2014/02/27

ナショナル・シアター・ライヴ『フランケンシュタイン』ベネさん怪物バージョン感想+メイキング、再上映決定ニュース

感想の前に…フランケンシュタイン再上映と、マーク・ゲイティス兄も出ている『コリオレイナス』(主演はトム・ヒドルストン)等今後のナショナル・シアター・ライヴ日本上映予定決定のニュースがありましたので、リンクを貼っておきます!わーいめでたい!

『フランケンシュタイン』再上映、『コリオレイナス』など「ナショナル・シアター・ライヴ 2014」の日本上映ラインアップが決定 - 2014年2月 - 演劇ニュース - 演劇ポータルサイト/シアターガイド 
いくつか同じ内容のニュースページがあるんですが、ここは一番写真が多いので(笑)ただ、日本橋他となってて他にどの劇場でやるのか詳細がわかりませんね…ニュースページでなく、常に最新の予定がわかる公式ページがないかと探してるんですが…東宝サイト内にもまだないですね…

トレイラー:National Theatre Live 50th Anniversary Encore Screenings: Frankenstein trailer 2



メイキングがYoutubeに上がってました!劇場で冒頭に上映されたのはこれを編集したものだったんですね。実際の舞台の映像も見られます!


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イベントやらなにやらでなかなか書けませんでしたが、ようやく感想を書きます。ベネさん怪物バージョン。(例によって記憶に頼ってネタバレも書いております。うろ覚えの部分もあり、台詞その他は正確でないところがあると思います。覚えている大意で書きますので、ご了承下さい)前回のミラー怪物版の感想で、原作とのおおまかな比較などは書いたので、今回はミラー版との比較などを中心に、印象に残ったところを書きます。またもや長いですが(^^;)、お許し下さい。

ベネさんの怪物はやはりミラー版とまったく違う解釈で、ヴィクターを演じるジョニー・リー・ミラーカンバーバッチとは違う解釈二つのバージョンを見比べるという贅沢な体験はエキサイティングでした!…加えて二回目のせいもあるのか、脚本・台詞自体の持つ意味付けなどが伝わってきて、これまた新しい視界が拓けた感じでした。

今回は客席も暖まってる感じで、収録された観客の笑い声も多かったし、それに呼応したリアルの客席の反応もあり、最後のカーテンコールの拍手も少し長くできました。(前回はほかにしてる人があまりいなくて早々にやめてしまいました(^^;)。拍手って観客側の連帯感も生まれて好きなんですけど、ほかの人がしてないと恥ずかしいんですよね…連帯感もないわけだし。もっと思いっきり拍手したかった!)今回は上映前についてた映画の予告編が、ベネさんも出演している『それでも夜は明ける』や『ホビット』だったため、前回のようなシラケ感もありませんでした。(笑)

…そうそう、前回記憶から抜けてしまった、冒頭のショートフィルムでベネさんが言っていた言葉…怪物の演技をするうえで参考にした「リハビリ」を観察しての感想は、「痛々しくていとおしかった」でした。怪物もそうだと言っています。


さて、本編…冒頭の怪物誕生からやはり違いました。「リハビリ」を参考にした成果でしょうか、ミラー版がビクビク痙攣する新生児のようだったのに対して、関節の曲がる方向が変だったり、筋肉がへんな方向にひきつっている感じ…ちょっとゾンビのような怪物を連想させる動きでした。のろのろしてるわけじゃないんですが…。(死体から作られてるんですからある意味確かにゾンビとも言えますね)ミラーほどの激しい動きではなく、ファンタジーものに出てくる醜いクリーチャーのような感じもしました。「だんだん神経の配線がうまく機能し始める」という感じもよく出てました。そしてなんというか、すごく「リアル」でした。死体を継ぎ合わせて生まれた生き物なんて見たことがないけど、たしかにこうだろうなあ…と自然に受け取れました。

ミラー版との比較で一番「これは違う」と感じたのは、前回印象的だったシーン…完成間近の女の怪物を見た怪物が、彼女を「愛している」と言うのに対し、ヴィクターが愛はどんなものなのかと聞くシーンです。今回の怪物は、自分が知らないそれ(愛)を「読んだ本から一生懸命思い出して引用している」ような演じられ方でした!うわーまったく違う!とにかくここで愛を理解していることを示さないと「あれ」がもらえない、だからがんばってそういうふりをしている…という感じで、かわいらしささえ感じました。

