2014/04/26

ナショナル・シアター・ライヴ『コリオレイナス』感想

はじめに

見てきました、ナショナル・シアター・ライヴ『コリオレイナス』マーク・ゲイティスが出ている、という理由で見に行ったミーハーですが(笑)、意外にも見ていて印象に残ったのは演出や上映形態の工夫でした。そのへん含めて、覚えている限りで書きだしてみました。またラストまで書いちゃってますので、これからご鑑賞の方はご判断下さい。

本編前にうまい導入の工夫があるので、予習なしでも大丈夫です。もともとシェイクスピアでもマイナーなお芝居ですし、若いファンがたくさん来ることが予想されるキャストですから、そういうアプローチになるのは自然でしょう。「わるい意味の敷居の高さ」はまったくありませんでした。個人的にはあまり予習「したくない」ほうなので(笑)、ゲイティス兄出演のニュースがあったときに(まさかあとで日本で見られるとは思わず)、同じ原作をレイフ・ファインズが監督・主演した『英雄の証明』を好奇心で見ていただけです。(ファインズ版はレビューがイマイチで、たしかにチープな印象でしたが、追放される場面をテレビスタジオにするなど、「現代版」のアイデアが面白く感じました。オーフィディアスがジェラルド・バトラー、母親役がヴァネッサ・レッドグレーヴなどキャストも豪華でした)戯曲はGutenbergの無料テキストで、映画の印象的だった台詞を拾い読みした程度でした。見た後に、上演版の脚本を買いました。(参照した脚本やサイトのリンクは末尾にまとめてつけておきますね)

今回の感想は各トピックを書き出して覚え書きをしたので、あまり全体がつながってません。リサーチも不十分なんですが、忘れないうちに印象を書き留めておきます。(一回見ただけでうろ覚えもありますので、そのへんはご了承下さい)

National Theatre Live: Coriolanus trailer (2)


全体・俳優さん

物語は、高潔さ・自らの信条への誠実さゆえに大衆と敵対する英雄の悲劇。政治とか大衆とか影響力がありすぎる母とか、いろんな要素がつまったお芝居でした。でもアタマより脊髄にくる引力は、主演の旬な人気俳優の肉体。これがお芝居の大黒柱としてどどんと立っていた気がします。トム・ヒドルストンて人は案外大柄で逞しい体つきなんですね。ゲイティス兄と並んで背がほとんど同じという長身。とくにファンではないんですが、この立派な肉体が血まみれになったり、本水浴びたりというインパクトはすごくて、それが引き立つ演出でした。大衆に票を乞うために、薄ものの粗末なトーガ一枚にさせられるところでは、体つきが透けて見えるようにライトを当てられてます。こういう要素ほんとに大切だな、とまじめに(笑)思いました。

ヒドルストンは若くて目が大きくて愛嬌がある顔つきなので、コリオレイナスの高潔な生硬さが、「大人の事情」に妥協できない若さとも見えてきます。これはもっと高い年齢の俳優では出ない雰囲気でしょう。(じっさい、普通はもっと年上の俳優が演じるらしい)母にほだされる場面なども、レイフ・ファインズと比べてもニュアンスが違いました。

見に行った目的だったマーク・ゲイティスは、主人公を息子のように愛してきた親友の貴族メニーニアス役。「老」メニーニアスとまで言われるし、「息子よ」と呼びかける台詞からしても、これも通常はずっと年上の俳優の役。メイクは目の下に色を入れている程度で、演技もたいして老け作りにはしていないので、見た目どおりの年齢差として演じられたものと思います。ゲイティス兄が見られたので文句はないですが(笑)、役としてはやはりもっと年のいった俳優のほうが合っていたと思います。「息子」の台詞は比喩として有効だけれど、後半コリオレイナスに拒否されるくだりは、老人であればもっと深い哀れさが出ただろうなあ、とちょっと思いました。でも別の情緒は出ていたので、これはこれとして出来上がっていたと思います。逆にいうと、コリオレイナスと年齢が近いメニーニアスだとこういうニュアンスになる、という珍しい例になるのかもしれません。

