回は本以外に額縁屋さんとかもいいなーと眺めたり、和菓子屋さんで家族へのお土産を買ったり、なんか観光客みたいな楽しみ方をしました♪ いつもは本だけで血眼なので(笑)、ある意味余裕があったようです。

そうそう、今回は外国人観光客さんが目につきました。「東京名物」と謳ってるし、有名になってるんでしょうね。本だけでなく古い写真や浮世絵なんかもありますし……そういえば、自分も昔一人でロンドンに行ったとき、古書店を回ったのを思い出しました。ろくに読めなかったのに(笑)。たしか古くて安い船の絵もお土産に買いました。なんとなく同じような気分かなーと……こういう楽しみは万国共通かもしれませんね。


神保町交差点に戻る頃には2時近くで、いい感じにおなかが空いてました。ボンディとどちらにしようか迷ったんですが、結局スパゲティが食べたくてさぼうる2へ。昔は神保町へ行くと「ボンディでチーズカレー」が定番だったんですが、今はあのジャガイモだけでも満腹かも…というのを確かめたい気持ちもあったんですが。(いや、行けば食べられちゃうと思う(笑))ボンディは表側の本屋さんから入れなくなったんですね。他にもいろいろ変わっていて時の流れを感じます。古書センターの雰囲気は変わらないですけど。


「さぼうる2」は有名店ですが、自分はまだ2、3回目です。この時間には列が短くなっていて、わりとすぐに入れました。


さぼうる2のメニュー看板。

飲み物がセット価格になるのは2時までと書いてあったので、「こりゃーもしかしたら間に合わないかな…」と並びながら覚悟。でも並んでいるうちに注文をとってくれましたし、ギリギリ2時前にお店に入れました。(^^) ここは大盛のナポリタンがよく紹介されますが、そちらは前に食べたので今回はミートソースを。(その時のブログはこちら:2019/04/13 ぶらり神保町散歩)あの時と比べると控えめに感じましたが、+200円で大盛とあったので、デフォルトが控えめになったんでしょうか。でもやはりこれでも自分には大盛。皿が普通のサンドイッチ用程度のサイズなので、こぼれないよう食べるのに気を遣います。(笑)持て余すかなーと思ってましたがペロリと平らげました♪


ミートソースとアイスコーヒー。
(暗い店内です。写真がうまく取れてませんね(笑))
本はこの時点で唯一買っていた戦利品。
中で少しだけ読みました。

元気を取り戻して交差点から反対側の本漁りへ。帰りに乗る相鉄直通電車(1時間に2本しかなかった☆)を決めていたので、矢口書店さんのあたりまでで後ろ髪を引かれつつ切り上げました。最終的な戦利品がこちら。


今回の戦利品♥

帰ってからアマゾンの古書価格と比べてしまったんですが(笑)、いずれもお得に美本をゲットできてました。行く前になんとなく「これがあればいいな」とメモっていたものとは出会えなかったものの、良い買い物ができました♪

…ところで、あちらでいただいてきたマップですが…

いつもの古書店マップ♪

帰ってきてから気が付いたんですが、「2024」になってるんですよね。これから1年使うということ? いつもこうでしたっけ??? (覚えてないです。まいっか☆)

*     *     *

行きも帰りも電車で座れたので、とにかく楽に行けるようになったのを実感しました。(料金は以前の最安ルートより缶ジュース一本分くらい高いけれど)これからは時間ができたらもっと気軽に行きたいです。それに「古本を見ながら気楽に街歩き♪」がものすごく久しぶりで……昨年の古本まつり(ブログ等には書いてませんが行った気がする)以来かもしれません。最近はいろんな事情で「気ままな一人歩き」自体の機会少ないので、久しぶりに「自分に戻った」気がしました…。(じゃあいつもは何?(笑)) 買った本だけでなく、集まっている人たちに(会話するわけでもないのに)勝手に親近感を感じて癒されたり、本のディスプレイにヒントを得たり……いろいろ充実した一日になりました。

2023/10/27

ユトリロ展と「百貨店の展覧会」

目次:(ページ内リンクツールがないのでご了承ください☆)

  • 高島屋のユトリロ展
  • 「白の時代」と「色彩の時代」
  • 戦利品
  • 巡回予定
  • 「初めてのユトリロ」を求めて
  • 「37年前」の半券
  • 「百貨店の展覧会」…横浜高島屋の思い出
  • (余談)横浜の「西口」


高島屋のユトリロ展

先月のお彼岸中のことになりますが、お寺帰りに横浜の高島屋「モーリス・ユトリロ展」を見てきました。ここんとこ展覧会など足を運ぶ余裕はなかったので、前日は遠足前の子供みたいにワクワク(笑)。ちょっと足は痛かったけれど、久しぶりに贅沢な時間を味わいました。


チラシとチケット半券。
作品リストも無料でいただけました♪

じつは学生時代に初めてユトリロの絵を見たのも横浜高島屋で、それから好きな画家のひとりになりました。懐かしさと思い入れと、芋づる式にちょっと感動した展開もあったので、いろいろ書きます。

展覧会の告知ページなどはこちら。今は動画でもPRするんですね。

パリを愛した孤独な画家の物語 生誕140年 モーリス・ユトリロ展



「白の時代」と「色彩の時代」

ユトリロは、たいてい描いた絵の特徴によって年代分けして紹介されます。漆喰の表現が魅力的な「白の時代」は人気があり、彼の代名詞ですね。自分もこれに惚れました。

今回見て思ったのは、「白の時代」の絵に描かれている曇天が、自分にとってすごく魅力的であること。曇天だから影がないんです。むしろ全体がぼんやりと光を放っているようにも感じる。現実にこういう天気の日はありますよね。子供の頃から好きで、なんとなく魂がふわーっと飛んで行ってしまうというか、茫洋とした気持ち良い感覚になります。その感覚が「白の時代」の絵にはあるんですね。漆喰はもちろんですが、この空の表現も大好きです。それで空に注目して見ていったら、絵によって空に光沢があったりなかったり……なかなか面白く感じました。

「色彩の時代」の絵になると、絵の中に陰影がくっきり描き込まれます。強い光が差した表現——つまり「日光が差すようになった」んだな、と気が付きました。単に使う絵具のバリエーションが変わったのではなくて、ものの見方=意識、目に入るもの、表現したいものが変わったのが感じられる。これは自分にとって大発見です。

展覧会は解説によって背景を知るのも楽しいですが、実物を見て自分で発見・解釈するのは何よりの醍醐味です。たぶん上記の切り口は(私が気付くくらいなので)ありふれた解釈なのだと思いますが、今回の展の解説は人物の掘り下げ——タイトル通り「パリを愛した孤独な画家の物語」——に軸足があったので、これについては言及されていませんでした。むしろ「観客が自分で発見する楽しみ」を残しておいてくれたようで、ちょっと嬉しく感じました。


