じつは初稿を書いたのは昨年の4月で、なかなか完成できなかった記事です。この2/24で開戦1年。バイデンさんのウクライナ電撃訪問などもあって、当時感じた違和感は今も……というかますます大きくなっています。以下は映画や本が足がかりとなった素人なりの思索ですが、やはり(自分で整理するためにも)まとめておこうと思います。
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思索のヒントをいただいた映画『メッセージ』と アーサー・ケストラーの著書『ホロン革命』(左が新版)。
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いつのまにか、「ニュースショーで軍事専門家さんの戦況分析を聞く」というスタンスが日常的になってしまったウクライナ危機。すごく違和感を覚えます。当初の「こんなことは止めなくては」「でもどうやって」という逡巡が、いつのまにか、スポーツ観戦じみた「戦況フォロー」にすり替えられてしまったような違和感です。
いつからこうなってしまったんでしょう。「戦況」を見聞きすること、ひいてはそれに「備えること」。こういう方向に思考が誘導されている気がして、自分自身慣れてきているのを感じます。「何が好ましいことなのか」について、世間一般の価値観が報道に引きずられて変わりつつあるような怖さも。このまま世界を巻き込んだ大きな戦争に向かっていくんじゃないか、という恐ろしい予感に対し、「どうしたらそれを止められるのか」という切り口があまりに見当たらないのです。
『メッセージ』と「道具の法則」
侵攻からまだ日が浅かった頃、ニュースで各国の対応を見聞きして、まず思い出したのがSF映画『メッセージ』に出てきた台詞でした。(映画は、地球にやってきた異星人の言語の解読とコミュニケーションを試みる女性言語学者のお話です。このブログではテッド・チャンさん原作ということで何度かご紹介していますが、このシークエンスは映画オリジナルです)
手元のブルーレイで確認したところ、次のような会話でした。シーンは、中国の人民解放軍内の会話をアメリカ軍が傍受し、中国がマージャンを比喩としてエイリアンとの対話を進めているらしい、と推測した主人公の言語学者と、軍人(両方アメリカ人)の会話です。(以下は字幕のメモ)
言語学者:「対戦型のゲームを教えたら、会話の基盤は”対立・勝利・敗北”。問題でしょ? ハンマーしか持っていなければ……」
軍人:「すべて釘に見える」
…実際のアメリカ政府の姿勢が、この台詞を言えるようなものであったならどんなにいいか……まあそれは置いといて、軍人さんが下(しも)の句を続けて言っているので有名な格言なのかな?と検索してみたところ、Wikipedia英語版にありました。
"if all you have is a hammer, everything looks like a nail"
(持っているのがハンマーだけだと、何もかも釘のように見える)
残念ながら日本語版に翻訳記事はないのですが、「Law of the instrument」(直訳すれば「道具の法則」)というそうで、アブラハム・H・マズローの上記の言葉から大きく広まったそうです。が、概念自体はそれ以前からあるとのこと。(マズローの著作、若い頃ハマったことがありましたが、これは記憶にありませんでした。それにしてもこんなところで再会するとは。Wikiには「時代遅れ」とあって……複雑な気持ちです(^^;))
…話をウクライナ危機に戻しますが、初期に感じた違和感は
「戦争を停める」がなんで「(武器を供与して)もっと戦わせる」になるんだろう?
