2021/04/13

庭の楽しみ:牡丹とツツジを生けてみる

庭の牡丹に四つのつぼみが付き、二つ開きました。でも天気予報ではこれから雨(しかも強風)。じつは昨年も、咲いた翌日頃に大雨になり、すぐ台無しになってしまいました。時期的にこういうことが多いんですよね。それにしても1~2日で終了というのはあんまりだ★

…というわけで、どうせならと雨の前に切り取って生けることにしました。ついでに白いツツジのつぼみが出ているので、合わせて紅白に。切り花の牡丹を買うなんて自分にはまずないので、ちょっと贅沢気分です。

牡丹は花自体に迫力があって、まるで立体の日本画みたい。さすがは百花の王ですね。 

(でもなんとなく、「昭和の生け花」っぽく見えるのはなぜでしょうか……(笑))


牡丹とツツジ(のつぼみ)


ツツジが短い枝しか取れなかったので、盛花にしたのはそのためでもあります。花器は食器として売っていた安いお皿。一目惚れして最初から花用に買ったのですが、久しぶりに使いました。


ちょっとわかりにくいですが、
露打ち(水を指ではじきかけ、水滴をつける)をした
花のアップ。生き生きとして見えるから不思議です。


すでに開き切っていた花なので、ツツジが開くまで持たなそうです。(そのうえ今ググったら水が下がりやすいらしい)でもツツジは今の状態でちょうどいい気が……全部開いたらちょっとうるさいかもしれません。(笑)



横からも激写。光線の角度もあってか、
このほうが立体感がありますね。

剣山で花木を生けるの自体ものすごく久しぶり(ひょっとして正月以来?)で、ほんとに楽しくて癒されました。花はいいですね。


牡丹の四つのつぼみのうち二つが開いたところ。
昨日のうちに撮っておきました。


じつは昨年、丈が高くなりすぎていて、葉に病気も出ていたので、種ができてしまってからかなり切り詰めました。枯れずに咲いてくれたのは嬉しいですが、そのせいか少し花が小振りでした。

剪定時期が合ってなかったのも良くなかったかなあと……今年は残りの花も種ができる前に切ろうと思います。(生き物としてはカワイソーですけど、園芸としてはそうしなくてはならないんですよね☆)

残りのつぼみ二つも開いてきていますが、やはり今夜から明日にかけて大雨という予報……。年に一度の楽しみなので、なんとかきれいに開いた状態を見たいものです。


2021/03/28

『ファースト・コンタクト』再見(と『スター・トレック:ピカード』見始め)

数日前に、久しぶりに地元のレンタル店をぶらついてたら、『スター・トレック:ピカード』が新作で入荷しているのを発見。1巻目を衝動的に借りてきました。作品の存在はパトリック・スチュワートご本人のツイートなどで知っていたんですが、なぜかネトフリ(契約してません)だと固く思い込んでました。アマゾンプライムだったとは……! 解約してたプライムに慌てて再登録し、3話以降も見始めました。(犬の名が……やっぱリタイア後も日常的にそう呼びたかったのね……(笑))

まだ見始めたばかりなのでそちらの感想はあとにしますが、むしろ昔の作品のほうを見返したくなってしまいました。(笑)それで一番ハマってた頃に買ったピカード映画三本セットを昨日の朝掘り出し、『ファースト・コンタクト』再見とあいなりました。 

ホコリをかぶってたピカード艦長三本セットを救出。一番好きなのは『ファースト・コンタクト』ですが、他のもTVシリーズも地すべり的に見返しそうな予感がします……(笑)

ああ、やはり面白い! てかもう、ジェリー・ゴールドスミスの音楽だけでも胸がいっぱいになります。ストーリーもキャストの演技も、改めてうまいなあと……当時スタトレ映画では最高の出来と言われていたようですが、今見てもやっぱりナンバーワンではないでしょうか。監督してるのも「ナンバーワン」=副長役のジョナサン・フレイクスですしね❤(笑)

(※ピカードは副長を「Number one」と呼びます。英国海軍の俗語だそうです。「Make it so.(そうしたまえ/実行せよ)」「Engage.(発進)」なんかと並ぶ彼の特徴的な台詞で、ファンはこれを聞くと盛り上がってしまいます♪(笑))

…なーんてくだらないこと言いたくなるほど懐かしくって、見終わったあと上機嫌になってしまいました。ちょっと褒めちぎらせてください。スタトレの基本的設定は冗長なのですっ飛ばしますが、未見の方のために少しだけ「出来事の」ストーリーを書きますと……

時は24世紀。宇宙艦隊のピカード艦長率いるエンタープライズE号は、地球に攻めてきたボーグという機械化生命体と戦い、ボーグ・キューブ(ボーグの特徴的なキューブ型構造物)を破壊する。(ここまでに至るシークエンスで、艦長がボーグに対して抱えるトラウマをサクッとわからせてくれます)キューブから逃げたボーグの球体を追ったエンタープライズE号は、球体のタイムトラベルに巻き込まれて21世紀に飛ばされる。そこは第三次世界大戦後の地球で、初めてのワープ飛行が行われ、惑星連邦が地球を認識する契機となる「ファースト・コンタクト」の前日。人口はほとんどボーグになっていた。ボーグによって変えられた地球の歴史を元に戻すべく、ピカードたちの闘いが始まる――(と予告編風に☆)

書き出してみるとものすごく情報量が多いんですけど、すべて映像で(しかも面白く)「見せて」しまう手際の良さといったら! 背景設定を説明っぽくなく伝えることは常に課題だと思いますが、この映画はそこが見事です。おそらくシリーズのファン以外の方にも「自然に話がわかる」ようになっていると思います。

最初の艦長の目のアップからのとんでもない引きシーンは、今見ても度肝を抜かれますし、同時にすごくたくさんの情報を「見せて」くれます。そしてかつてボーグに同化されたピカードがどんな感情を持っているかも雄弁に語ります。それをどう乗り越えるか、という彼の心理の流れが、映画の裏の(というか真の)テーマであり、見ているこちらも自分の身に重ねて見られるところだと思います。

そしてファンへのサービスというか、シリーズを踏まえた細部のアレコレがてんこ盛り。ボーグの不気味なビジュアルや戦闘の凄惨な映像もありますが、「楽しい」映画でもあります。ラストのシークエンスはシリーズのファンにとって「ああ、ここにつながるのか!」という感動がありました。

