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2023/02/26

「負け組」を取り込む:ウクライナ侵攻に思うこと

引き続き、仕上げていなかったウクライナ侵攻関連の記事を。
今回は見聞きしたドキュメンタリーや新聞記事の感想とリンクです。


ロシアのドキュメンタリー感想(なぜか断捨離とつながる?)



NHKのBSで見たのですが、最近地上波でも再放送されましたね。すごくわかりやすかった! そして「それは利用するしかないだろうなぁ」とも。敵対する側からは「ロシアはエネルギー資源を武器にしている」となるけれど、持っている側にとっては「これしかない」でもあるし。自国の地の利や天然資源を利用するのはどこの国もやっていることなので、とりわけ悪いことのように色眼鏡をかけると読み違える部分も出てくる気がします。ただ、「ほかの国もやってるんだからやっていい」と悪い方に流されるばかりでなく、過去になかったあり方を模索するのが課題なんでしょうね。



昨夜BS2で見たばかり。すごくよかったので、こちらも地上波でやってくれないかなぁと思います。おおぜいの人の目に触れてほしい。動機として扱いやすい経済や「客観的な事情」より感情や本能のほうに寄り添った分析でした。ただ、それが起こった経緯はロシア一国ではなく、関係した他国との関係によるものだとも思うので、そこらへんをもう少し理解したいです。「ロシアって」と切り離して客体化した理解に流されそうな危うさも感じました。

でも一番印象に残ったのは、最後のほうで歴史家さんが言っていたこと。
はしょって書きますと、
「歴史家の自分が言うのは妙だけれど、国の指導者は歴史に学んではいけない。『あそこは自国の領土だった」とか「あの国にこんなことをされた」とか、恨みや憎しみが出てくるだけ」
…という意味のことをおっしゃっていたんです。(うろ覚えなのであとで確認できたら追記しますね) まさに的を射ている気がします。そして自分の頭のなかでは、本質的に「断捨離」と同じだなぁと感じました。部屋のリフォームや断捨離の番組、昨年くらいから好きでよく見てるんですけど、断捨離の発案者さんがよくこんなことを言います。
「今目の前にあるものを何とかしよう。どうしてこうなったとか、誰がこうしたとかいう『犯人捜し』は意味がない」
番組に出てくる部屋の持ち主の方が「これはママ/パパがため込んだモノだ(だからママ/パパの責任だ)」とか「親にこういう扱いを受けて育った(だから捨てられない/片づけられない)」とかいう方向にいこうとすると、こういう言葉が出てきます。「一国の事情」と「一世帯/一個人の事情」では規模がまるで違いますが、周囲との関係や感情の絡みに関しては、本質的に同じことのように思えます。

ドキュメンタリー自体は過去を知って今のロシアを理解しようという主旨でしたが、一番大事なのはあの歴史家さんのコメントだと思いました。「過去に学ぶ」って良いことばかりのようなイメージがありますが、それに感情がとらわれるという側面が当然ありますね。ならばないほうがいいけれど、感情ってそうはいかない。他者も自分も「自然にとらわれている」部分があることを、糾弾するのではなく「理解する」(単に受け入れるってことではなく)、それを前提として配慮に入れる必要がある、ということなんですね。。言うは易しですが、意識しないよりしたほうが一歩前進のはず……ですよね?

以前『報道1930』に出ていた、当時駐日ロシア大使だったガルージン氏(難しい日本語を使いこなしていることに驚きました)の言い分にもあったんですけど、「似たことをアメリカがやっても叩かれないじゃないか」というダブルスタンダードははっきりとあると思います。だからやっていいわけじゃない。でもそのダブルスタンダードの矛盾は、いわゆる「グローバルサウス」の人々が、昔自分の国を植民地にした国々にどういう感情を持っているかともつながるし、被害を受けているのが「見た目白人」の人々になったら世界の注目度やお金の集まり方がまるで変った、というあたりともつながります。これも当初から感じていた違和感の一つです。(その「世界」は自分も含めてのことですが……)