この怪物はその前の盲目の老人のところで、いきなり教養度の高い本を読んで、経験が伴わない言葉だけの知識を詰め込んでいます。純粋培養な分、つらい体験が歪んだ行動に向かわせているのであって、生来の「悪魔的」要素は無いに等しい。原作でも怪物のほうが人格的に創造者を上回っている、というのが感じられて、その皮肉も味わいになってたんですが、それに近い方向が感じられます。(ただ、怪物もヴィクターも多少原作より矮小化されているので、原作にあったような「怪物の人格のスケール感」までは感じませんでした。これはラストが変わって二人が鏡像構造になったためで、原作に劣るという意味ではありません。キャラは原作とは別物になっています)

ミラー版の怪物は、それを「今自分が感じている」と、少なくとも怪物自身が信じ込んでいる、ストレートな感じがしました。今初めて見たものを愛してるもなにもないんですが(笑)、「あれ(女のクリーチャー)がほしい」=「自分はそれを愛している」ととにかく飛躍してしまって、その矛盾を怪物自身が認識していない感じです。(これはリアルにあることだと思う!)でも勘違いだろうが、言葉自体がなにかの引用だろうが、怪物自身の言葉として聞こえました。今回の印象は180度と言っていいくらい違います。

そして当然それを受けるヴィクターも違うんです!怪物の言葉を信じてるようには見えませんでした。愛情を学んだ怪物を誉めるようなことを言いながら、むしろ皮肉を言ってるように見えて。「そう感じるのか」と言いながら、「ほんとにそんなことを感じるのかおまえ。嘘だろう」と本心では思っている感じ。だから前回感じた「ヴィクターから怪物に対する嫉妬」はまったく感じませんでした。そのかわり、より男性的で攻撃的「悪意ある残酷さ」が感じられました。知りもしない「愛」を、何かを引用して知っているものと嘘をついている怪物は、ヴィクターを騙そうとしているわけです。だからヴィクターが「生意気な」と思うのも自然。それを懲らしめてやろうという雰囲気も感じました。考えてみたら、ヴィクターは禁書を読みふけって死体泥棒をさせる「ヤバイ男」なんですよね。ミラーは意外にもベネさんより身長が低いのですが、ヤバさ・力強さ・骨太感がありますね。ここでは自分自身が愛というものを知らないという自覚はないように見えて、それが出るのはラスト、台詞でそれを述懐するタイミングと一致していました。

前回のベネさん版ヴィクターは、この場面で自分自身が愛という感情を知らないことに気づき、「そういうふうに感じるものなのか」という感じで受けていました。(自分はそう感じました)同じ台詞で、ぜんぜん違う意味になってるのが面白かったです。

脚本上の「台詞の妙」を初めて感じたのは、盲目の老人のシークエンス。老人が「楽園(Paradise)」という言葉と綴りを怪物に教えたあと、怪物の頭を初めて触って、親はどこにいるんだ、と聞くところ。このあと会話がかみ合わなくて、怪物は今覚えた言葉パラダイスを無邪気に口にするんですが、怪物が意識していない(ように見えた)この言葉が、脚本上は皮肉として利いてるんなんだな、と…。今回初めて分かりました。(^^;)前回はただ、子供が今覚えた言葉を面白がって繰り返していて、会話がかみ合わないという感じでだけ見ていたんですけど(そして今回もそこで笑いが起こってたんですけど)、今回はそのギャグ(?)に両親(なんてものはいないけど、概念として)はパラダイスにいる、という皮肉なんだなあと…そんなに重く受け取るシーンじゃないんだと思いますが、なんだかすごく泣けてしまいました。