監督のジョナサン・フレイクスは、副長ライカ―役としてもハンサムで恰幅がよくて「ああ、男に生まれ変わったらああなりたい!」と本気で思う(笑)素敵俳優さんなんですが、あまりに監督作が見事だったので、今何をしてらっしゃるのかなーとプロフィールを見てみたら……やはりというか、ライカ―役を除くとその後は監督メインですね。そうそう、人間版(?)『サンダーバード』もこの方が監督だったのを思い出しました!(個人的には楽しめた一本でした。ポップなテーマ曲も気に入ってサントラ買ったくらいです❤)

今回は、たぶん10年くらい見てないんじゃないかってくらいの再見で、いい塩梅に細部を忘れていたのですごく楽しめました。じつは再見したいと思った時に、「タイムトラベル+ワープ開発の話」と「ボーグクイーンの話」が頭の中でつながらなくて、「あれ? じゃあボーグクイーンが出てきたのはどれだったっけ?」とか思ってしまい……ああ、やばいぞ。(^^;)しかしなんててんこ盛りな映画だったんだろうと思います。

*       *       *

…スター・トレックは、このジャン=リュック・ピカード艦長のシリーズ、TNG(「ザ・ネクスト・ジェネレーション」。邦題は「新宇宙大作戦」)でハマりました。その後遡ってオリジナルのスター・トレックもレトロ感を楽しみ、そのあとのシリーズもちらりと見てみましたが、やはり自分はピカードのシリーズがしっくりきます。

TNGで御多分に洩れずパトリック・スチュワートのファンになり、短期間ですがファンクラブに入って、これまでにただ一度のイギリス旅行は彼の舞台鑑賞とファンクラブのギャザリングのためでした。振り返ると、英語の翻訳に挑戦したきっかけもTNGの英語ファンフィクを友人に読ませるためだったという……(^^;)。シャーロック・ホームズとTNGがなかったら、今頃まったく違う人生を歩んでいました。確実に。(笑)

…ピカードと言う人は、とても優秀でまさに「理想の上司」なんですが、彼が放り込まれる状況は勧善懲悪では割り切れないものも多く、悩むキャラクターでもあるんですよね。このテーマは時代の影響もあるのでしょうが、独特の魅力を感じます。もちろんパトリック・スチュワートのルックスや美声という要素も欠かせませんが、このドラマからSFという枠を超えた「外交萌え」を知った気がします。

今回はたまたま、最近見ている『町山智弘のアメリカの今を知るTV』でコロナ下のアジア人差別を詳しく知り、来週はこのテーマでジョージ・タケイさんのインタビューを放映、という予告を見た後の鑑賞でした。(タケイさんは最初のスタトレでヒカル・スールーという役をなさった方。日系アメリカ人でゲイでもあり、近年はその関連の人権活動に力を入れていらっしゃいます。個人的には2007年の横浜ワールドコンでサイン&握手会に参加する機会がありまして、お優しかったこと、大きくて温かい手だったことを覚えています。(^^))

アメリカ製ドラマであるスター・トレックが、1960年代に黒人やアジア人をメインキャストに入れ、TNGではさらに理想主義的な価値観を掲げていたことを考えると、今のアメリカの姿は無残に映ります。その後のスタトレ映画や今回の『ピカード』も、『ファースト・コンタクト』の当時と比べるとだんだんダークでシビアな側面に比重が移ってきたように思います。もちろん時代の変化に合わせたもので、昔の映画は今の目で見れば「はあ?」ってところもあるのは事実です。

でも、時代の変化が「そういう方向」に進んできたということ自体、なんとも複雑な感じがします。そんな思いもあってでしょうか、基本的には活劇であるはずの『ファースト・コンタクト』を見ながら、なぜかあちこちで涙が出てしまいました。

ああ、テレビシリーズもやっぱり見直したい……☆

【余談】個人的には「スタートレック」と「・」を入れないほうがなんとなく馴染みます。ググると混在も見られますが、「スター・トレック」のほうが多いようなので、いちおうそちらに修正してみました。うーん、違和感あるけど慣れなくちゃ……(笑)

2021/03/26

(シン・)『ポーの一族』、『薔薇はシュラバで生まれる』感想など

 先日、ものすご~く久しぶりに大型書店(横浜西口の有隣堂)に寄る機会がありまして、これまたもンのすご~く久しぶりに漫画コーナーに行ってきました。特に目的はなかったのですが、なんとなく眺めたくなって。そしたら『薔薇はシュラバで生まれる 70年代少女漫画アシスタント奮戦記』という漫画(絵柄・装丁もちょっと「なつかしい」雰囲気❤)が面陳になっていて、思わず手に取りました。その隣には再開した『ポーの一族』の『ユニコーン』も。なんか年代的に狙い撃ちした面陳だな~と思いましたが(笑)、久しぶりの「まともな」リアル書店参りですし(地元には品揃えが残念なツ☆ヤさんしかないので…)、贅沢をしようという気分になって2冊まとめて購入して参りました。


『薔薇はシュラバで生まれる』と新生『ポーの一族』で最初に買った『ユニコーン』、そして後から順不同で買い足した『秘密の花園』、『春の夢』。


『薔薇はシュラバで生まれる』

まず前者は、サブタイトル通り「70年代少女漫画アシスタント奮戦記」のエッセイ漫画で、著者は笹生那実さんという、ご自身も漫画家でいらした方です。当時はアシスタント専門というより、漫画家さん同士でお手伝いをしたりすることが多かったのですよね。お手伝い先がすごいです。美内すずえ先生、くらもちふさこ先生、三原順先生、樹村みのり先生、山岸涼子先生……それぞれの先生の似顔絵がその先生のタッチに似せて描かれているのもすごい。そしてそれ以外にも、木原敏江先生、萩尾望都先生、鈴木光明先生などなど、さまざまな方が言及されます。(じつは学生時代、鈴木光明先生が渋谷の「花の館ビル」で主催されていた少女漫画教室に通わせていただいておりました。懐かしいです……!)