Donmar warehouse

このお芝居のもう一人の主役はこの劇場かもしれません。「Warehouse(倉庫)」という名の通り、元はバナナの倉庫だそうで、冒頭にバナナを運搬している古いモノクロフィルムが流れました
。客席は左右と前方にあり、狭くて高さのあるすりばち状の空間に見えました。舞台袖もカーテンもないです。飾り気のない空間が客席を含めて議場にもなり、戦いを見物するコロシアムのような場にもなります(この物語の時代はまだコロッセウムはなかったそうですが)。現代の壁の落書き(スプレーで文字がかかれたアレ)を模したという壁はラフで、お芝居全体のトーンを作っていました。

導入・人物・テーマ・文法

今回はナショナル・シアターのCMはなし。すぐに本編付属の導入映像が始まりました。
主演のトム・ヒドルストン、共演のマーク・ゲイティス、演出のJosie Rourke、衣装/美術のLucy Osborne(両方女性なんですね)らのコメントや、イメージ映像が入ります。言われているとおり、シェイクスピア劇のなかでもあまり知られていないタイトルだし、この導入部は必要だったと思います。「ローマ」と聞いて甲冑らしきものをつけた人物が出たら、ローマ帝国を想像することが多いと思います。でもこの芝居は帝国になる前の古代ローマの話。イタリアにたくさんの小国がある時代だと主演のヒドルストンが語ってくれます。おかげでこちらは、「ローマっぽい名前の人同士が戦争をしている」話にすんなりと入っていけます。主人公が傲慢で独裁的、同時に高潔さを持つ人物であることもあらかじめ教えてくれます。

物語は政治と議会も扱います。マーク・ゲイティスは現実の政治の場での印象的な出来事として、ロシアで発言中の人物に突然銃が向けられたエピソードを話し、その実際の映像も流れます。このお芝居が化石のような古典物でなく、近・現代にもあてはまるリアルなテーマを扱っていることが伝わってきます。

一番最初は、少年が出てきて床に血の色で大きな四角を描きます。出演者ほぼ全員が舞台エリアの奥に一列に座り、ライトの当たっているこの四角のなかに出てきて芝居をします。このお芝居全体の「文法」がここで設定されるんですね。待機中の俳優がそのまま後ろの壁の前(ライトは当たらない場所)に座っている、という演出が随所に入っていました。切り替えは基本的に暗転でしたが、見える状態で俳優たちが座っている椅子を持って移動したり、行進するように退場したり、という見せ方に、独特のリズムと力強さを感じました。


原作戯曲と字幕

Gutenbergからダウンロードした元戯曲は「コリオレイナスの悲劇」(The Tragedy of Coriolanus)というタイトル。ダイレクトに物語を表現しています。主人公は古代ローマの将軍マーシアス。タイトルになっている「コリオレイナス」は、コリオライという街を制圧した武勲に対して与えられた尊称。この栄誉を受けたところから、主人公は自分の本領である戦闘以外のこと、とりわけ本人が軽蔑している「大衆」に媚びることを強いられます。悲劇はここから展開していくので、「マーシアスの悲劇」というより「コリオレイナスの悲劇」なんですね。

導入部も含めて、「シェイクスピア劇」「古典」という意識なしに入り込める作りでした。扱われているのはどの時代にも通じる話で、演出も現代的です。(もちろん、英語圏の方は言い回しの古臭さを味わえるのでしょうけれど。でも字幕は現代語ですので、普通の映画と同じ感覚でした。文字の欠けや変換ミスがちょっと多かったのが残念かな…あと、タイミングも。間に沈黙が挟まる台詞が一つの字幕で書かれていて、数秒出っ放しなこととかあって。次の台詞が目に入ってしまうのがちょっと興ざめでした)


大衆

始まりは食料不足から起こる市民のデモ。この大衆というものを、マーシアス(のちのコリオレイナス)は軽蔑しています。彼にとっては、戦いもせずにすごしている者たちは、元老院に要求などする資格がない。イマドキには流行らない考えですが、彼の台詞はいちいち的を得ていて、反民主的でありながら共感も覚えました。