戦利品

さて、出口のお楽しみショップコーナーです。カタログは購入しませんでしたが(個人的には市販の代表作が入ってるもののほうが好みで、それならいつでも買えるので…)、たぶん20-30分くらい狭い売り場を行ったり来たりして、不審な客を演じてしまいました。(^^;) 実は昔の展覧会でポスターになっていた絵と似たものの額絵が欲しかったんです(はっきりとは覚えてないのでイメージですが、青っぽい屋根の縦長の建物の絵)。でもその絵は額絵サイズがなくて、比較的大きめのカードはあったものの、それは発色が黄色っぽくて、漆喰の感じが好みでない。発色が好みなのは小さなポストカード。でも少しでも大きいのを飾りたい…と行ったり来たりしたのでした。

で、結局選んだのはこの3つです。


戦利品の額絵、ポストカード、トートバッグ。
額は手持ちの100均フレーム。お世話になってます♥


こだわった絵は発色をとってポストカードにし、額絵は別のを選びました。そして、いつもは紙もの以外はあまり買わないんですが、なんとトートバッグを。日頃の自分なら手に取らない商品です。どうしたんだ私?(笑)

正直「ユトリロの絵をシルエットにされてもなー…」とも思ったんですが、ちょうど買い物用の100均トートが傷んで買い替えたいと思ってましたし、展覧会自体に「久々の"自分にご褒美"」感があったので、「日常使いでこの幸福感を思い出せるもの」を手元に置きたくなったのだと思います。

カタログと同じ(か、ほぼ 同じくらい)の価格だったので、100均トートからはずいぶんなグレードアップ。使うのに気が引けたくらい(どんだけ貧乏性?(笑))ですが、使ってみたら感触が良く丈夫で、持ち手の長さ、サイズ、マチも格段に使いやすい! とても気に入りました。絵柄もパッと見アート系グッズとはわかりにくいのがかえって気楽で、毎日キャベツだのゴボウだの入れて使い倒しています。(笑)


巡回予定

今回の展覧会は国内にある作品を集めたものだそうで、展示には母シュザンヌ・ヴァラドンと芸術家たちの人物相関図や、彼女の作品も少しありました。11月に京都に巡回するようです。(記事で横浜の展示にも触れられているので、同じ内容だと思われます)人気がある画家ですから、他にもあるかもしれませんね。秋にはちょうど「気分」なイベントだと思います。お近くの方はぜひどうぞ。


「初めてのユトリロ」を求めて

帰りの道々、「初めて見たユトリロ展」はいつ、どんな内容だったんだろう…と気になりました。高島屋さん自体のユトリロ展は10年ぶりだそうで、自分の記憶にあるのはそれよりかなり前なのです。「自分の学生時代」の年代を手掛かりに…と検索してみたんですが、「百貨店の展覧会」の履歴を一覧できるところってなかなかないんですね。(高島屋さんのサイトにあるかと思ったら無かった☆)それにこれだけ時間が経ってしまうと、ネットで探せる情報も少なくなるみたいで。なんでもネットでサクッと見つかると思ったら大間違い。改めて痛感しました。

ともかく、「そのものズバリ」ではない情報をチマチマつなぎ合わせて推理する……という流れになりました。まあこういうのは楽しいんですけど♪

…で、ネットオークションに出ているカタログなどから辿っていき、「なんとなくこれでは」というところまで絞り込みました。こうなるとカタログの実物が見たい! ダメ元で行きつけの横浜市立図書館のサイトで検索してみたら……なんとその時のカタログが収蔵されていました! うひゃー! さっそく取り寄せをお願いしました。それがこちら♥


図書館にあった「昔行ったユトリロ展」のカタログ。

中に巡回記録が♪

会期は1985-86。確かに横浜高島屋に来ています! ああ、これだったんだ! 中を見ると、使い込んだパレットの上に絵が描かれているのがあって、見たことを思い出しました。他は(正直似たような印象の絵が続くので)「これ」という記憶はなく、ひたすら漆喰の白に心奪われたことしか覚えていません。でもカタログを買えなくて、安めの額絵を買ったような記憶はあります。しばらく部屋に飾っていたと思います。今は行方不明ですが……。(なんとなく斜めから見た構図、という印象だけおぼろげに…)当時は100均のフレームなんて手頃なものはなかったので、そのまま飾って傷んで処分したのかもしれません。


「37年前」の半券

びっくりしたのは、中にチケットの半券が挟まっていたこと!見に行った方が挟んだまま寄贈したんですかねぇ……。


カタログに挟まっていた「37年前の」チケットの半券!

なんだか貴重なので、同じぺージに挟み戻して返却しました。じつは私が借りてる間に、予約が入って延長できなくなったんです。でもこれはむしろワクワクしました! きっと今回の展示を見た方ではないかと思ったので。そしてユトリロの画集なら他にもたくさんあるのに、わざわざ「百貨店の展覧会の図録」を取り寄せたということは……もしかしたら、私と同じような経緯でこれを突き止めた方かもしれません。なんだか嬉しい! この半券も、同じように感慨を覚えたりなさるのではと思います。


昔のカタログの表紙(おそらくポスターもこれでは)と、
今回その「おぼろげな記憶に似た印象」で買ったポストカード。
なんとなく似ている…?
(AIの学習テストみたい…(笑))

図書館で検索ヒットした時は「まさかデパートの展覧会のカタログが図書館にあるなんて…!」と感激しましたが、巡回を見ると美術館も含まれているんですね。自分が勝手に百貨店と美術館に線引きをしていただけでした。そういえば高島屋は「ギャラリー」ですが、東口のそごうにあるのは「そごう美術館」ですもんね。(こちらのほうが新しいのでいまだに「最近できた」印象なのですが、やはりいろいろお世話になっています♪)そう思うとますます、駅直結で簡単に行ける百貨店がこういう場を提供してくれる伝統をありがたく感じます。


「百貨店の展覧会」…横浜高島屋の思い出

思い返すと、ユトリロ以外にも「横浜高島屋の展覧会で初めて見た」ものがいくつもあります。特に印象に残っているのは辻村ジュサブロー展。子供の頃に人形劇『八犬伝』『真田十勇士』に親しんでいたのでその流れで行きましたが、展示では初めて見た「王女メディア」のド迫力の人形と、その展示スペースに平幹二郎さんの台詞(平さんが演じた舞台の衣装がジュサブローさんだったのです)が流れて圧倒されたのを今でも覚えています。ジュサブロー展は何度かあった気がしますが、この時の展示は(「メディア」のコーナー見たさに)複数回見に行きました。