「シュラバ」の雰囲気は、学生時代の漫画描き仲間の間では憧れさえあったものでした。が、今はそういう目線ではまったくなくなっています。もっとも、「自分には時間に追い詰められての創作活動などできない」と自覚したのはだいぶ昔、アニメーターをやって体を壊した頃のことです。なので、(昔の自分ならしたような密着した感覚でなく)より心理的な距離をとった読み方ができたと思います。でも、本のなかで著者さん自身が樹村みのり先生にいただいたというアドバイスが心に響きました。「あなたは完全主義なところがあるでしょう。そして不完全なものなら描かないほうがマシと思っているでしょう」…活動が漫画であるか否かに関わらず、響く方がたくさんおられると思います。

漫画を描くには商業的な「漫画家」になる以外に道がない、と思い込んでいた頃と比べると、マイペースで好きな作品を作ることができ、発表したり販売したりまでできる今の世の中は夢のようです。この年になってもなんらかの形で自由に創作ができることは(もっとも大量の絵を描く体力はもうないので、小説とイラストになっていますが)つくづく幸せだなあ、なんてことも思いました。


(シン・)『ポーの一族』

さて、次に新生『ポーの一族』。の、コミックス二冊目。じつは連載が再開した時に、舞い上がって掲載誌を買い求めた一人でした。でも絵柄やお話のトーンの変化にちょっと食指が動かなくなって、その後は追っていませんでした。ですが、今回気まぐれに読んだ二冊目で引きずり込まれまして、そのあと地元の書店にあった三冊目の『秘密の花園』、最後に通販で一冊目の『春の夢』、とすぐに買って変則的な読み方をしてしまいました。

でも、3冊の中でぶっちぎりに面白かったのが『ユニコーン』でした! アマゾンのレビューを読み回ったところ、なぜか同士の方が見つからないのですが……まあ、わりとそういうことには慣れてオリマスけれど。あはは。(^^;)

自分が「持っていかれた」のは、エドガーが持つ「鞄」の大ゴマ。これでもうガーンと。他の巻はこの続きが気になって買い集めたようなものです。時系列がランダムな読み切りシリーズなので(もちろんこの順で開示していくことに意図がおありなのだと思いますが)、その顛末はまだ、コミックスになった範囲ではわかりません。これは追うしか。もちろん最初はファルカやブランカの背景もわからなかったので、三冊を読み終えてからの再読時は面白さが倍増していました。音楽がたくさん出てくるので、タイトルでYouTubeを検索して聴いてみたり……ありがたい時代ですね。どれも曲だけは聞き覚えがあり、こういう名前や来歴だったのかー……とわかる楽しみもありました。

絵柄、特にキャラについては、先生自身がだんだん調子を取り戻していらっしゃるように見えます。今回『ユニコーン』を自然に手に取ったのも、表紙の絵が再開当初に比べて昔に近くなり、すごく美しく見えたからです。ただ、昔の「あいまいさの美」が感じられた特徴的な背景処理や、背景に溶け込むような輪郭処理はほぼなく、例えれば昔のポーは詩、新生ポーは散文小説のように感じます。その分、一般的な映画のような「散文的な」映像(単に種類の違いで優劣という意味ではありません)にするなら、新生ポーのほうがやりやすいかもしれません。

『ユニコーン』でキーになるバリーがもう少し美男ならよかったのに……というレビューを見かけました。自分も「んー…」とは思ったんですが、これは超絶美形な設定の兄との対照がありますから、たぶん美男にするとドラマの圧力が下がってしまうんですよね。……でも少女漫画ですから、なんらかの記号として「この人は見た目が美しくない人」とわかれば充分だったかもしれません。

思い出したのが、昔見た『リチャード三世』(せむしで醜いという設定のシェイクスピア劇の主人公)。ルックスで言えばむしろ魅力的なアル・パチーノや山崎努さんが、姿勢と表情で醜さを表現していましたっけ。……とはいえ、絵でそれをやるとなると? …顔に傷をつけるくらいしか思いつきません。いっそ仮面か髪で顔を隠して「想像させる」ってのもありかも。でもそこまで「醜い」わけではないですね、バリーは……不気味なだけで。バリーは顔がコロコロ変わるようにも見えます。少しデッサンがゆがむ感じも。先生の今の絵柄で「美しくない人」を表現するのはかえって難しいのかもしれませんね。ともあれ、まだまだ謎の伏線も多いバリーなので、絵柄の変化/進化も含めてこれからに期待しています♪

(…ええと、ゴメンナサイ、萩尾先生の作品に対して生意気なことを書いてしまって。人様の作品で「こうしたらもっといいのでは」を考えるのって、自分の作品より気楽で頭が柔らかくなるので良い勉強になるんです。先生の年齢を考えたら尊敬しか湧いてこないことも書き添えておきます)

とにかく、絵の雰囲気もあってかSF・ホラー的な方向が以前より強めに出ているのですが、自分は面白く感じました。萩尾先生の作品で一番好きなのが『スター・レッド』なので、SF的な部分を受け入れやすいファンなのかもしれません。(そういえば、絵柄は『スター・レッド』の頃に近い感じがします)ポーやトーマはそのだいぶあとから読んで、もちろん惹きつけられはしましたが、読み返した回数から言うと『スター・レッド』がぶっちぎりです。一方、『残酷な神が支配する』はつらくて読み進められず(正直「どうしてお金を払ってこんなつらい話を読まなきゃいけないんだ」と思ったくらい)、振り返るとこのへんからしばらく離れていました。でも「そこを描ける胆力」が萩尾先生の個性を構成する要素の1つなんでしょうね。

(萩尾先生の作品は大好きで思い入れもあるのですが、上記のように好みと違うものや、単純に縁がなくて読んでいないものもたくさんあります。念のため書いておきますね)


*       *       *


【後日談・新刊のこと】

今回ご紹介した本は、いずれもアマゾンでは購入しなかったのですが、レビューを読みまくったせいかアクセスしたときに萩尾先生の本の広告が出るようになり、四月に出る新刊の広告が目につきました。漫画ではなく、『一度きりの大泉の話』というエッセイ(?)で、有名な「大泉サロン」についての回想録的なもののようです。説明を読むと、つらい思い出を書いたもののようで……。興味は湧かないことはないのですが、今自分があまり精神的に頑丈ではないので(この状況ですし、そういう方は多いかもしれません)、つらい思い出に同調してつらい「体験」をすることになるのでは、という思いもあります。そして何より、あえてそういう思い出を掘り起こす必要があるのか……何かのけじめとしてなされたのか、企画を持ち込まれてそうなったのか、はたまた別のなにかがあるのかはわかりませんが。

封印したい思い出というのは、誰でもあると思います。振り返らずに逃げなくちゃいけない人間関係というのももちろんあります。自分もたくさん逃げ出しました。スマートにできることではありませんし、「友達100人できるかな」が理想とされる社会では肯定されにくい行動なので、あとから自分を責める気持ちになることもあります。が、たぶんその(自分を責める)必要はないのだと思います。ない方がましな人間関係はたくさんありますし、思い出すことが立ち直ることを妨げるなら、それを(少なくとも一時的には)避けるのも方法の1つ、というのはたいていの共通理解ではないでしょうか。

(その意味で、つらい災害の映像を「忘れるな」と毎年流し、報道機関が大きく扱うことには複雑な気持ちを持っています。今後の備えという意味ではもちろん風化させてはいけないと思いますが、日本の報道は感情的なところに拘泥する傾向があり、3/11前後は「この時期テレビを見たくない方も多いのではないかな」と思いました。これはまた別の話☆)