*     *     *

後半の新聞記事リンクは、昨年4月頃に書きかけて6月にまとめなおそうとしたものです。(区切りが入ってますが最後までそうです)妙な入れ子になりますが時間がないのでそのままにします。ご容赦くださいませ。

(あ、「過去に学ぶ」って書いてますね(笑)、でも考えが変わったところはありません。自分なりに感じていた方向性というか……「過去に学んで繰り返さない」と「過去の知識と感情にとらわれて同じことを繰り返す」では正反対ですもん)

「負け組」を取り込むこと

そうこうしているうちに、昨日の新聞に国際政治学者さんのインタビューが載り、この戦争には「解がない」とされていました。愕然というか「やっぱり」というか。専門家さんは「今の枠組み」について知り尽くしている方々だから、少なくともそこに解答を見つけることは難しい、ということだと思います。


でも大きなヒントは、この「失敗」(世界がこの戦争が起こるのを許してしまったこと)の原因が、「ソ連崩壊後にロシアを取り込んだ体制を作る努力を怠ったこと」だと提示されていたことです。そしてこの戦争のあと、「負け組を取り込んだ体制」を作ることが大事だと。それこそ過去に学ぶことで、人類が一歩前進することになるのだと思います。…でも今それを言うのは、やはり「遅かった」というしかないですね。これからを構築するしかない。でも可能性は常に「今」にしかないものですよね。


国際秩序のリアリティ:国際政治学者・藤原帰一さん


(藤原帰一さん。個人的には毎朝見ている『キャッチ世界のトップニュース』で映画を紹介してる人、というインプットなのでなんとなく申し訳ないです。えらい先生なのに。(^^;)でもそのおかげでこういう記事もとっつきやすくなりました)


経済制裁やロシア大使の追放が報道されています。「ロシアを孤立させる」が目的だそうだけれど、「孤立させる」が常に良策なのだろうか。どうしても、二次大戦時に国際連盟を脱退した日本のことが思い出されます。たまたまテレビで見た、松岡大使が啖呵を切って退場した白黒動画が目に焼き付いているんです。あれこそ失敗の瞬間。そのあと日本はどうしたでしょうか。別のつながりのルートが残っていること、あるいはこれから作られることを祈ります。国内でなんとかしてくれ、では済まない。



じつは上記の記事は、四月の初め頃に草稿を書いていたものです。当初感じていた「違和感」はまた別のものでした。その後見つけた記事なども自分の記録のために加えながら書きます。


*       *       *


その後「そうそう、そっちなのよ」と自分が共鳴してクリップした記事のリンクです。
たまたまうちでとってるのが朝日新聞なので、そこの記事に偏ってますがご容赦。(親がとっててそのまま継承しているだけなので他意はありません)

(論壇時評)フェミニスト外交 国家より人間優先の視点を 東京大学大学院教授・林香里
(2022/4/28)

まさにです。それなんです。国を問わず「一般の人々すべて」というくくり、その安全な生活を優先するという考え方がほしい。だから肝心なのは「ウクライナを支援する」ではないんだと思います。「人間を害すること」を停めるために何かをするべきなのに、やってることの方向性がまるで違うと感じます。今は完全に欠けている、これからの世代の考え方なのかもしれません。「人が考えを変えるというより、古い考えの人々から世代交代すること」で世の中の価値観は変わるとも言われます。でもそうあきらめたくはありません。環境問題もこの視点がないと進みにくいでしょう。


アフガン退避との差 なぜ「(耕論)ウクライナから「避難民」 小川玲子さん、石川えりさん、宮井健志さん」より(2022/4/27)

他の紛争で退避を余儀なくされた人々と、今回避難を強いられた人々の待遇に差があるのはなぜ? 見た目「白人」の「ヨーロッパの人々」への反応・待遇の差は当初から「違和感」の核にありました。もちろん「こんな時にそんなことを言う?」という空気にあらがうのは勇気がいりますね。