「メディア」の舞台はその後も生で見る機会がなく、テレビの劇場中継か何かで映像を見ただけでしたが、いまだに平さんというとまず最初に思い出すのは「王女メディア」……それもあの展覧会での「台詞回し」の迫力です。スリコミってすごいものですね。(ちなみに母の持ちネタの一つが「独身時代に平幹二郎を街中で見かけたことがある」で、平さんが話題になるとまずこれを聞かされ、私は「王女メディア」を持ち出します(笑))

まだ歌舞伎を見始める前で、「そういうテイストのもの」に憧れる下地はあそこでできたのかもしれません。「中年男性が女性キャラを演じる」というねじれの魅力に目覚めたのも。(「王女メディア」はいわゆる「女形」に比べればかなり特殊な例だとは思いますが…)

また、展覧会ではなく小さな映画の上映会もあって、たしか初めて『スティング』を見たのも高島屋でした。あのどんでん返し! 興奮を今でも思い出します。

まだインターネットもレンタルビデオも自分には身近でなかった時代でした。遠くの美術館に行けなかった高校生にとって、学校帰りに歩いて行けた横浜高島屋の展覧会は新世界の窓でした。「友達と学校帰りに見に行き、そのあと興奮しながらおしゃべりする」楽しい経験と、さまざまな芸術体験を与えてもらいました。趣味・嗜好の形成に間違いなく影響していると思います。誇張でなく、当時の自分に芸術教育を施してくれた貴重な場でした。

昨今は百貨店が苦戦しているとよくニュースになりますよね。物販はたしかに通販でもっと安く、いろいろなものを物色できます。だけどこういう「体験」は、やはりリアル店舗ならでは。デパートに限らず、当時(80-90年代くらい)は文化的な催しが企業さんの勲章みたいで、「メセナ」(今や死語?)なんて流行り言葉のようによく聞きました。やはり世の中に余裕があったんでしょうね。

百貨店ということで言えば、俳優の大川橋蔵さん(亡くなった時の追悼放映『雪之丞変化』がきっかけで若い頃ハマりました☆)が、インタビューで「(特に買い物がなくとも)時間があると百貨店をぶらぶら歩き回る」と話していらっしゃるのを読んだ記憶があります。古書の『近代映画』か何かだったと思います。上質なものを見て回るだけで勉強になるのだと。なるほどと思い、自分も通勤で横浜を通っていた頃によく食器や工芸品のフロアを回り、タダで目の保養をさせていただいていました…。あまり吸収はできていませんが、商品だけでなくディスプレイも素敵で、少し日常を脱する感覚が味わえました。(服に興味がないのでその方面は行きませんでしたが…(笑))

今は美術館も収蔵品をネットで公開してくれたりしますが、こういう「リアル」の場ってまた違う体験です。社会人になって以降も購買客としてはあまり貢献できてないのが申し訳ないですが(^^;)、百貨店さん、がんばって生き残ってほしいです。特に横浜の高島屋さん。自分や家族にとって、今でも「にしぐち」「たかしまや」「日常の一歩外にあるちょっとした贅沢」の象徴です。地下の食品フロアで「御座候」を買うだけでも盛り上がりますが(大判焼きみたいなやつ。デパート土産にしては安くて家族も好きなので、行くとよく買います)、これからもいろんな展覧会を開催して、自分のよーな地元庶民に文化を届けていただきたいです☆


(余談)横浜の「西口」

…そうそう、余談ですが、横浜(駅周辺)に行くことを「西口に行く」と普通に言っています。いつだったか、テレビ番組でご当地ネタ的に出てきて、ちょっと愉快に思いました。そしてこの話題になると、昔横浜行きの相鉄の車内に貼ってあったポスターに「今日は西口に行って…」(ひらがなだったかも?)というコピーがあったのを思い出します。駅ビルのレストラン街か何かのポスターでした。それまで家族の口癖だと思っていたのが「みんな言うのかー!」とその時知りました。

東口にそごうができる前は、商業的に開けているのが圧倒的に西口周辺だったので、「横浜(駅)に行って買い物や食事を楽しむ」→「西口」、というイメージになっちゃったんでしょうね。ただの出口の方角なのに、「西口に行く」にはかすかな高揚感が漂います。(うちだけ?)

自分は父親(横浜生まれ)がそう言ってたので、子供の頃は「にしぐち」という地名のように感じていました。他の駅にも「西口」はあるよね、と頭の中でつながったのはずっとあとのこと。(笑)懐かしい思い出です。(^^)

2023/10/21

『なぜ私は私であるのか』:もしくは「なぜ図書館の本は"読み切れずに返す直前"に俄然面白くなるのか」

《追記》少し長いので目次をつけました。
(bloggerはページ内リンクツールがないのでそこはご容赦を☆)

  • 前説と「最後から読む」
  • アニル・セスさんの書き方に慣れる
  • 「あのドレス」と「ファイ」
  • 「図書館本は"読み切れずに返す直前"に面白くなる」法則

前説と「最後から読む」

7月に日本で行われたALIFE 2023 という学会の公開イベントで、テッド・チャンさんとの対談をオンライン視聴させていただいたアニル・セスさん。その時著書を調べてみたら面白そうで、かつ図書館にあったので予約し、かなり待ってようやく順番が来ました。人気の本みたいです。

(学会自体のご紹介はこちらに書きました。
テッド・チャンさん備忘録:ヴァニティフェアインタビューと学会講演(2023/7/26)


『なぜ私は私であるのか: 神経科学が解き明かした意識の謎』
(アニル・セス著・岸本寛史訳・青土社)
[>amazon]


…なんですが、受け取ったのは不運にもJ庭直前! しかも市内の市立図書館全館に対して一冊しかない! 順番待ちの方々がいらっしゃるので延長はできません! うー!(^^;) 

で、イベント後にようやく本格的に読み始めたのですが…イベント疲れもあってなかなか入り込めず苦戦。「テーマは面白そう」で理解できた部分はものすごく触発されるのですが、専門用語が多くてかなり集中力を要するのです。これは挫折返却かなー…とあきらめかけたんですが、せっかくこんなに待ったのにもったいない。で、こういう時の裏技、「最後の章から読む」をやってみました。

そしたらビンゴ!入れました!(笑)よくこういうことがあるんです…思考回路が逆さまなんですかね。(笑)


アニル・セスさんの書き方に慣れる

最終章(正確には「エピローグ」の前の章「機械の心」)を読んだらすごくおもしろかったので、読み止しの箇所に戻り、再びゆっくり読み始め、だんだんセスさんの芸風(?)というか、書き進め方のクセがわかってきました。ポンと一般人には馴染みのない用語が出てきて、それがどういうことかを示す記述はあとに出てくる。(用語の説明という感じではなく、適用例を描写する感じ)