…じつは昨年、自分が感じる生きにくさの一部に「HSP」という名前がついていることを知り、それだけでずいぶん楽になりました。(人口の五分の一はお仲間だそうで、自分だけじゃないというのは救いです)これについてはまた機会があれば別に書きますが、尊敬する萩尾先生が人間関係に失敗して「お別れした」体験をされた、と知ることが、心を守るために何かから逃げた自分を頭ごなしに責めず、受け入れることを助けてくれるかもしれない……という思いもあります。

でも、この本を書くために体調を崩されたという萩尾先生。商業出版のある一面を見る思いがして、なんだかやりきれないものがあります。ご自身も「埋めた過去を掘り起こすことが、もう、ありませんように。」と書いておられますが、お書きになったことがある種の解放につながりますよう、もうつらい思いをなさいませんよう、ファンの1人としても祈ります。


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【余談・私事のアレコレ】

…さて、「持っていかれた」理由になった『ユニコーン』の「鞄」の大ゴマですが……じつは半分「あちゃー」とも思いました。自分のある作品の続編で、似た趣向のシーンを考えていたので。さっさと形にしないとこういうケースがどんどん出てくる、という教訓ですね。(ほんとに多いです。こういうこと。のろまなので(^^;))そちらはできるかどうかわからないんですが……とにかく今やってることを進めなくてはです。

それと……じつはこの『ポーの一族』との再会の場となった横浜西口のダイヤモンド地下街(今はザ・ダイヤモンドでしたか)、数年前にここの食品街でバイトをしていたことがありました。入った店舗にちょっとブラックなところがあって、トラウマができてしまい、辞めたあとも地下街自体を避けるようになっていました。(いつも流れる音楽を聴くだけで気持ちがふさいでしまうので)

昨年その会社が(コロナ禍のせいかもしれませんが)倒産して、もちろん店舗もなくなり、こういっては失礼ですがほっとしました。やっと自分の呪縛も解けてきて、地下街が以前の自分にとっての「西口」に戻ってきそうな気がしています。(横浜、ではなくなぜか「西口」と呼ぶんですよね。うちだけではない横浜市民の習慣らしいです)じつはその精神的な「リハビリ」(?)も兼ねて行った西口でしたが、有隣堂も気楽に見るのはものすごく久しぶりで、自分のルーツをいろいろ確認することにもなり、感慨の深い体験となりました。

2021/03/21

皆川達夫さん②:思わぬところで「貴腐人」に深い意味が

 ①からだいぶ時間が経ってしまいましたが、昨年亡くなった音楽学者皆川達夫さんについて、音楽以外の気楽なミーハー話です。亡くなった後ににわかファン状態でいろいろ調べ回った時、ワインにも造詣が深くて『ワインのたのしみ方』という本を出していらしたと知り、いきおいで古書をゲットしまして……。ちなみに自分、まったくの下戸でアリマス。なのでほんとに、純粋に(?)ミーハーな興味で読ませていただきました。


入手した皆川達夫さんの『ワインのたのしみ方』


…なんですが、まず驚いたのが、注文時は文庫だと思っていたのに届いたものが新書版だったこと。奥付は昭和48年です。どうやらこれがのちに文庫化されたようなんですね。アマゾンレビューにあった「ワインを注いでもらっている皆川先生のお茶目な笑顔の写真」は文庫版で新たに入ったものなのか、手元の本にはそれらしき写真がないのが残念です。(写真は入っているけれど注いでもらってはいない。後年のお姿で「お茶目な」お写真て見てみたい❤)でも、逆にある意味貴重ですし、著者近影もお若いです! 

『こころの時代』にちらりと出てきた若かりし頃のお写真もイケメンでびっくりしましたが、いやー、やはり中年期もハンサムさんだったんですね~♪(個人的にはおじいちゃん然としてからのルックスのほうが惹かれますが……)おまけにこの裏表紙、推薦文を書いてるのはなんと芥川也寸志さん!音楽つながりですね。こちらも時代感が……テレビでよく拝見していた頃のお顔が目に浮かんで、なんだかたまらんです。


裏表紙、著者近影のお若い皆川達夫さん❤

中の文章は、時代を反映した感じでホンワカしつつも、「ワインは女性のようにデリケート」なんてくだりは、一見紳士的なようで、今の感覚だと隠微な女性差別感が……まあ時代ということで。とにかく、保管や飲み方のお作法から生産地別の特徴、小説に出てくるワインなんてのまで、初心者には充分すぎる内容で楽しく読めました。

でも自分にとってもっと楽しかったのは、皆川さん自身の好みやこだわり、キャラクターが透けて見えるところ。「ワイン」より「葡萄酒」というほうがお好みだったり、新聞漫画の「フジ三太郎」を「フジ・サンペイ」と間違ってたり(作者のサトウサンペイさんとブレンドしてしまったようで……いいんですよ無理して一般人のふりなさらなくてもー!(笑)てか編集者さん気づいてあげて☆)……「なんでもかでも英語風に表現しなくては気が済まない最近の一般的世相はあまり好感がもてず」なんてあたりも、なんだか(失礼かもしれませんが(^^;))かわいらしいです❤ ちょっと引用させていただきますね。

「肉の焼き方を聞かれたから〈生焼きでお願いします〉と注文すると、必ず〈ロウですね〉と返してくる。こちらも、それなればこそというわけで、〈そう、セニアンで〉とフランス風に答えると、急にどこの方言かといわんばかりの軽べつした顔をする」(p.29)

――大人げないですよっ!(笑)…というか微笑ましくて……よほどムカッとしたんでしょうねえ、こんなとこに書くなんて(笑)。ともあれ、フランス語など縁もない身には上記の小話も雲の上感タップリですし、紹介されている本格的なワインは当時今以上に贅沢品だったんだろうなあ……というのがひしひしと伝わってきました。当時ワインブームがあったらしいですが、ザ・庶民な自分などには(たとえイケるクチだったとしても)別世界です☆

でもワインについては、大好きな英国俳優ジョナサン・アリスさん(勝手にイアンシリーズの主人公のモデルにさせていただいている方)もワイン好きでいらっしゃるので、ちょっと憎からずな印象もあります。

読んでいて食べ物とワインの組み合わせがおいしそうでたまらなくなり、ワイン感のあるぶどうジュースでチーズを食べてみたりしました。自分にはこれが精一杯。下戸にとってはワインだろうがショーチューだろうが、アルコール飲料は「決して行けない憧れの国」です。

ワインのような風味だった濃厚赤葡萄ジュース

そして……タイトルにしましたが、『お酒が飲めないあなたのためのエチュード』という箇所でおすすめされていたソーテルヌの白ワインを調べていて、「貴腐ワイン」なる言葉を初めて知りました。本書には「ここのブドウはおそく摘み取られるために、一種のカビが繁殖し、腐敗状を呈します。〈高貴なる腐敗〉と言われるものですが…」とあります。