あとで怪物がヴィクターと体面する場面では、ミルトンの『失楽園(Paradise lost)』も引き合いに出されますから、このイメージは怪物の「親なるもの」(自分を生んだ、無条件で愛してくれるはずの存在=怪物の場合は近似的にヴィクター)がいるはずの楽園から追放された、というイメージにもつながります。そこでは怪物が『失楽園』をなかなかよかった、と言います。(客席の笑いをとってました(笑))、ヴィクターは「アダムに共感したのか」と聞きます。たぶん創造者の驕りというか、「最初の人造人間」の栄誉に浴している怪物が、「最初の人間」であるアダムに共感するんじゃないかと、自分がした扱いを忘れてお門違いの期待をしているようにも思えます。このへんにもヴィクターの自己中心的な未熟さが表現されてるように見えました。怪物はサタンに共感したんだ、と言います。原作でも失楽園についての話は出ますが、怪物の語りだけでヴィクターの質問はないので、ここも今回のオリジナル要素ですね。

もう一つ、「台詞の妙が前回わからなかったけど今回わかった」のは、エリザベスが死んだあと。ヴィクターの父親が、ヴィクターがこんなふうに育ってしまったのを嘆いて「失敗した」と言います。これがヴィクターが怪物を醜い出来損ないとみなしているのと呼応して、怪物とヴィクターが鏡像である、という構造を強調していました。鏡像構造は今回の脚色のオリジナルですし、そもそもヴィクターのキャラも違うので、原作にはないこういう台詞を父親に言わせてるんですね。前回はこれは意識に上りませんでした。

…ヴィクターの弟ウィリアムを捕まえるところ。ここも心理的段取りが違うように思いました。ベネさんの怪物は、ほんとに友達がほしい、というのが先にきてる感じに見えたんです。それが、友達を作るのが下手な、どうやって人とつきあったらいいかわからない…という心理に一般化できる印象でした。怪物のような条件になくとも、相手との間合いの詰め方がわからない、という不器用さは現代人にはよくあることなので、ここの怪物には大いに共感できました。そしてとても痛々しかった…。

怪物がヴィクターの婚礼の晩に花嫁エリザベスのところへ侵入し、その後レイプしてヴィクターの目の前で殺すシーン今回の舞台のオリジナルです。原作ではヴィクターは「あとから」遺体を発見し、そこには怪物はいません。首の絞殺された跡と、怪物が顔を見せて死体を指差すことで怪物の犯行とわかるだけです。怪物とエリザベスが会話をしたという記述もありません。


舞台版の怪物はまずエリザベスと話し、彼女を自分が初めて出会った、思いやりをもった理解者(目の見える人では初めてですよね)だとわかったあとに、彼女に謝って蛮行に及びます。(エリザベスはナオミ・ハリス。たしかラジオドラマのNeverwhereでもベネさんと共演してましたね♪)これは前にヴィクターが怪物の「花嫁」を切り刻んだことへの復讐ですが、ここでは怪物自身が得たもの=理解者でもあるエリザベスを、あえて「ヴィクターの目の前で」殺して見せるという、かなり心理的に複雑な脚色になっています。復讐であると同時に、怪物にとっても心理的な拷問でしょう。(でもヴィクターから憎まれている限り、頭越しにエリザベスとのつながりを得ることなど元から不可能ですし、全体がヴィクターの関心を自分に向けるための行動でもあります)
ここでやはり、怪物のほうが繊細で心理的に成熟していることが伺えます。怪物の花嫁を「殺した」時のヴィクターは、たしかに自分の創造物を失ってはいるのですが、あの場面ではその喪失に対して感情的な痛みなど感じていなかったはずです。ここでの怪物は自分の蛮行を自分で憎み、銃を向けたヴィクターに殺してくれと懇願(と同時に挑発)します。

頼むから殺してくれというここの台詞には、ちょっと不吉な予感が漂います。それがはっきり台詞に出るのはやはりラスト。死んでしまった(ように見える)ヴィクターに、怪物は自分は死ねるのか、と聞いていたと思います。ヴィクターが凍死しかけるような北極圏で、この怪物は薄着・裸足のまま動いていますから、もしかしたら普通の方法では死ねないのかも…。こんな残酷なことはないでしょう。

でも舞台版のラストの怪物は、妄想だろうが現実だろうが、一番愛されたかったヴィクターが彼を生きがいだったと言い、殺すと言って追ってくれるんですから、原作の怪物と比べてとんでもなく幸福だと言えます。だから歪んだハッピーエンドでもあるんですね。「鏡像」としての二人、という構造も完成します。萌えという言葉では軽すぎるんですが、そういう感覚の強烈なバージョンが起こるラストでした。(自分にとってはJUNEがこれです。まさにこれです!でも原作のラストのアンハッピーエンド…最後まで両者が向かい合うことが無い構図…は、さらに強烈でこれまた好きです…!)