数学用語なんかだと、普通に使われる言葉が別に特定の意味を持ってたりするんですね。あぶねえあぶねえ。(笑)素人の自分には電子辞書さんにそばにいてもらわんと。もちろんまったく見たことないものもあります。「尤度(ゆうど)」なんて聞いたこともない……英語だと"likeliness/likelihood"だそうで、これなら「ありそう度」的なイメージが普通に伝わりますね。ガクモン系の用語は昔からこういう例が多い気がします。(日本語の固定訳だと意味不明の専門用語が、英語だとカジュアルでわかりやすかったりする)


さて、セスさんの書き方に戻りますが…感触としては、わかんない言葉も曖昧なまま読んでいくと、なんとなくイメージできるようになる。パーツを一つ一つ理解しながらパズルを埋めていく…というタイプではない(ように自分には感じられた)ので、「一つ一つ理解」して積み上げるつもりでいると「わかんねーよ!」「なんだよいきなりそれ!」とストレスが溜まってしまうんです。理解を一部「保留」してボンヤリ読んでいくと、急に「あ。こーいうことか☆」とイメージが下りてくる瞬間がある。そのA-HA体験(今時言わない?)がけっこう癖になって、「残りの部分も読みたい」と引っ張ってくれました。


「あのドレス」と「ファイ」

じつは学会後に偶然テレビで見たドキュメンタリーで、セスさんを見かけていました。(タイトル忘れてしまいましたが、BS1でやってた脳関係のやつ)番組で取り上げていた「ドレスの色が青と黒に見える人と白と金に見える人がいる写真」の話なども本に出てくるので、ところどころデジャブが。(「ドレス」の写真は、本の中でウィキのURLが紹介されていました。 >The dress  …私には「白と金」に見えるんですが、どう見えます?)


でも読んだ中で面白かったのは「ファイ」という章。「"全体は部分の総和以上"になること=意識」という、いきなり言われるとイメージしにくい仮説を取り上げてるんですが、これが読んで「ない」ときに「あ」の瞬間が来まして。すごく「それむしろ流行りの考え方では?」みたいな感じになりました。

"全体は部分の総和以上"自体はかなり共有されている概念だと思うんですが、それ(「全体」になった時に増えるもの)が多ければ多いほど「意識的」と言われるとイメージのギャップがあったんです。でも「あ」の瞬間に「感触」として捉えることができました。

この本、パッと見は専門用語や数値やグラフがあって理系的に見えるんですが、理解する段になるとこういう「感覚的」なものが多い感じがします。ま、テーマが「意識」ですしね。


別経路では異なる切り口で触れていた概念が、数学とか神経科学の用語で記述されてるこの感じには、「抽象的なレベルで」なんとなく覚えが……。そうだ、まさにテッド・チャンさんの作風! 自分の言葉で言うと、「カタいパーツ(数学や物理や一見無機質なもの)」で「ソフトなもの(情緒や感情、美しさ、有機的なもの)」を表現する、あの感じ。対談ではあまり噛み合っていなかったように見えたんですが(ごめんなさい、私が英語リスニング難民なせいかもです☆)こういう面で通底するものがあるんだな、なんて思ったり。


専門的な用語が多いので、パラパラッとめくっていると正直少しとっつきにくそうな印象があります。でも『エクス・マキナ』とか映画の話もよく出てきて、そこは映画好きには入りやすい。やはり一般向けに書いてるんですね。セスさんの持論を追う面はもちろんありますが、途中寄り道的に紹介される話題・別の方の研究が百花繚乱で、「へえー!」と思えるものがたくさん。むしろそちらがメインの「博覧強記」系に近いかも。「刺激を受け、視野を広げて頭を柔らかくする読み物」という感じです。読んでて「自分の考え」がわーっと湧いてきて、メモがいっぱいになりました。(たぶん夜中に読んでたせいで暴走したのもある(笑))


「図書館本は"読み切れずに返す直前"に面白くなる」法則

しかし。あー、もう返却日[※この記事を書いた10/19]です。 昨夜2時頃まで夜更かししてラストスパートしましたが(というより、読み始めたら止まらなくなったのです)、読了の割合は全体の半分くらいでお返しすることになりました。いつも思うんですけど、なんでこういう段階になって急に自分の食いつきがよくなるのか……。これで購入すると冷めてしまったりするんですよね。これってずっと「買うといつでも読めるから相対的に価値感が下がり後回しになる」のかな、と思ってたんです。でも違う要素もあるように思い始めました。むしろ購入した本「完全に理解しなくては」というプレッシャーがあるんです。投じたお金を無駄にしたくない。だから、今回のような「わからないところは保留してボンヤリ読んでいくべき」タイプの本だと「これはダメだ」と性急に思ってしまう。「わからない」の状態でいる途中経過が耐えられないんです。(お、これぞ「ネガティヴ・ケイパビリティ」の問題ですね~(笑))


一番プレッシャーなく気楽に読めるのは、まさに「図書館で借りた本を読めずに返す直前、急いで目を通している時」。本への期待度というか、「この本からこれくらいのものは得たいという欲・得なきゃという義務感」が下がっているんです。あるいは意識されない状態になっている。同時に「手放す惜しさ」もある。だからこそ、「こんなに面白い所があるならもっと早くみっちり読むんだったー!」と思える……たぶん。だって、そもそもそれが実行できない状況だし、その義務もないんですから……気楽の極致ですよね。

(この洞察は昨夜読んでるときにひらめいて、メモに入れた殴り書きが元です。のーみその関係ない所が活性化される読書って私には理想です♥(笑))


*     *     *


いずれにしろこの本、「ゆっくりと寄り道を楽しむ本」で、タイトルや構えから想像するような「著者の仮説を知識として取り込むための本」からはちょっとはみ出す本でした。少なくとも自分には。返したらもう一度予約入れちゃおうかなーとも思うんですが…予約待ちの方の人数を見ると、たぶん次に来るのはまた2か月くらい先。そのときにこういうものを楽しむ余裕があるかどうか。(ちょうどまた12月のコミティアやコミケがあるので…(^^;))同じテンションでないのは確実だし、その時自分が何に興味を持ってるかもわからない。うーん、買っちゃおうかなー…。(他で散財した後なので悩む☆)こう思うと、本との出会いも(タイミングを含めて)ほんとに一期一会ですよねー…。


*     *     *


「最後から読む」で読んだ「機械の心」の章で、すごく印象に残ったところがあったので読書ブログにも記録しました。

牛乃の読書ノート:「最高の倫理とは予防的な倫理である。」


ご紹介したところとは別ですが、「脳オルガノイドの農場」を作りたがってる研究者さんがいるって、かなりショッキングでした…。(詳しくは本をお読みくださいませ。ソフトカバーですが索引完備(←これ大事☆)のしっかりした本です♪(^^))


ところで原題は"Being You: A New Science of Consciousness"。やっぱり英語だとカジュアルだなー☆


2023/10/09

J庭54:ご報告と感謝とディスプレイ裏話

10/8のJ.GARDEN54、無事に参加することができました。スペースにお立ち寄りくださった皆様、ありがとうございました!いろいろご報告します。会場にお越しになれなかった方もよかったらぜひ。


スペースの様子

11時の開場時にはまだスタンドの仕上げや見本のカバー付けが終わらず。でも開場直後に忙しいサークルではないので(てか1日中ヒマ(笑))、なんとか飾り付けることができました。特設ジャンル「ホラー・オカルト」で(これでも)大いにはりきったディスプレイです☆


スペース全景。
今回は机の前にポスター貼るのは我慢しました。
敷き布も黒のサテン地に。少しは落ち着いた…かな?