…ええっ、「貴腐人」てここから!? うわー、めっちゃシャレたところから持ってきてたんじゃん! 「高貴なる腐敗」ってのもなんか合う!?……と、驚くと同時に大納得!(なじみがない方のために……ある程度年齢がいった腐女子のことを「貴腐人」と呼ぶ場合がある……そうです。自分は言いませんけれど(笑))…

……だったんですが、調べてみると「貴腐人」の語源を「貴腐ワイン」からとした説明は見当たらないんですよね。やはり純粋に「貴婦人」に掛けただけだろうか。でも、偶然にしてもこんなイメージが連想可能だと思うと、言葉に味わいが増します。(笑)

…皆川達夫さんのお名前をこんな切り口で取り上げるのは畏れ多いんですけれど、自分のお里がお里なもので……(身もふたもないです(^^;))。皆川さんのお名前で検索なさってお読みくださった方がいらしたらごめんなさい。でもほんとにびっくりしたので。(音楽のお話や見つけたリンクなどは、「皆川達夫さん①:「ムジカ・ムンダーナ」なすれ違い」にまとめております)

*       *       *

【余談】さっき触れたジョナサン・アリスさんですが、出演なさっている映画『ビバリウム』が日本でも公開になりました! いつも映画ではカメオ程度の出演だったりするんですが、今回は脇ながら予告編でもかなり登場なさっていてワクワクします。主演はこれまた好きなジェシー・アイゼンバーグくんですし、見に行きたいんですけど……うーん、ちょっとまだ劇場に行くのはためらわれます……レンタルDVDを待つことになるかなあ……。(涙)

ついでですが、以前アリスさんがお父様から受け継いだワインセラーについてお書きになった記事を、こっそり拙訳でご紹介したことがあります。少し長いですがいいお話なので、よろしければどうぞ。



2021/03/14

春近し:新芽とつぼみと植物の時間感覚

大雨の翌日です。まさに「一雨ごとに」で、庭に出たらいろんなものがむくむく伸びていたので写真を撮りまくってしまいました。特に、昨年おっかなびっくり剪定したものが再生していることに感動しました。剪定の効果を感じられるのは翌年なんですね。この時間感覚、なんだか腑に落ちるものがあって、大事にしたいなと思いました。つい「すぐに成果を」と焦ってしまいがちですよね、われわれ人間は……そんな時に思い出したい感覚です。

そんなわけで、今回はものぐさガーデナーの親ばかフォトアルバム(笑)です。新芽やつぼみが出てくるこの季節、まだ虫は少なくて「これから」の想像が気楽にふくらみます。見ていて一番ワクワクするのは今かもしれません。


一昨年地植えから移したクリスマスローズ。
葉切りが遅れ、そのせいかどうかわかりませんが、
昨年より花は小振り。でもたくさん咲いてくれたので、
玄関を飾ってもらっています。
中が種の態勢になってるのでそろそろ切らなければ…。

大好きなツルニチニチソウ。
日照時間が少ないところに置いてますがつぼみが出てきました。

昨年買ったカシワバアジサイ。
足元からも新芽が出ていてワクワクします!
ずっと憧れだったのでうまく咲いてほしい☆

昨年密集していた忌み枝を剪定して
スカスカになっていたツツジ。
だいぶ葉が茂って枝先に新芽がたっぷり出ています。
昨年はほぼ咲かなかったのですがはたして今年は…。

昨年寄せ植え用に買ったラナンキュラス。
ずっと葉ばかりで諦めてましたが、
二年目も咲いてくれそうです。

昨年剪定したボタン。丸坊主になったので
心配していましたが、もりもり芽が出てきました。

100均球根のチューリップ。水栽培用の余りを鉢に植えてました。
先日葉がかじられたので、ヨトウムシ系とナメクジの
対処をしました。花は無事に咲いてくれますように…。


これも昨年買ったポリアンサ。元気がなく養生していましたが、
つぼみが見えてきました。

今年鉢で買ったミニスイセン。花が終わったので
茎ごと切り、地植えに移しました。

一番暗い玄関横のアジサイ。昨年は花が付かず、
教本を参考に剪定だけしてました。
今年は咲いてくれないかなあ…。


レッドロビン。昨年病気だらけだったので
丸坊主にして肥料やゆるい消毒などしてました。
新芽が明らかに増えてるので嬉しいです。

昨年剪定した枝を挿しておいたアジサイ。
足元にめっちゃ小さい芽が出ているのを発見して大興奮!(笑)

上のアジサイの鉢の全体図。
4号鉢ですごく小さいです。

昨年100均のタネから育てたラベンダー。
てのひらサイズの素焼き鉢に一つずつ分けて冬を越しました。
どうやら苗っぽくなって足元にもむくむくと新芽が。

昨年トマトやカボチャのエリアにコンパニオンプランツとして植えた葉ネギ。
主役が消えた後放置していたらそのまま冬越しして太い苗になってました。
想定外の収穫。(笑)しばらく楽しみます。

先日剪定したモミジ。高さとお隣への張り出しを抑えるため、
かわいそうですが上~右方向に延びる大きな枝3本を幹の際から切りました。
(これがけっこう重労働!植木屋さんはすごいです☆)
枝ぶりを楽しめるよう全体に手を入れたので、
葉が出るのが楽しみです。




毎年出てくれるスイセン。つぼみが見えてきました。

昨年切り花から挿したスプレーギク。
冬も枯れずにそのままでした。かなり育ちました。

2021/02/18

回顧の対象になった80年代/『YOU』「100回記念 気分はもう21世紀人」感想

昔NHKの教育テレビでやっていた『YOU』っていう番組の再放送が日曜日にありまして、すごく懐かしかったので感想書きます。

公式ページ:
Eテレプレーバック YOU 「特集 100回記念 気分はもう21世紀人」
(2/21までNHKプラスで見逃し配信やってます☆)

『YOU』は土曜の深夜にやっていた若者(っていう言葉はなんか苦手なんですが)向け番組で、司会は糸井重里さん。おおぜいのワカモノが司会とゲストを囲む中で、いろんなテーマでトークをする番組でした。OP、ED曲は坂本龍一さん。いまだに無意識に脳内で再生されることがあります。今ググったら放送は1982~87ということで、がっつりターゲット世代ですね。よく見ていた記憶があって、細かいことは覚えてないんですけど好きでした。OPの絵が大友克洋さんだったのは、放送を見て思い出しました! そうそうこれ! 