…総じてベネさん版の怪物やりとりごとの解釈が細かく、緻密な印象でした。あと、発声が素晴らしいのを実感しました。もともと声は武器の方ですが、いわゆる舞台劇の張った発声も素晴らしかったです。そして笑わせる部分が意識して作られていて、緩急がありました。
ミラー版の怪物は、全編通してもっとストレートで荒々しく、勢いがある感じ。頭より先に体が動いて、心理的にはより矛盾が少なくて、表現は男性的で力強い。これは役が入れ替わってもそういう印象でした。バージョンが変わってもキャラクターは同じ台詞を言うんですが、その台詞を本人(キャラクター)が信じて言っている部分、口先だけで言っていて本心は別にある部分が、両者でかなり違うんです。この対比はほんとに面白かったです!

再上映が決まったのはほんとに嬉しいことです。(見たあとは、「これだけの公開だなんて勿体ない!」とほんとに思いました。作品として大勢の方の目に触れればいいのにと)ここに書いたのは自分の印象にすぎないので、見る方によってまたいろいろなイメージが出てくると思います。とにかくこんなものを見せていただけたことに感謝です!!(ああ語りきれない!)

2014/02/26

大満足♪カイル・マクラクランがケイリー・グラントに扮する優しいゲイ・ムービー/『ボーイ・ミーツ・ラブ』(2004)

いやー、すごくよかったです!気分転換したくてゲイ・ムービーを漁っていて(笑)、カイル・マクラクランケイリー・グラントに扮し、ゲイの青年にアドバイスを与える」という説明だけで借りてしまったんですが…本編見てすぐ音声解説も聞いてしまいました!なんとなく借りたにしては大当たり!主人公は現代の青年で、「ケイリー・グラント」は主人公の想像の産物として出てきます。楽しくてかつリアルがいろいろ詰まった、全体的にはハートウォーミングな物語でした。原題は"Touch of Pink"。インディペンデント映画だそうで、ジニー賞ほかで4部門ノミネート。音声解説に監督イアン・イクバル・ラシード、主人公を演じたジミ・ミストリー、そして助演のカイル・マクラクランが出ています。



主人公のアリムくんの設定が複雑で、人種はインド系、生まれたのはアフリカ、育ったのはカナダ。今はロンドンでフォトグラファーをしていて、ゲイで白人の恋人と暮らしている…という人です。カナダで離れて暮らしている家族や親戚にはゲイであることは言っていません。で、母親が結婚を急かしにロンドンにくるんですが、アリムは事実を言えず、同居している恋人を単なるルームメイトと紹介します。この過程で恋人との関係もおかしくなってきます。

…この恋人がほんとにハンサムで優しくて気配りができるパーフェクトな人で、母親とも打ち解けようとします。…しかし表面上あまりに完璧すぎるんですね。で、この彼がユニセフで働いている、というのがちょっと皮肉に利いています。「ケイリー・グラント」がアリムの母親を「第三世界(日本語字幕では「遠い国」)から来たイスラム教徒」と言うんですが、それはアリムが言うように、アリム自身にも当てはまることなんですよね。ユニセフで働いている「完璧な彼」は、相手が「第三世界から来たイスラム教徒」だからこそ、ここまで優しく接しているんじゃないか?平たく言うと「いい人」な自分が大好き、というタイプじゃないのか?と、ちょっと勘ぐりたくなる場面もありました。あとのほうでちゃんとそれも台詞に反映されてました。もっと軽いノリかと思ってましたが、ちょっとここで深みが出ました。
でも基本的に本当に愛し合ってるカップルなので、こういういろんな要素の絡み方がリアルに感じられました。この恋人の妹が、「兄には元彼以外に実質的な友達はいない」とサラリと言うんですが…このへんもよく考えると深いかも。

マクラクランが演じる「ケイリー・グラント」は、主人公にしか見えない「想像上の友達」。そういうものを持ったまま大きくなってしまったナイーブな感じが、主人公にはよく出ていました。「ケイリー・グラント」は要所要所でアリムにアドバイスや激励を与えますが、見る前に想像した「アドバイス」とはちょっと角度が違ってて、そこも面白かったです。