新刊について

『脳人形の館[新装版] 』コーナー。
小説と今回編集した別冊ふろくです。

新刊として『脳人形の館[新装版]』を発行したので、100均小物を駆使して飾ってみました。でも花はやはり後ろに壁がないと色に埋もれてしまいます。ましてや私が後ろに座るのでは台無し感100%…(涙)。でも工夫するのはめちゃくちゃ楽しかったです♪

「ハンド君」(笑)の右にある緑色の紙は、当日スペースに用意されていた特設ジャンル用のPOP。いやー、郵便物に入っていなかったので今回はないのだと思ってました!きっと土壇場で作ってくださったんですね。机上は詰め詰めで計画してしまったのですが、せっかくなのでなんとか間に押し込みました。特設ジャンル「ホラー・オカルト」の良い記念です♪

新装版は、お言葉から旧版でお読みくださっていたと思われる方がご購入くださり、感謝に堪えません。(真正の新作でなくてすみません💦)別冊ふろくに些少ですが新コンテンツを加えておりますので、少しでもお楽しみいただけたら嬉しいです。(本人はコピー誌脱却で背表紙に文字が入ったことに大感激しております(^^;))

うちはSNSの活動が苦手で、二次を離れてからはあまりネットで反応をいただくことはないのですが、イベントでは必ずお立ち寄りくださる方々がおられます。お声がけはご本人にとってはウザいかもしれないので、気がついた場合でも(テンパって意識が及ばないこともありますが)遠慮しております。でも心から嬉しく思っております。

(SNSのリツイートなどでさりげなくご支援くださる数名の皆様にも、改めて御礼申し上げます。SNSは本当に苦手になってしまって、お礼の作法もわからないので、ご無礼があったらどうかお許しください。本当に感謝でいっぱいです)

余談ですが、最近Amazon(kindle)でもフォローしてくださっている方々がいらっしゃることを知り(オーサーセントラルに加わった新機能をようやく見たのです)、まったく予想していなかったので驚きました。アマゾンのフォローはほぼ新刊情報のためなので、いつか作品の形でお礼ができるよう頑張ります。(たぶんホームズやイアンなどのフィクションでチェックしていただいた方が多いのでは、と想像しております…)



ポスタースタンドのディスプレイ。
新装版と付録のPRです。
なにが「禁断の」じゃい☆(我ながら(笑))

…さて、J庭に戻りますが…今回コンナコト↑をしましたが、「美老人」を前面に出すのは寛容なJ庭でも相当難しいなあ……と思いました。(いや、問題なのは美老人ではなく私のアプローチと力量なのですが☆(^^;))瑞々しい萌えを求めておいでになるお嬢様方が、コンナモノにお目を留めるはずもなく……オノレのマイノリティっぷりを痛いほど再確認いたしました。でも、毎度ですが「需要があるからではなく供給がないから作るのが同人誌」という名言もありますし。そこは自分の嗜好と技量の限界が持つ宿命かな、と腹をくくります☆(開き直りともいう)

会場の当日企画では、ネットの新刊情報掲示板のプリントアウトの他、事前にPDFを送った小説1ページ目を掲示してくださる「お試し☆小説出会いの広場」というのもあり、自分も楽しく拝見してきました。ただ、「お試し…」は1サークル1作品だと勝手に思い込んでいたので、複数作品上げているサークルさんを見つけて「そうだったのかー☆」とちょっとショックでした。(笑)こういう企画はありがたいです。これからも続けてほしいし、企画立案したスタッフ様に大感謝です!


既刊について

既刊も(うちの基準では)わりと満遍なくお連れ帰りいただけ、ご新規様とのご縁ができたことを嬉しく思います。そうですよね。どこで聞いたか忘れましたが、「本は出会った時が新刊」なのです。自分にとっては見慣れたものでも、新鮮に読んでくださる方がおられるかもしれない、との思いで既刊のみでも参加しています。もしお気に召していただけましたら、ぜひほかの本もお試しくださいませ。


…大失敗

…ただ、その既刊のうち3冊について、午後1時過ぎまで見本誌を出すのを忘れるという大失態を演じてしまいました。(わりと会場早々に、そのうちの一冊のホームズ小説が売れたので、嬉しくて意識が飛んでしまったようです(^^;))今回は新刊以外は個々にパックした状態で持ち込んだので、その3冊は中がまったく見られない状態でした。それで「お手に取ってどうぞ~」なんて言っていたのですから、穴があったら入りたいとはこのことです。もし見本を見られなかった(…けど言うほどの事ではないし)とあきらめた方がいらっしゃったら申し訳なく…というかお手に取っていただく機会を自分のせいで失った無念さに歯噛みするばかり。情けないです。これからは気を付けます。


ディスプレイ裏話


ディスプレイに使った「ハンド君」。
絡ませた100均のフェイク植物は
つるの曲線が見事でとても気に入りました♥


気を取り直しまして、(自分が大いに楽しんだ)ディスプレイのお話など書かせていただきます♪

今回使ったリストバンド付き「ハンド君」は、じつは昔SF大会で「SFいけばな」という企画展示をさせていただいた時に作ったものです(黒のサテンもその時のものを洗濯)。展示ではピーター・カッシング主演の映画『フランケンシュタインの逆襲』(1957) をテーマにした作品に使いました。(今回は立てましたが、元は横にして切り口から生花をたっぷり生やしていました(笑))

『脳人形の館』の二人には切断四肢の再接合を共同研究した過去があり、「人形の腕」という言葉も出てくるので、イメージとして…。(でも冷静になると、J庭で「コンナモノ」を見てそそられる方はいないかも…(爆))