コリオライ征圧で栄誉を得て「コリオレイナス」になったマーシアスは、気乗りのしない執政官選挙に出て、市民の票を乞うよう強制されます。ここで彼は市民への軽蔑を隠せません。コリオレイナスの言い分は高潔である意味筋が通っていて、それでいて反民主的。大衆の権利を否定します。それが反感を買い、英雄転じてローマから追放されることになります。この過程は、本当に今でもいろんなところで見られる構図。(皮肉にも、政治の例は思い出せないけど…)

オーフィディアス

ローマと敵対し、たびたび戦闘しているヴォルサイ人の将軍オーフィディアス。ローマから追放されたコリオレイナスは、殺される覚悟でこの敵将を訪ね、敵の軍を率いてローマを攻めようとします。この二人の「絆」は特別なもので、強敵であるがゆえに相手を認めているという萌え構図。それにしても熱烈なものがあります。唇にキスまでするのは今の目では強烈。(昔だとわりとあるのかも?)これも官能性とナラティヴが手をとって相乗効果をあげている好例。腐属性にはもう鼻血ものです。(なぜかこういうシチュエーションはゲイという設定より萌えるんですよねえ…)


ローマを攻撃することをやめて、和睦をはかってほしいと頼みに来る母。元は武勲を重んじて、戦場で息子の体に傷が増えるのを勲章のように喜び、誇っていた「強い」母親。コリオレイナスが母に折れて和睦すると言ったとき、この母親は愕然とした顔をします。それで息子がどうなるか、その時予想がついたかのようです。


血だまりと鎖

ラスト、コリオレイナスは殺されますが、このシーンがじつに印象的にできていました。これもこの劇場ゆえの演出かなあ…。縦に長い空間に、コリオレイナスは鎖でさかさまに吊るされます。喉(?後ろ向きなので見えませんが)を掻き切って噴き出すコリオレイナスの血を浴びながら、オーフィディアスが最後の台詞を言います。コリオレイナスによって夫や子供を殺された人々も、彼の高潔さを忘れないだろう、という台詞。じつにビジュアルが強烈でした。(オーフィディアスは血をうまく浴びるために、位置を微調整するのがたいへんそうでしたが(笑)。もう少し高く吊るせなかったのかな)

コリオレイナスが吊るされた鎖とその下にできた血だまりは、うろ覚えですが、カーテンコール(カーテンはないけれど)のあと、(映像内の)観客の退場中もそのまま置かれて、しかもライトが当たっていたと思います。(上映用にそう編集されたのでなければ)。これがとても雄弁で、ほんとに印象的でした。

(ラストの演出については、じつは事前におおらかなネタバレがありました。たまたま今週初めに放映された『トップギア』のゲストが、このお芝居を上演中のトム・ヒドルストンだったんです。で、MCのジェレミー・クラークソンが、ジョークの前フリで「吊るされて血まみれになるそうだけど」とあっさり…ヒドルストンは「スポイラーだ」と苦笑してました。まあカットされてなかったということはOKなのかな?(笑))

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ばらばらな覚え書きでまとまりませんが、とりあえずこんな感じでした。(ほんとにメモですみません。スパコミ追い込み中なので☆(^^;))

上演脚本がAmazonで販売されていたので、昨夜kindle版を買いました(劇場でのパンフ的なものは今回もなし)。元の戯曲を今回の上演用に編集・短縮したものだそうで、台詞は見た限りでは元のテキストに忠実。でも古い単語が今の単語に替えられてるところもありました。(少なくともhaue→haveになっている箇所はありました)。前にダウンロードしたGutenberg版は当然ながら旧式で、役名の表記法もわかりにくかったので、こちらのほうが参照しやすく感じます。中にキャストやスタッフ一覧、初演情報なども入っています。



無料のGutenberg版はこちらからダウンロードできます。
(上演脚本はこれを編集したものです)
The Tragedy of Coriolanus by William Shakespeare (Gutenberg)



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