「前線に立たない自由」は:ウクライナ出国は「恥」、届いた中傷(2022/6/9)

「18歳から60歳の男性の出国は原則禁止」…ニュースでさらっと触れられたのを初めて聞いたときは、「今時そんなことが?」と耳を疑いました。そして報道されるのは、祖国のために喜んで戦うという人たちばかり。そういう人ばかりなわけないよね、と家の中では話していましたが、そういう切り口で大っぴらに話しにくい、という空気を感じました。恐ろしいことです。

2023/02/23

「すべてが釘に見える」:道具の法則とウクライナ侵攻に思うこと

じつは初稿を書いたのは昨年の4月で、なかなか完成できなかった記事です。この2/24で開戦1年。バイデンさんのウクライナ電撃訪問などもあって、当時感じた違和感は今も……というかますます大きくなっています。以下は映画や本が足がかりとなった素人なりの思索ですが、やはり(自分で整理するためにも)まとめておこうと思います。


思索のヒントをいただいた映画『メッセージ』と
アーサー・ケストラーの著書『ホロン革命』(左が新版)。


*     *     *


いつのまにか、「ニュースショーで軍事専門家さんの戦況分析を聞く」というスタンスが日常的になってしまったウクライナ危機。すごく違和感を覚えます。当初の「こんなことは止めなくては」「でもどうやって」という逡巡が、いつのまにか、スポーツ観戦じみた「戦況フォロー」にすり替えられてしまったような違和感です。


いつからこうなってしまったんでしょう。「戦況」を見聞きすること、ひいてはそれに「備えること」。こういう方向に思考が誘導されている気がして、自分自身慣れてきているのを感じます。「何が好ましいことなのか」について、世間一般の価値観が報道に引きずられて変わりつつあるような怖さも。このまま世界を巻き込んだ大きな戦争に向かっていくんじゃないか、という恐ろしい予感に対し、「どうしたらそれを止められるのか」という切り口があまりに見当たらないのです。


『メッセージ』と「道具の法則」

侵攻からまだ日が浅かった頃、ニュースで各国の対応を見聞きして、まず思い出したのがSF映画『メッセージ』に出てきた台詞でした。(映画は、地球にやってきた異星人の言語の解読とコミュニケーションを試みる女性言語学者のお話です。このブログではテッド・チャンさん原作ということで何度かご紹介していますが、このシークエンスは映画オリジナルです)

手元のブルーレイで確認したところ、次のような会話でした。シーンは、中国の人民解放軍内の会話をアメリカ軍が傍受し、中国がマージャンを比喩としてエイリアンとの対話を進めているらしい、と推測した主人公の言語学者と、軍人(両方アメリカ人)の会話です。(以下は字幕のメモ)


言語学者:「対戦型のゲームを教えたら、会話の基盤は”対立・勝利・敗北”。問題でしょ? ハンマーしか持っていなければ……」

軍人:「すべて釘に見える」


…実際のアメリカ政府の姿勢が、この台詞を言えるようなものであったならどんなにいいか……まあそれは置いといて、軍人さんが下(しも)の句を続けて言っているので有名な格言なのかな?と検索してみたところ、Wikipedia英語版にありました。


 "if all you have is a hammer, everything looks like a nail"

(持っているのがハンマーだけだと、何もかも釘のように見える)


残念ながら日本語版に翻訳記事はないのですが、「Law of the instrument」(直訳すれば「道具の法則」)というそうで、アブラハム・H・マズローの上記の言葉から大きく広まったそうです。が、概念自体はそれ以前からあるとのこと。(マズローの著作、若い頃ハマったことがありましたが、これは記憶にありませんでした。それにしてもこんなところで再会するとは。Wikiには「時代遅れ」とあって……複雑な気持ちです(^^;))


…話をウクライナ危機に戻しますが、初期に感じた違和感

「戦争を停める」がなんで「(武器を供与して)もっと戦わせる」になるんだろう?