ご覧の通り手のデッサン模型なのですが、手首を革でくるんでいるのは別のフランケン映画『フレッシュ・フォー・フランケンシュタイン』へのオマージュです。(『アンディー・ウォーホルのフランケンシュタイン』『悪魔のはらわた』の邦題もあり。映画自体はほぼ「悪趣味」で言い尽くせる作品なので、「若い頃のウド・キアーのお変態演技が見たい♥」とかでなければあえておすすめしません(^^;))

ハトメをつけて紐を通して…とけっこう手間がかかったので、捨てるのが忍びなくそのまま物置に眠らせておりました。活かす機会ができてよかったです♪



…そんなこんなでいろいろ楽しんだJ庭でした。お連れ帰りいただいた本が楽しんでいただけていますように。

我らが神殿ビッグサイト。
帰りに振り返ってパチリ。外は雨が降り出していました。
連休のせいか鉄道のイベントをやっていて、なかなか盛況でした。


新刊の通販や電子版の方針などについては、準備が整い次第サイトなどでお知らせさせていただきます。どうぞよろしくお願いします。


当日の持参品はこちらの通りです。

直近イベントお品書き(&通販・kindle版リンク)

2023/10/06

10/8開催 J.GARDEN54参加のお知らせ

直前ですみません!こちらのブログできちんとお知らせしておりませんでした💦

J庭、無事に参加の運びとなりました。特設ジャンル「ホラー・オカルト」で参加させていただきます♪

J.GARDEN公式サイト

配置は【み11a SUSSANRAP】です。

ジャストフィットな特設ジャンルにちなみ、しばらく在庫なしだった耽美風マイルドホラー小説(ピーター・カッシング当て書き)を新装版で復刊しました。タイトルは旧版から「恐怖!」を取り『脳人形の館』。(kindle版と同じになりました)16ページのカラー別冊ふろく付きです。(価格はまだ迷っているのですが、1200円前後になるかと思います)

「別冊ふろく」は、改めて見ると内容が単体では成立していないので、当初考えていた別冊ふろくのみの無料配布は行わないことにしました。(もしも当てにしてくださっていた方がいらしたら申し訳ありません💦)kindle版も表紙を差し替えるつもりなのですが、「別冊ふろく」電子版を作るかどうかについては、もう少し考えてから決めたいと思います。決定したらお知らせさせていただきますね。


『脳人形の館[新装版]』。表紙から「ピーター・カッシング生誕100周年」を外し、
ロゴをシックに(?)して漫画・イラストを外しました。
 
別冊ふろく表紙。本体で削除した漫画・イラストに加え、
「蔵出しパイロット漫画ラフ」を収録しました。

ふろくのほうは一昨日自宅に到着しました!小説本体は当日会場搬入なのでドキドキしております。これをセットにして販売します。


到着した「脳人形の館」別冊ふろく。
試作中のディスプレイと共に。


サイトに当日のお品書きページをご用意しております。サイト内でお試し読みもできますので、ぜひご利用ください。

直近イベント お品書き(&通販・kindle版リンク)


入場にはパンフレット『GARDEN GUIDE』が必要なので、事前購入なさった方はどうぞお忘れなく。これが入場証代わりになります。(事前購入するとwebカタログが使えたりして便利ですね♥)詳しくはJ庭公式サイトをどうぞ。

急に涼しくなりましたね。会場は状況によって暑く(熱く?(笑))なったり寒くなったりするので、調整がしやすい羽織りものがあると便利だと思います。

ではでは、会場でお待ちしております♥


*     *     *


編集作業中のアレコレなどは、新設したサイト内ブログにわりとマメに上げております。(このせいで告知をした気分になってしまったんですね(^^;))舞台裏日記みたいなものでちょっとこことはノリが違いますが、よかったらご覧くださいませ。

Now Working On!~現在ンなことやってます~


2023/09/17

寅さんと『おかしな二人』:ハーブ・エデルマン

 昨夜テレビで『男はつらいよ 寅次郎春の夢』をちらりと見かけたら、珍しく外国人俳優さんが。「絶対何度も見ている…っ!」と思った顔でした。でも作品が思い出せなくて、出てきたのはぼんやりと「刑事ものの主人公の同僚的な?」みたいなイメージだけ。映画での顔や雰囲気は思い出せるのに……。

で、どうにも気になって仕方がないので、allcinemaさんでキャストを確認。なんとジャック・レモン『おかしな二人』に出ていたハーブ(ハーバート)・エデルマンでした!(名前は覚えてなかったけど「あの人かー!」と大コーフン!)

Embed from Getty Images

エデルマンさん。こう見ると「いかにも山田組」な雰囲気はあるかも…。


『おかしな二人』は、ともに離婚後の友人同士——家事好きで神経質な男(ジャック・レモン)と正反対のずぼら男(ウォルター・マッソー)——が同居するコメディ。ジャック・レモンが大好きなのですが、その出演作の中でもひときわ好きな作品のひとつです。エデルマンは彼らのポーカー仲間の一人を演じていました。


右は豪華な特典に釣られて背伸びして買った海外版DVD。
左はその後日本で出たDVD。両方宝物です♪
(音楽がまた大好き♪残念なのは日本盤に特典がないこと。
字幕入りで入れてほしかった…!)


設定だけ見ると腐女子な私の琴線に触れそうなのですが、不思議なくらい「萌え」は皆無。(そもそもジャック・レモンに「萌え」は求めてないな(笑))でもものすごくチャーミングな映画です。この時代の「ニューヨーク感」、原作ニール・サイモンの味でしょうか。レモンはいつもの通りで今見るとやり過ぎ感もありますが、マッソーとのコンビネーションでうまく調和しています。他の作品でもいいコンビを見せてくれます。(『お熱いのがお好き』のトニー・カーティスといい、レモンはあのテンションをうまく受け止めてくれるバディ役がいる映画だとちょうど良いのかもしれません♥)


寅さんは最後のあたりしか見られなかったのですが、どうもエデルマンはアメリカ人営業マンで、さくらさんに岡惚れする役だったようです。(今自然に出ちゃったのですが、「岡惚れ」ってのも今どき寅さん映画を語る時くらいしか使わない言葉かもしれないですね(笑))コメディ映画の傑作である『おかしな二人』を山田洋次監督が見ていて、抜擢につながったのでは……なんて想像が広がりました。(もちろん出演作は他にもたくさんあるのですが、素人ファンのありがちな発想です(笑))思えば『おかしな二人』も、アメリカ映画にしては「人情」が人を振り回すコメディです。


そういえば、『おかしな二人』でエデルマンが演じた男の職業は警察官でした。(「刑事ものの主人公の同僚」ちょっと近かった?(笑))ポーカー仲間のレモンが離婚後の鬱で自殺しかねないと心配し、彼がトイレに行けば「(バスルームには)剃刀の替え刃がある」と言い——レモンは『アパートの鍵貸します』では「剃刀を隠す側」だったので、ファンはくすぐられます♪——、行方をくらましたレモンをぼやきつつもパトカーで探し回る、なんてシーンがありました。