正確には、懐かしさと同時にある種の「面映ゆさ」みたいなものも感じます。あの雰囲気……糸井さんのしゃべり方とかかなあ……そのへんから醸し出されるんですね。当時かわいかったですね、糸井さん。生意気風なしゃべり方も含めて。ああいうしゃべり方をする友達はけっこういました。(笑)見ていると、自分や当時の周囲の雰囲気、仲間が肯定していたもの、今も自分のどこかに痕跡を残している青臭い価値観……もろもろが噴出してきます。だから「面映ゆさ」もあるのかな。そしてあの番組の雰囲気、じつは自分にはコミケの雰囲気にも通じるものがあるんです。どこかこしょばゆいけど安心するような。(笑)

今回放送されたのは100回記念番組とのことで、坂本龍一さんのラジオ番組とコラボした変形版でした。ゲストも多くて豪華。原田知世ちゃんはあの頃の髪型(そして『OUT』でゆうきまさみさんが描いてたあの姿の似顔絵)で覚えているので、むしろ今のほうが仮装みたいに感じます。(いや、それ他の人にも感じるぞ? あの頃から頭の中身が変わってないのか私(笑))素子姫(作家の新井素子さん)は現在のコメント映像もあって、話し方が変わっていないことに妙な感動を覚えました。(十代の頃読んだきりでした……)

今『COOL JAPAN』の司会をしている鴻上尚史さんもゲストの一人で出ていて、まだ25歳と言っててうひゃーっ☆となりました。でも今この方が番組でやってるしゃべりの雰囲気が、スタジオの構成も似ているせいか、『YOU』の雰囲気をちょっぴり継承してるのが面白い。(ちなみに「100回記念」の中で糸井さんは鴻上さんに注目していると言ってるんですけど、下の名前が読めてなかった(笑))後半は(ラジオのほうのゲストだった)中沢新一さんも加わったりして、総じて当時の「文化系」にとってのアイドル的な方々が登場していた感じです。


さて、いろんな話題が出てきたんですけど……これが放送された当時、1984年時点での「行き詰まり」「新しいものが出てこない」みたいなお話が出ていて、「新しい」って自分にとってなんだろう? と考えました。そこからイモヅル式に思考が横跳びしていっちゃったので、ここからは見た後にごちゃごちゃ考えたことを流し打ちした文章を載せます。番組の感想ではなく、それが引き金になってあてどなく転がった思考です。(正確には録画視聴していたのを時間切れで「もうちょっと」ってところで切り上げた時。その後最後まで見ました)「ですます調」に直す時間もないので(つまり見逃し配信やってるうちにアップしたいので)、キャラが変わって見えますがご了承くださいませ。とりあえず未整理そのままの、自分の思い付きの記録として残します。

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見ていて思ったんだけど、 新しいと思うのはその前の「古いもの」を体験しているからなんだよね。その体験なくいきなりそれに接したら、「古い/新しい」という基準では「新しい」とは思わない。むしろ自分が生まれる前のものでも、「発見」すれば、自分にとって肯定的な新鮮さがあれば、「新しい」と表現するだろうと思う。古典芸能も東映時代劇も、そういう意味で自分には「新しかった」し、80年代はそういう言い方が「許される」時代だったと思う。「自分にとっては新しい」ということを、堂々と言える空気があった。今はもう少し息苦しい感じがする。「自分にとっては新しい」に対して、どこからともなくやってきて「そんなことも知らなかったのか」とフタをする空気が。当時は逆に、動脈硬化を突破する力として「初めての人」の視点を肯定する空気があったと思う。思えば充分独自の文化だね。

その「(自分にとって)新しい発見」であるレトロと、自分が体験した時代を回顧するレトロはまったく別物だ。当時自分が見た歌舞伎は新しいレトロで、今私が見る『YOU』は回顧としてのレトロだ。それでいくと、より若い世代が80年代の風俗を「発見」して、「新しいものとしてのレトロ」として消化することも出てくるんだろう。80年代(自分が馴染んだ時代)が、そういう地位を獲得しうるとは考えたことがなかった。


「60年代」「70年代」は、特有の文化を持っているものとして、それを体験している人たちには特権があるんだろうな、くらいの妙な羨望(?)めいた感覚があった。それくらい堂々として見えたし。でも今こうして見ると、単にその当時購買力がある世代が青春期を過ごした時代で、その風俗を掘り起こすことが広く懐かしい感覚を呼び起こす=商売になる、というだけだったのかもしれない。それが今80年代に来ていると。まあそれを言えば、40年代文化も50年代文化もあるんだけど。

でも、たとえば欧米の1920年代が特に特色を主張できるみたいな、前後との違いが鮮烈な時代はあると思う。1920年代に関しては、もうはっきりと第一次・第二次世界大戦に挟まれて前後との対照はクッキリ。日本の60-70年代(高度経済成長期ともいえるかな?)も、たぶんその前――戦後文化との対照がくっきりしているせいで突出して見えるんだろうな。

今の目線で見れば、80年代はそれ以前より柔らかく、あいまいさを持つようになった時代だったように見える。「モラトリアム」とか「なんとなく」とかの空気。その差は戦後→60年代ほどクッキリとはしていないけど。もちろん当時は「いきなりそれ」を体験している世代だったから、それはただの「標準」であり、そうと意識することはなかったけれど。


番組の中で、パソコンが個人に普及することや、「好きな番組だけを引っ張ってきて見るデータバンク」という表現で今のネットフリックスやYouTubeみたいなものが予見されている。驚くのはそれが予見できたことではなく、その変化がものすごく早かったことだ。当時たぶん自分は(もしかしたら他の人も)その変化はもっとずっと先の「SFな未来」のことだと思っていたはずだ。(この番組はたぶんリアルタイムに見ているはずだけど、詳細な内容は覚えていない)いや、それを言ったら、自分が中高年になる未来はそれこそ想像できないくらい「ずっと先」だと思っていた。


そして今、スマホやネット利用から起こる脳の機能低下が問題になっている。これはさすがに当時誰も予想していなかったと思う。あるいは予想した人がいたのかもしれないけれど、たとえあっても「進歩」を肯定的に語る言葉と行動の洪水の中でかき消されただろうと思う。単純に新しいツールを使うことがかっこいいことでもあったし、そういう人たちが知的に優位に立っているように見上げる空気もあった。

それがこれから単純に逆転するとは思わないが、当時マスコミとは別の発信に意味があったのと同じように、今、誰もが発信する洪水の中で情報を「適切に遮断する」技術に意味が出てきているんだろうと思う。これは逆戻りという意味ではなく。個人でできることだけど、たぶんその「機能」を実装した「商品」という形で現れるんだろう。世の中が「従来型の資本主義」である限りは。だけど、もし今回のコロナの災厄が「もっと未来のことだと思っていた」経済システムの変化をずっとずっと早く到来させるなら、生きてるうちにそれを拝むことになるかもしれない。そんなことを思ったし、それを望んでもいる。