という素朴な疑問でした。その後なされている経済制裁も、思考の枠組みが同じというか、対策の方針が「叩ける釘を探す」に限定されているように見えるのです。まさに映画で触れていた「道具の法則」です。それ以外の方法はないんだろうか。


小学生みたいなことを(実際直観的にそう考えたので)言いますが、スタトレとかに出てくる「シールド」とかバリアみたいな完璧な防御って今の技術ではできないんだろうか。前に、ウクライナのゼレンスキー大統領がイスラエルに提供を求めたという、「アイアンドーム」という防空・迎撃システムが報道されていましたが、この「ドーム」はイメージで、実際には飛んできたミサイルを撃ち落とすものでした。

もっと、直接兵器の効果を無効にできる発想の「道具」は研究されていないのかしら……。だって、「迎撃」はやはり攻撃と同じ道具を使うことで、同じ「道具の法則」の範囲に見えて……技術的にできないというより、「道具の法則」で発想が至らないだけなんじゃないかという感じもするんです。実際アイデアだけあっても、その方向にお金を出す人がいないと現物にはならないですし……この世界では。


…もちろん「(武器を)供与」するのは「今この瞬間に身を守るため・生き延びるため」で、戦争自体を停めるための「それ以外の方策」は考えられているはずです。頭のいい専門家や外交の実務家の方々が、いろんな選択肢を考えだせるのでは、と、素人の私は思います。あるいはそう望みます。

だけど、私には思いつかない方策がどこかにあるとしても、それが実行されるだろうか。これもテレビで聞いただけなので心もとないですが、「武器を売って一番儲けているのはアメリカ」というお話もありました。ますます「戦争を停める」という目的からは離れていく感じがします。資本主義と手に手を取って。


アーサー・ケストラーの言葉から

最近、若い頃に夢中になったいろんな本に再訪しているのですが、その中のひとつに『ホロン革命』があります。その中で、著者のアーサー・ケストラーがこんなことを書いていたのが思い出されました。


驚くばかりの人類の技術的偉業。そしてそれに劣らぬ社会運営の無能ぶり。この落差こそ、人類の病のいちじるしい特徴である。(p.20)


さっきの防空システムの例でいうと、迎撃ミサイルを作る技術はあっても、別の方法で戦争を停めることができていないということがまさにそうなりますね。まるで人類はハンマーしか持っていないように見えます。そこまで野蛮なのでしょうか。自分を含めてそうではないと思いたいです。「今のところはできていない」のだと。同じ本の中に、こんな言葉もあります。


人類のもっとも恐るべき兵器は『言語』である。(p.35)

「うまい述語を編み出せば、仕事は半ば終わりだ」と、だれかが言っていた。(p.56)


ケストラーの考える「解決策」はまた別の意味で過激なものですが、詳しくは本をお読みくださいませ。(ちょうど新装版で復活しています。上記ページ番号もそちらに合わせております)




さて、先ほどの映画『メッセージ』では、ハンマー以外の解決策が成功します。それは言葉でした。もちろんあの映画の方策が現実にとれるとは思えません。が、その意味を抽象的に考えてみると、それは


「立場の違う者同士の間で、共通する基盤にまで落とし込んだレベルでコミュニケーションをとる」


ということでした。それが実際に権力を持っている人の間で可能なんだろうか。その基盤は今回の場合はどこになるんだろうか。


たぶん「生きたい・死にたくない」が最低限の共通ラインだと思ってきたんですが、プーチン氏についてはそれが成立しないレベルのお話(「ロシアが存在しない世界には意味がない」と言ったとかどうとか)も出ていて、一方でこの情報自体をどうとらえるべきか。(これ自体がロシアに対しての態度を誘導するための情報、という見方だってしようと思えばできます。それを押し進めていくと「何も信用できない」になるのだけど)