山田洋次作品の「出てる人がみんな人情で動く」ところは、自分には「非現実的なファンタジー」と映り、じつはそこがちょっぴり苦手でもあります。でも大好きな『おかしな二人』が、意外にも似たトーンを持っていたのだと初めて気づきました。

笑わせながら下品に流れないところも似ていますね。…『おかしな二人』はバーのシーンに露出度高い女性が出たり、「ポッポちゃん」姉妹とのダブルデートなどありますが、セクシーな流れにはなりません。寅さんも水商売の女性がよく出ますが、下品にはならない。寅さんて好きな女性ができると「つきあいたい」ではなく、いきなり「所帯を持ちたい」なんですよね(笑)。世相もあるでしょうが、誠実で猪突猛進なキャラクターを表してるんでしょうね。それにしてもいきなり「所帯」は飛躍しすぎだといつも思うのですが(笑)……(そこも含めて「おかしい(面白い)」)


『寅次郎春の夢』は終盤しか見られませんでしたが、エデルマンが日本の居酒屋で歌を歌い、酔っぱらって寅さんと歩くシーンなんか見てると、アメリカ人ながら見事に「山田洋次映画」のキャラクターで(監督してるんだから当たり前ですがプロだなー☆)、海外ロケと思われる最後の出演シーンもそのトーンでした。ずいぶん前の映画ですが、確認したら1979年作品。その頃の日本の大衆映画で、こういう海外俳優さんの起用(ビジュアルとして日本在住の外国人さんを使うのではなくて、がっつり「外国の俳優さん」の起用)があったんだなあ……というのも感慨を感じたところでありました。


寅さんはわりと昔から海外にもファンがいるそうですね。大昔の映画雑誌で、たしかマーゴ・ヘミングウェイマリエル・ヘミングウェイ(あいまいでごめんなさい💦)が寅さんのファンだとのことで、「寅さんのポスターを貼った部屋でキモノ風のローブを着ている」写真を見た気がします。最近も、たしかフランスで特集上映があり、異例の集客ぶりだったという記事を読みました。そういう方々の目には、「アメリカ人俳優があの人情世界に溶け込んでいる寅さん映画」ってどう映るんだろう。ちょっと頭を覗いてみたいなぁ……なんて思います。

2023/09/14

お宝本を(無料で)ゲットしたお話~ブーブー紙付レトロ新書萌え~

昨日は図書館に取り寄せをお願いしていた資料が届いて受け取りに行きました。ここは利用者が不要の本を自由に寄付していくリサイクルコーナーというのがあります。自分も寄付したりもらってきたりでよく利用しているんですが、掘り出しものがありました♪


借りた資料とゲットした『第二次世界大戦下のヨーロッパ』。
(資料は個人的な翻訳プロジェクト用なのでボカシ入れてます♥)


タイトルは『第二次世界大戦下のヨーロッパ』。二つの大戦周辺はイアン(自作小説シリーズの主役でイギリス人ゲイの歴史ライターくん)の専門領域なので、彼についていくために(笑)素人なりにアンテナを張ってるのですが、これはそれを抜きにしても惹かれました。


古い岩波新書というのも琴線に触れたところ。ブーブー紙(グラシン紙というらしい)でカバーされてるやつで、新書にもしおり紐がついていた時代です。このレトロな雰囲気には弱い。


かかっていたブーブー紙と「しおり紐」つきの本体。
ビジュアルだけでもたまらん♥

ブーブー紙はかなり焼けていてパリパリ。タイトルが読みにくいので、惜しいですが外して手持ちの透明カバーに変えました。でもこのブーブー紙のおかげで表紙がきれい! このレベルで古い古書としてはかなりの美本です。ブーブー紙優秀!古書の保護によく使われてますが、ちゃんと理由があるんですね。


調べてみたら本自体がお宝でした。笹本駿二さんという、二次大戦期に実際にヨーロッパで過ごしていたジャーナリストさんの著書だったんです。アマゾンでレビューを見たら高評価で、調べていったら前著にあたる『第二次世界大戦前夜』というのがまた名著だそうです。アマゾンでも『大戦下の…』以上のレビュー数でこれまた高評価。しかも「昔読んだ」という方が多い。中にはこの本のために初めてアマゾンを使ったという78歳の方のレビューも。(アマゾン自体について書かれています。慣れてしまったけどほんと便利ですよね)


私がゲットした本も1970年の1刷ですから、そういう世代の方の蔵書だったのではないかと想像します。そう思うとまた感慨が…。両方とも版を重ねていたようですが、現在は販売なし。古書は出回っていますが、検索しているうちに「復刊ドットコム」のページに行き着いたので、『第二次世界大戦前夜』のほうに投票してきました。よかったら清き一票を。


復刊ドットコム『第二次世界大戦前夜-ヨーロッパ1939年-』


ちらちら読んでるのですが、確かに読みやすいし引き込まれる。この時代のこなれた本て、「概念がつかみやすい」印象があります。今と違ってネットもなく、著者と読者の知識・情報源へのアクセス格差が大きかったので、断言ぽく書きやすい(?)時代だったのだろうなーと思います。その分著者の権威と責任も重いわけですね。


リサイクルコーナーでは折々良い出会いをしていて、普通の古書店(近所ではブックオフ系しかありませんが)ではお目にかからないようなものにも出会います。日焼けがひどいとリサイクル書店では値が付かないのも理由かもですね。古書店は好きで行きますが、どうしても自分が興味のあるところばかり見ることになります。ジャンルを問わず目に入る「リサイクルコーナー」は偶然の要因が大きくて楽しい。それだけに「これ」という出会いは少ないですが、良い本、そして未知の(好みの)著者という鉱脈に出会えた嬉しさはひとしおです。


*     *     *


余談:「個人的な翻訳プロジェクト」に言及しましたが、最近サイト内にブログを作り、そこに個人プロジェクトを含めた「現在進行中」のアレコレを書けるようにしました。本って作る側にいる時は「作業してる間」がメインイベントなのに、その間何もしてないように口を閉ざしていることに「自分内齟齬」を感じるようになったので。自分のなかでも外部の仕事や家事に埋もれがちなので、自分にカツをいれる意味もあります(笑)。なので、画像にはぼかしなど入れてネタバレしない範囲で書いています。ぶっちゃけいつやめるかわかりませんし(笑)、ソフトの話や愚痴など遠慮なしに吐き出してるので読み物として面白いかどうかは謎ですが、いちおうこちらではご報告させていただきます。

"Now Working On!~現在ンなことやってます~"