という素朴な疑問でした。その後なされている経済制裁も、思考の枠組みが同じというか、対策の方針が「叩ける釘を探す」に限定されているように見えるのです。まさに映画で触れていた「道具の法則」です。それ以外の方法はないんだろうか。
小学生みたいなことを(実際直観的にそう考えたので)言いますが、スタトレとかに出てくる「シールド」とかバリアみたいな完璧な防御って今の技術ではできないんだろうか。前に、ウクライナのゼレンスキー大統領がイスラエルに提供を求めたという、「アイアンドーム」という防空・迎撃システムが報道されていましたが、この「ドーム」はイメージで、実際には飛んできたミサイルを撃ち落とすものでした。
もっと、直接兵器の効果を無効にできる発想の「道具」は研究されていないのかしら……。だって、「迎撃」はやはり攻撃と同じ道具を使うことで、同じ「道具の法則」の範囲に見えて……技術的にできないというより、「道具の法則」で発想が至らないだけなんじゃないかという感じもするんです。実際アイデアだけあっても、その方向にお金を出す人がいないと現物にはならないですし……この世界では。
…もちろん「(武器を)供与」するのは「今この瞬間に身を守るため・生き延びるため」で、戦争自体を停めるための「それ以外の方策」は考えられているはずです。頭のいい専門家や外交の実務家の方々が、いろんな選択肢を考えだせるのでは、と、素人の私は思います。あるいはそう望みます。
だけど、私には思いつかない方策がどこかにあるとしても、それが実行されるだろうか。これもテレビで聞いただけなので心もとないですが、「武器を売って一番儲けているのはアメリカ」というお話もありました。ますます「戦争を停める」という目的からは離れていく感じがします。資本主義と手に手を取って。
アーサー・ケストラーの言葉から
最近、若い頃に夢中になったいろんな本に再訪しているのですが、その中のひとつに『ホロン革命』があります。その中で、著者のアーサー・ケストラーがこんなことを書いていたのが思い出されました。
驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり。この落差こそ、人類の病のいちじるしい特徴である。(p.20)
さっきの防空システムの例でいうと、迎撃ミサイルを作る技術はあっても、別の方法で戦争を停めることができていないということがまさにそうなりますね。まるで人類はハンマーしか持っていないように見えます。そこまで野蛮なのでしょうか。自分を含めてそうではないと思いたいです。「今のところはできていない」のだと。同じ本の中に、こんな言葉もあります。
人類のもっとも恐るべき兵器は『言語』である。(p.35)
「うまい述語を編み出せば、仕事は半ば終わりだ」と、だれかが言っていた。(p.56)
ケストラーの考える「解決策」はまた別の意味で過激なものですが、詳しくは本をお読みくださいませ。(ちょうど新装版で復活しています。上記ページ番号もそちらに合わせております)
さて、先ほどの映画『メッセージ』では、ハンマー以外の解決策が成功します。それは言葉でした。もちろんあの映画の方策が現実にとれるとは思えません。が、その意味を抽象的に考えてみると、それは
「立場の違う者同士の間で、共通する基盤にまで落とし込んだレベルでコミュニケーションをとる」
ということでした。それが実際に権力を持っている人の間で可能なんだろうか。その基盤は今回の場合はどこになるんだろうか。
たぶん「生きたい・死にたくない」が最低限の共通ラインだと思ってきたんですが、プーチン氏についてはそれが成立しないレベルのお話(「ロシアが存在しない世界には意味がない」と言ったとかどうとか)も出ていて、一方でこの情報自体をどうとらえるべきか。(これ自体がロシアに対しての態度を誘導するための情報、という見方だってしようと思えばできます。それを押し進めていくと「何も信用できない」になるのだけど)
では次に考えられるのは? 少なくとも、国家の長が「国民によく思われたいorよく思われているという体裁を整えたい」というのはあるように見えます。屁理屈でもなんでも、「自分を正当化したい」というのはある意味「健康な」欲求だと思いますし。(この欲求が薄れてしまった場合、それは大変な問題だと思うのですが、それはまた別の話)
そういえば『メッセージ』では、エイリアンの言葉が「武器を提供」と解釈されると地球側は大騒ぎになりました。「武器」と「道具」が混同されているのではないかとか、地球人を分裂させて「分割統治」しようとしているのでは、という議論が出てきます。今起こっていることとすごく重なります。この映画はちょうどこの草稿を書いていた昨年4月上旬、そしてその後にもテレビ放映されていたので、インスパイアされた方も多かったのでは。(地上波であればもっとおおぜいの人がご覧になれたでしょうね。少し残念です)
この件に限らず、「これって『道具の法則』にハマってるのでは」「別の切り口があるはず」という感覚は、常に頭のどこかに置いておかなくてはいけないですね。とっても、とっても難しいことですけれど。小さな違和感を無視せずに、大切に見つめることが第一歩ではないかと思います。(こんな無難な言葉で締めくくること自体に違和感を覚えつつ……)