では次に考えられるのは? 少なくとも、国家の長が「国民によく思われたいorよく思われているという体裁を整えたい」というのはあるように見えます。屁理屈でもなんでも、「自分を正当化したい」というのはある意味「健康な」欲求だと思いますし。(この欲求が薄れてしまった場合、それは大変な問題だと思うのですが、それはまた別の話)


そういえば『メッセージ』では、エイリアンの言葉が「武器を提供」と解釈されると地球側は大騒ぎになりました。「武器」と「道具」が混同されているのではないかとか、地球人を分裂させて「分割統治」しようとしているのでは、という議論が出てきます。今起こっていることとすごく重なります。この映画はちょうどこの草稿を書いていた昨年4月上旬、そしてその後にもテレビ放映されていたので、インスパイアされた方も多かったのでは。(地上波であればもっとおおぜいの人がご覧になれたでしょうね。少し残念です)


この件に限らず、「これって『道具の法則』にハマってるのでは」「別の切り口があるはず」という感覚は、常に頭のどこかに置いておかなくてはいけないですね。とっても、とっても難しいことですけれど。小さな違和感を無視せずに、大切に見つめることが第一歩ではないかと思います。(こんな無難な言葉で締めくくること自体に違和感を覚えつつ……)

2023/02/05

廃物DIYで机を新調☆

さらば古学習机…!

昨年12月、半世紀近く(!)使っていたスチールの学習机をようやく断捨離しました。棚を外したり塗装したりとアレンジは繰り返しましたが、よくある片袖机で足の入る部分が狭く、椅子だけ大人サイズのキャスター付きに変えてからはしっかり膝を入れることが難しくなってました。おまけに袖下のエッジが傷んで危険になり、コーナークッションを貼って前傾姿勢で仕事する始末。最近は腰に来てしまい、さすがにこれではいかんと。(^^;)


重くて一部はサビてるし、解体しないと部屋から出せないので一苦労でしたが、やっと解放されました。とはいえ、長年がんばってくれた机には感謝。一時は物置になったりしましたが、この上でいろんなものを描いたり書いたりしました。ありがとう!


スチール学習机解体中の図。
固着したネジ外しにKure5-56が大活躍でした☆


粗大ごみ収集日の記念撮影。
さらば学習机。長い間ありがとう☆


売ってないなら

で、その後新しいデスクを探していたのですが……。わりとワガママな条件があるので(置きたいのは窓に挟まれたコーナーで、壁側の幅は90cmずつ。それにプラスして細長いカウンター部分がほしい一人で動かせるように軽め希望)、希望に合う市販品が見つからず、連日の検索でヘロヘロになっていました。机を2台買って置くことも考えたのですが、間の脚が邪魔だし……。コーナーデスクだと端に余計な棚があったり、幅がありすぎたり、なかなか条件に合うものがなくて。妥協するしかないかなあ……とあきらめかけた先々週の土曜日、前からぼんやりとは考えていたことを実行に移す気になりました。

「捨てる予定だった板で机を自作」

どうせ捨てる板だもの、ダメ元でいいじゃん! …ということで。こういう規模のDIY工作は初めてです。出たこと勝負な感じで始めました。


大いなる遺産合板…

板は亡父が昔、パイプベッドのしなり防止のために敷いてくれたもの。おかげで沈み込みがなくなりありがたかったのですが、近所の工務店からもらってきたえらく重い合板だったので、動かすのが大変でした。おまけに一枚板なので湿気もこもる!(^^;) それを昨年軽いすのこベッド…というかマット程度の厚さの物に取り換えたので、板は不要になりました。でも亡父の思い出もあり、捨てるのが忍びなくて(それに有料の粗大ごみにするか、切り刻むかしないと捨てられないので……)物置に入れっぱなしになってました。それを利用することにしたのです。