なんでいきなりケイリー・グラント?と途中までは思ったんですが、後半でこの理由もちゃんと着地してました。マクラクランは最初グラントには見えなかったんですが、あのアゴはほんとに似てて(笑)、ハンサムだけどすごくユーモラスでした。(グラントも二枚目だけどユーモラスな役がうまいですよね)マクラクランの現実離れした雰囲気が活かされていたと思います。音声解説でも「違う時代から来たような」とか「生まれるのが20年遅かった」とか面と向かって言われてました。異世界の人でなく「普通の人」の役だと違和感あるくらいですよね…(笑)

母親は19歳の時に息子を生んだという若い母で、彼女なりのドラマがあって、けっしてステレオタイプになってないです。「第三世界から来たムスリム」で想像するようなキャラではまったくなくて、そのうえ美人!

「ケイリー・グラント」主人公のおばさんにあたるキャラがコメディータッチなので重くならないんですが、主人公と恋人、母親との関係はリアルな問題を描いていて、細かいところまでよくできてると思いました。監督が脚本も書いていて、やはりご自身がゲイでインド系。(映画のなかに「彼氏」も映っています)アリムはご自身の分身だそうです。特典映像のインタビューで、古いハリウッド映画が子供の頃から好きだったんだけど、それらの映画が自分のような観客を想定して作られてはいないことに疎外感を感じた、だから自分のような人間が主人公の映画を作りたかったと語っています。この視点は「洋画好きの日本人」にはすごく共感できるところでした。(…もはやその差に慣れて、洋画に出てくる「勘違いされた日本人キャラ」を笑って面白がる、くらい歪んだ(?)スタンスになっちゃってますが(^^;)、本来想定された観客ではない、という感覚は当たり前のようにありますよね。とくに古い映画では…)

…期待してなかったのもあるかもしれませんが、ほんとによくできてて、楽しくてセクシーで(裸のキスシーン程度ですが、恋人役の人がもう、ホントに色っぽいので(笑))、お話もリアリティーがあり、かつ重くなりすぎないナイスな映画でした。イベント後の疲れをとりつつ見るにはドンピシャでした!(笑)

…あえて映画の欠点を探せば、「ヘテロはみんな偽善者か~い!」というツッコミもしようと思えばできます…が、まあ好きこのんでゲイ・ムービーを見るような腐女子としては気になりません!(笑)

グラントの古い映画へのオマージュがたくさん入っているので、そのへんも好きな方は楽しめると思います。自分はケイリー・グラント作品はそれほど熱心に見ていないので、音声解説を聞いてもピンとくる箇所は少なかったです。ピンときたのは、比較的最近に見た『夜を楽しく』の分割画面(これはグラントでなくロック・ハドソンドリス・デイの作品)が取り入れられていたことなどでした。この時代の映画のテンポやライティング等も意識して使ったそうなんですが、単に監督の趣味でそうしただけではなく、話のなかで効果的に使われています。

マクラクランの衣装グラントが作品で着たデザインを取り入れているそうです。細かく見ていくと面白いと思います。冒頭のケイリー・グラントのシーンだけ昔のワイドサイズで撮っている、というのも芸が細かいなーと。インド人社会の風習も覗けましたし、ほんとに満足。劇場で見てみたかった一本です。とくに腐女子さんにはおすすめ!であります。

…ちなみにキャストは主人公とマクラクラン以外はカナダ人だそうです。恋人役のクリステン(クリス)・ホールデン=リードにはホントにやられました。白くてすぐ紅潮する肌均整のとれたプロポーションの、ソフトなハンサムさんでした。でもちょっと早めに頭が薄くなりそうな…(よけいなお世話☆(^^;))他の作品もチェック入れてみたいです❤

あれ、今Amazon見たら、レビュアーさんも恋人くんにやられてますねー♪(納得納得❤(笑))原題はそういうもじりだったのか…。

ジャケット写真のマクラクランがなんか深刻ですが、実際はコミカルで、このイメージより気楽に見られました♪

2014/02/24

ムーパラ終了と鑑識さん本のご報告…

昨日はMovies Paradiseに参加させていただきました。スペースにお立ち寄りくださった皆様、ありがとうございまたした!