2023/09/08

秋に向かって

目次:

・美味しい季節へ
・J庭準備
・新ブログなど
・Twitter(X)に思うこと


美味しい季節へ

夏の不調から少しずつ体調が上向いてきたようで、ここ数日は早起きが苦になりません。5時からのラジオ『古楽の楽しみ』を流しながら、ちょっとほっとする時間。今週はフルート、オルガンと器楽が続いていてうれしい……♪

朝にちょっとだけ「涼しい」感覚も味わえたり、日の出も遅くなってきました。今日はひときわ涼しいんですが、台風の影響なので一時的。でも季節は確実に秋に向かっているのを感じます。

昨日は久しぶりに、買い物ついでに行きつけのドトールさんで30分だけ本読み。生き返りました。


空いていました。
ひさびさ記念にパシャリ。


同伴はコクトーさんの『ぼく自身あるいは困難な存在』。折々手に取るエッセイ集で、好きな言葉に付箋がついています。(コクトーさんのテキストは、なぜか創作作品より日記やエッセイに惹かれます。映画も好き♥)ひとつひとつが短くて、文庫で軽くて、パっと開いたところを読むのに適しているので、「喫茶店で読むのになんか持っていこう」という時しばしばお世話になる一冊。そろそろこういう本(もの)が美味しい季節になってきました。もう少し辛抱すれば秋ですね。待ち遠しいです。


J庭準備

秋と言えばJ.GARDEN。無事にスペースをいただけ、先日参加証も届きました。新刊扱いの新装版『脳人形の館』は入稿済なので、比較的ゆったりと開催を待っている……はずなんですが、別冊にして添付する予定のイラスト・漫画集(コピー誌版から今回省略したものなどを集める予定)の作業にあたってちょっと迷いが生じています。

使ってない画像も含めて集めたらけっこうなボリュームになったのですが、内容を見返したら、シリアスなマンガバージョンの絵や挿絵はともかく、おまけマンガがあまりにギャグなので、本体のシリアスな小説のおまけにすると「ぶち壊し」な気もしてきて……。ましてや多分に同人的なノリなので、同じ内容をkindleの無料漫画にしようという当初の計画はいかがなものかと(^^;)。自分としては「コピー誌版には入れていたので」という意識があったのですが、読む方々は両者を比べるわけではありませんもんね。でも新たに追加したあとがきでおまけに触れているので、やはり添付はしたい。なるべくぶち壊し感が出ないようにしたいなあと無い知恵を絞っております。


新ブログなど

…そんな中なのですが、新たに料理のブログを作りました。(「きょうのごはん、ときどきおやつ」)いや、こんなことしてる場合じゃないだろう!と自分でツッコミ入れてますが、ここ数年家の料理を全般的に担当するようになり、しばしば写真を撮るので、気兼ねなく吐き出せる場所が欲しかったのです。(Twitter(X)は自分にはけっこうストレスがあって、あとから自分で一覧するにも向いてないので)気軽にちょこちょこ上げていきますので、よかったら覗いてやってください。

あと、じつはピーター・カッシングのブログも引っ越しの準備をしています。SSブログからbloggerへの移行で、エクスポート・インポート形式の不一致で「まとめて引っ越し」に手間がかかるため、1記事ずつ手作業にしました。でもこちらも忘れていたような記事を読み返すのが楽しい。(笑)bloggter自体も知らなかった機能があったりして、発見の連続。「過去の日付で投稿できる」のも意識してませんでした。広告がなくて息が長そうなのがいいです。

ついでに言うと、独自ドメインをとったアーカイブサイトのことでもちょっと問題が。以前使っていたのはniftyのホームページサービスだったんですが、数年前にADSLが終了になった時、唯一提示された移行先の光回線が自分には高すぎるので、ネット接続は他社に移行したのです。スマホはniftyの格安を使ってるので、最低料金(250円だったかな?)の会員枠は維持してるのですが、それだとniftyのホームページやブログのサービスは使えなくなる……という説明でした。で、慌てて旧サイトを他に移すことにし、ついでに独自ドメインも取ったのでした。

ですが、この元のホームページが依然として表示されている! 更新もできてしまう! 話が違うじゃないか!!(^^;) …ということで、たしか今年に入ってからですが、コンテンツを削除して代わりにお知らせと移行先のへのリンクのページを置いたんですね。でもでも。現状新しいサイトを作る余裕がなく、実質的には旧館のアーカイブテッド・チャンさんの情報置き場(ここはときどき更新)だけなので、有料で維持する意味あるんだろうかと。できるだけ節約したい昨今なので、独自ドメインを手放すのは惜しいけれど、無料サービスに移ってなんとかできないだろうか……と考え始めました。

この方面(に限らずですが(^^;))、知識が乏しくて、やりたいことが決まってからやり方を調べまくる、というドロナワ式。まずは「自分にとって必要十分なのはどんな形態か?」というところから考えなくてはなりません。こちらはもう少し時間が必要なので、とりあえず急ぐもの、「やりたい」と思うものから手を付けていきます。


Twitter(X)に思うこと

でも、気が付いたのは「やりたいこと」にSNS(Twitter(X))が入っていないこと。以前から「Twitter向け」に無理をしている部分が自分の中にあるのは気づいていたのですが、Xになってからますます「隙あらば課金」なムード満点で、基本的なところでちょっと馴染めなくなってきました。tweetdeckも実質有料になってしまって使わなくなり、あそこに検索列を置いてチェックしていたテッド・チャンさんの情報も、めっきり見る機会が減りました。(何か新情報が出ているのかなあ……)

でもタグの力に頼って、微力でも同人イベント外で作品などPRする手段ではあるので、手放すのは不安もあり、細々ながらせっかくできたつながりを失うのも悲しい。一方で自分には(性格・芸風(?)ともども)合ってないメディアだなあという気持ちもあり……大いに揺れております。

書くという意味では、自分の場合短文は苦手で、こうして長文に書き出して推敲するほうが楽しいです(それで試してるのがMediumnoteですが、それについてはまた改めて)。今回書いてるのは「自分のこと」ですが、レビューなどを記事として「作り込む」ことも好き。頭の中を整理できるので、作業自体が気持ちいいんです。普通に日記を書けばよさそうなものですが、それだと完全に独り言になり、主観の中に埋没してしまうので。ブログはイメージとして「他者に向けて」という意識がギリギリ保てるのが良いのだと思います。

ほんとは「いちいちタイトルをつける」のも余計に感じるところで、大昔のサイトに1年1ページでだらだら書いていた日誌ぺージが、自分には合ってるみたい……まあこうして「自分取扱説明書」を再確認できただけでも、今回のX騒動から得たメリットと言えるかもしれません。ありがとねX。(皮肉だからねイーロン!☆)