じつはまだ途中までしか見ていない。最後に今の視点での総括のようなコーナーがあると思うから、それとかぶっていたり、あるいはそれを否定するような言葉になっていたらご容赦を。今「自分はこう考えている」とはっきり表現することを再訓練しているところなので。(Twitterで話題の自粛やシュガーコーティングをする妙な癖がついてしまった☆)最近、昔の自分の文章を読み直す機会があって、それ(Twitter)以前に書いていた文章がえらく「面白く」感じられるんだけど、それはそういうフィルターを通してないからなんだよね。今回、それと呼応するアレコレを思い出す番組を見られたことは、いろいろ思うところがある。

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2021/02/13

「覚悟には、果てはありませぬ」:『麒麟がくる』最終回感想

 録画してあった『麒麟がくる』最終回『本能寺の変』、木曜日にやっと視聴しました。なるほどな、こういう終わり方かー……! 思ったことをいろいろ書きます。

光秀というと、じつは昔好きだった歌舞伎役者さんが『時今桔梗旗揚』(ときはいまききょうのはたあげ)という演目で光秀をなさいまして、その時に「光秀=かっこいい悲運の人」のイメージが強烈に刷り込まれてしまったんです。そしてもちろん三日天下というカワイソーなイメージ……ほぼすべての視聴者が結末を知っているであろう中で、どう終わらせるのか興味津々でした。

以前も書いたかもしれませんが、個人的には、歴史もののエイターテインメントは(シリアスなものであっても)史実をなぞるのが目的ではなく(もちろん最低限見ている側が違和感を感じない程度のリアリティはほしいですが)、そのモチーフを使って特定の情緒や考え方、価値観を表現するものだと思っています。だからどの学説を取るかという問題より、どういう感情を提示するんだろう、というほうが興味がありました。

ドラマ全体(まあ見た限りでですが)を通して言えば、正直かなり入り込みにくいところはあったんですが、今の鬱屈した世相の中で「希望のイメージ」を持たせる終わり方をした決断、脚本家さんの意志を感じました。ただ、そこを着地させるのが後述の通りイマイチ現実味を感じないオリキャラさんで、「あちゃ」とズッコケる感じもあったのは確かなので、もっとうまく着地できていれば、というのはすごくあります。伊呂波太夫の「あけちさまー」あたりからちょっと生暖かく見守るモードでした。(笑)最近の大河を見慣れてないので、こういうもんなのかな、と。

ただ、コンセプトは嫌いじゃない。麒麟には来てほしい、まだ終わってないぞ、という願いをつなげたい気持ちは私も共有できました。

さて、タイトルに引用したのは最終回に出てきた光秀の台詞です。

「覚悟には、果てはありませぬ」。

なんかいい台詞だなあと。これを唱えるとすっと腹が座る気がするので、パニクりそうなときに唱えたい。(笑)それはともかくこの台詞、ドラマでは使われなかった有名な「ときは今 あめが下しる 五月かな」の代わりに、決意を匂わせる台詞になっていました。お芝居(歌舞伎)だと愛宕山の歌会でこの歌を詠むんですが、ドラマの愛宕山は一人でしたね。

…じつは大河はあまり見ている方ではありません。きちんと見たタイトルを思い出すと、『黄金の日々』や『峠の群像』にさかのぼってしまいます。でも今年はキャラとして好きな光秀だし、演じる長谷川博己さんも好きなのでこれは見よう、と思ったんですが……なかなか毎回見ることはできなくて、結局きちんと見たのは最初と最後の4~5話ずつくらいでした。でも最終回前日にNHKが「これでもか」ってくらい番宣番組をやっていて(笑)、充分流れを追えました。

最後の数話を見始めたころから、「これは歌舞伎的だな」という印象を持ちました。前述の演目に似ているというのではなく(まったく似ていません❤(笑))、何を表現するのか、というあたりが。コロナのせいかもしれませんが、戦国武将ものなのに合戦シーンはほぼなくて(私が途中あまり見ていなかったせいもあるとは思いますが)、その前後のせりふ劇でキャラクターの心情のドラマを見せていました。テレビにしてはかなり抽象的なシーンもありましたし、極端な顔芝居は感情を拡大するクローズアップの見得、といった感じ。(これはちょっと違和感もあったけれど(笑))

顔芝居については、イマドキ特有の特徴が出てきつつあるのかな、とも思いました。今の映像コンテンツはインターネットで見られることも念頭に置かねばならないでしょう。小さい画面でもわかる表現、となると、ロングよりアップ、腹芸より台詞での説明、となるのは想像できます。

(このへんは画面のサイズ以前にテレビ的なわかりやすさという解釈もあります。好みではありませんが、リアルタイムの大衆エンタメとしてテレビ番組のお作法とされる場合もあるのかも。真っ暗な中で集中して見る映画と並べて論じたらかわいそうですね。でもそれを充分凌駕するテレビ番組だったあるのは確かです!)

…一方でテレビの画面は大きくなっているので、両方に対応する判断は難しいでしょうねぇ……。kindleでさえ、スマホ・タブレット・PC画面に対応することを考えると気が狂いそうですもん。(笑)

さて、だからテレビであることの限界は別にしてですが……個人的に入り込めなかった点について書きますと、理由の一つは駒ちゃんや伊呂波太夫さんといったオリジナルキャラが「便利すぎた」ことです。特に伊呂波太夫さん――旅芸人なのにお公家さんの姉貴分で、下々の生活も知ってて大金都合できて貴人でも武人でも対等に話せる超絶情報アクセス力……便利すぎる。お駒ちゃんもいきなり公方様とお友達になっちゃうしー。(^^;)

で、ヒジョーに申し訳ないのですが、彼女たちが出てくるとどこか失速する感じがあって、個人的には冷めてしまいました。女優さんたちに他意はございません。ゴメンナサイ。自分が知らないだけでじつはリアルな設定なのかもですが、自分なら「お芝居のリアリティとして」もう少しアクセス先を制限するなー、と思いました。

同じことを言わせる(=視聴者に「聞かせる」)のでも、別にキャラ同士が直接会っていなくてもいいシーンがけっこうあった気がします。例えば最終回に、伊呂波太夫が明智様に信長さんをやっつけてほしいみたいなことを言うんですが、別に旅芸人が直接それをお公家さんに言うシチュエーションでなくたっていい。独白でも効果は同じだし、しかも自然に見えるなーとか思いました。あまりに自由な彼女には、時代(信長)の犠牲になっている感じが出ないという問題もあります。身分の違う人を描き込んでいくなら、無理に頻繁にアクセスさせないで、別々の場所で同じ時代を見ているキャラクターたちを平行して描くのもありだなーと。このへんは逆説的に勉強になりました。あんまりキャラ同士を「つなげすぎる」と「安く」なっちゃうんですね。