室内でやったのでけっこう大変でした。
下にあるのが板と入れ替えた折り畳みすのこマット。
ベッドに乗せるのは本来の用途ではないけど快適に使えています。

 

切ったり貼ったりオーダーメイド


いざ切断開始……と、想定外の事態が。電動のこぎりが板に噛まれて止まってしまう!(あとから見たら充電が足りなかったようなんですが……(^^;))とにかく手ノコに変更し、作業負荷が爆上がりしました。でもカーブを切ったことを思うと、このほうが小回りが利いたかもしれません。

最初に切ったのは窓のカーテン分の切り欠き


人間工学に基づいた(嘘)カーブや角を紙やすりがけ。
もうちょい深いカーブにしたかったんですが、
裁縫用のカーブ定規で印つけしたのでこんな感じに。
いずれにしろ、手ノコでこれ以上深く切り込むのは無理でした。


最初はDIY用のテーブル脚を買って付けるつもりだったんですが、余ってる折り畳みテーブルと使っていたワイヤーシェルフ(100均パーツを組み立てたミニサイズ)がちょうどいい高さなので、そこに乗せるだけにしました。おかげでさらにコスパ向上(笑)

折り畳みテーブルとワイヤーシェルフで支えたところ。
高さ合わせのため、余っていた100均すのこを
テーブルに乗せたらぴったりでした。


左の「カウンター」部分との間にも支えが必要かと思っていたんですが、案外安定しているのでこのままでいくことにしました。足元がかなりすっきり。すごくいいです!

余ってた100均のリメイクシートを張り白くしたところ。
北側の暗い部屋なのでなるべく白くします。

フチの角が痛いかな、と100均のクッションバー(別用途で買って余ったもの)を手前に張ったのですが、いざ使ってみると邪魔でした。リメイクシートを貼っただけでも角は痛くなかったので、クッションバーは奥側のカーテン際など、ペンが転がって落ちると面倒なところに移動。

出来上がり♪
余談ですが、ネコ模様のカーテンは防寒のため付けた
100均のシャワーカーテンです。(笑)


(結果的に)コストゼロ♥


…で、まさかの一日で完成! オーダーメイド(?)なのでかなり理想に近くなりました。以前はPCを使わないときに目の前にディスプレイがドンとあるのがいやだったんです。これならカウンター部分にずれると視界から消えてくれます♥(これはその後、ディスプレイを100均園芸用キャスター台に乗せたことでさらにフレキシブルになりました♪) カウンターもこだわったところで、行きつけのドトールのカウンターがこれくらいの奥行。うーん、あそこに行くと集中できるのは余計なものを置けない狭さのせいかも?と思い真似てみました(笑)。(背後にベッドを置いてるので、両方の条件をすり合わせた奥行でもあります)目の前が窓で明かりが入る、という机の配置は自室では初めて。とても新鮮です。

ディスプレイなど仮置きしたところ。
その後少し変えましたが、写真では
棚の上にVHSプレーヤーが。(データ化作業中☆)
ライトが上向きなのはエセ間接照明のため(笑)。

クッションバーの貼り方が雑ですが、
このカーテン分の切り込みが自分にとってポイントです♪

手持ちの余り資材でできちゃったので、新たなコストはゼロ。捨てるはずだった父の板を活かせたのも、ちょっとした満足感があります。

ベッドの下敷き板としては重すぎて持て余していましたが、デスクとしてはこの重さ・硬さのおかげで安定しています。じつは外のラティスにするつもりで5cm幅で二本切り出していて、(そちらは不要になったのですが)その分右側の出っ張りが希望より短いです。が、これくらいはオーライです。

翌日、さらに翌々日あたりはひどい筋肉痛に見舞われましたが(^^;)、やればできるな自分、と自分を褒めてやりました。シロートの初仕事にしては出来過ぎなくらいです。これで弾みがつき、他のこともいろいろ手を出すことに……そちらはまた改めて。