オリキャラに限らず、全体に「安さ」を感じるところはあって――でもこれはないものねだりかもしれません。主人公が、昔の人なのに今の世相に合わせてやたら女性を大事にしてたり、とても「民主的」だったりという脚色は歴史ものではよくあって、たぶん今回も女性の活躍を増やすという目的なんだろうと思うんですが――うん、ここはちょっと違和感があったところです。これは他の表現でもポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた場合に感じることで――話が長くなりそうなので、これは機会があったら改めて書きますね☆

ただ、当初受け入れがたかった信長さんの心理的な造形は、終盤になってむしろ見事だと思うようになりました。このドラマの中で一番、キャラクターとしてフィクション特有の一貫性とリアリティがありました。ああなるほど、こういう人物として描いたのか……と。「信長像」として好みかどうか、というのは別にして、キャラクターを作り上げるという意味でとても成功していたと思います。光秀との関係に「腐女子狙われてる?」てな感じもしたんですが(笑)……だって「二人で茶でも」ってああた。信長さん光秀になつきすぎ。かわいいし。子犬ちゃん……。

でもまあ、そのへん安くはあっても、「あの信長」のキャラクターとしては破綻していなかったのがお見事ではありました。一瞬、ベネディクト・カンバーバッチがやった舞台『フランケンシュタイン』の、フランケンシュタインとモンスターの構図が重なったりして。立場は逆だしいろいろ違うところはありますが――モンスターの残虐な奇行が、突き詰めると「愛されたかった」につながるところは似ている気がします。萌える構図なのになぜかそうは感じなかったですねえ、今回は……ええとね、ちょっとやりすぎなの。露骨すぎなの。としま腐女子にはさじ加減が大事なの。(笑)

逆に最後まで「作りもの感」が拭えなかったのが主人公かも……脇役のほうがイメージを先鋭化できるので、主役に比べると儲け役なのは常ですが、光秀さんはなぜか地面から数十センチ浮いている感じというか、二次元的に見えるというか、中身が真空に見えるというか……。

俳優さんは好きだし――(お顔がテッド・チャンさん系で❤ まあそれ言ったら似てる日本人はたくさんいらっしゃいますが(笑))、そういうことは言いたくないんですが。シーンごとの感情は充分表現されているのに、それがつながった流れがいまいちピンとこない。うん、それは正直なところでした。キャラが高潔すぎるのか……いや、高潔なキャラが必ずしもリアリティないわけではないので、「フィクションとしての」リアリティの仕掛けがうまく機能しなかったんじゃないかと。それはなぜか? というところを細かく考えていくと、これまた勉強になりそうです。(単純に自分が途中をすっ飛ばしてるから、という可能性もあります☆)

あ、気になってたこと。なぜ光秀さんに月代がないのか? 若い頃だけかと思ったら中年になってもないんですよね。ないほうがかっこよく見えるという判断? それともそういう史料がある? [追記:あとから画像ググってみたら歌舞伎のほうもないですね。同時代の信長さんとかはあるし光秀の肖像画もありそうなのであれっと思ったんですが――キャラとしてそういう伝統なのか? 機会があったら調べてみよう……]最近は前髪や襟足のボーボー部分が地毛っぽい時代劇を見かけますが、今の流行りなんでしょうか。あと、女性が何歳になっても若いまま(笑)――まあこれは様式美なのかもしれません。見慣れていないだけで。ただ、今回は女性に限らずみんな若いままだなーというのはありました。光秀も最後まで青年。近衛前久さんなんか少年だし。(顔芸がちょっとやりすぎ感ありましたが、中の人はたしか実物大ガンダムの中継に出ていたガンプラ好きの人だと思うので、ケチはつけたくない(笑))

というわけでまとまりませんが、スタートから俳優さんの交代やらコロナやらで大変だったと思います。コロナがなければもっと戦国武将ものらしい合戦シーンもあったんではないかしら。「めちゃくちゃブラックなとこに勤めることになってしまった真面目な人の苦悩」としても共感できる箇所はありましたし、信長との間の感情のもつれを複雑にしたのは面白かったです。……物陰から覗いてキーッとなってる信長さんは女子中学生みたいでちょっと笑えてしまいましたが、そういう人物として描いたんですよね。人間の行動の動機なんて武将でも案外そういうとこだったりするかもしれないね、なんて思ったり。(笑)久しぶりに大河を見た身からすると、「今はこういう感じなのね~」というのが一番大きかったかもです。でも日本史に興味が出て、後に書きますがいろいろ開拓したのは収穫でした。次の大河も主演がイケメンさんなので(笑)、気楽にトライしてみようかなーと思っています。まる。


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リンクなど

さて、少し前になりますが、時代考証を担当している小和田哲男さんがYouTubeで動画配信しているのを知りました。最終回を受けての動画はネタバレ回避で我慢していたので、見終わってすぐに視聴。そのあとはwikiで関連事項を読んだり、脚本の池端俊策さんのインタビューなど読んだりして楽しみました。

戦国・小和田チャンネル

NHK/脚本・池端俊策さんインタビュー


歌舞伎の光秀さんに入れあげてた頃に読んだ人物叢書本が、まだ売られていたのでこちらもリンクしておきます。

当時は総合的にサクッと読める本は他に見つからなかったので、とても楽しく読んだことを覚えています。まあ自分はミーハーな読み方ですけれど❤

レビューを見るといろいろご感想があるようです。発行から時間も経っていますから、仕方のない部分はあるかと思います。歴史は書き換えられることを望むもの、と言う言葉もありますしね。


ついでのついでで、最近YouTubeでよく見ている日本史の先生のチャンネルをご紹介します。もともとのコンセプトは中学生向けの日本史レクチャーらしいんですが、大人もオッケーな講座です。めっちゃくちゃわかりやすくてファンになっちゃいました❤ 

市橋章男のなるほど! 歴史ミステリー

最初に見たのは桓武天皇のあたりだったんですが(なんか歌舞伎の『碇知盛』の「かんむてんのうくだいのこういん~」って台詞が耳に残っていまして)、改めて最初の古代から順に見ています。YouTubeは玉石混交ですけど、先ほどの小和田先生といい、こういう先生方のお話が手軽に聞けるのはありがたい。テクノロジーの恩恵ですね。ほんとにいい時代になったものです。