ベルサール渋谷ガーデンという会場での初めての開催。渋谷自体ものすごく久しぶりなのもあって、事前に届いていた案内図通りに地下街を通ったら、訳が分からず不安でした。(^^;)でも途中同じ参加者さんに道連れになっていただきまして、無事着くことができました。(ジャンルはスーパーナチュラルだとおっしゃってました。ありがとうございました♪)帰りは地上で普通に道元坂を下ってきたら、めちゃくちゃわかりやすかったです。次回もここだったらそうしよう…(笑)すごくきれいな会場で、蒲田の泣き別れ会場ではNGだったコスプレも復活しました。撮影スペースは見にいけませんでしたが、スペースでもシャーロックやビルボちゃんをお見かけできました。やはりお祭気分が出ていいものですねー♪

さて、新刊のほうですが…今回はほんとにギリギリで、事前のお知らせがpixivでしかできず申し訳ありませんでした。m(_ _ )m。ミニエピソード準拠で、まさかのアンダーソン+中の人萌え本でした。(このごろ「まさかの」ばっかり…(笑))ミニエピソード警部との漫才コンビ(?)に萌えまして、「シリアスで」(!)→Sの心理的未満JUNEな小説が出来てしまいました。(^^;)こんな超メジャージャンルでこんな辺鄙な本もないだろう、と自分でツッコミ入れつつ、でも作れて満足です!小説はミニエピソードのちょっと前という設定なので、警部との二人芝居が主体です。警部がたくさん書きたかったのもあります…ここしばらく続いている、グレジョン設定を勝手に継続した話になっております。(笑)

「なにがどうなればこうなるんだ」という表紙と裏表紙。スイマセン。…いや、マジですよ!アンダーソンの心理は深読みすると萌えマスですよ!(笑)

中の人については、先日ファンイベントでの写真やらなにやらが流れてきて…ヒゲ・メガネ姿にやられました☆調べてみるとロシア語ができたり、バイオリンが弾けたり、ナレーションの仕事をなさってたり…と、いろいろとツボにくる才能豊かな方でした。(なんと日本にも来ていたらしい!)今後もチェックいれたいです。SHERLOCKはもう、佃煮にするほど才人だらけですね。(笑)本にはアリスさんのプロフィールや知り得た限りのエピソード、萌えトーク(笑)、出演作レビューなどをギュッといれました。

いいタイミングで中の人の写真が流れてきたのも火に油を。(笑)

ミニエピソードからこんなイメージになってしまった警部とアンダーソン。好きですよもう…。(笑)

ここで萌えの原因になったミニエピソードをもう一度❤
(日本語字幕版は消えてしまいましたが、アップしてくださった方には改めて感謝を☆)


というわけで、「まるごと一冊アンダーソン」な薄本でした。今回は苦笑しながら買ってくださった方がかなりの比率で(笑)。でも小説はかなり真剣に書きましたので、もしも、もしも気にいってくださった方がいらしたら、ご感想などぜひぜひ聞かせてやってください…。(ノンケJUNEって好きなんですが、今回これにすごく馴染む関係だなあと…眼がおかしいかもですが…(^^;))春コミにはまた持ち込みますので、よかったら覗いてみてくださいマセ♪

宇宙探偵ホォムズなど、ほかの本についても一言二言お言葉いただけたのが、とっても嬉しかったです。いつも買いに来てくださる方々も、本当にありがとうございます!昨日は朝四時まで作業してたことや、なんやかやでちょっとテンションが上がらず、席に座りっぱなしであまりこちらからのお声がけもできなかったんですが、特殊なほうの萌え(?)や、好きな作品についての楽しみをシェアしていただけるのは本当に楽しいです。二次同人の醍醐味ですね。たた゜、疲れもあって見て回れなかったのが心残りです。次回こそは。

S3は、やはりすでにご鑑賞なさっている方もたくさんおられましたが、緘口令(笑)ということで会場で内容のお話は控えました。ネタバレ回避中の方の耳に聞こえてしまう危険がありますからガマンガマン…5月の放映がほんとに待ち遠しいですね!)

…これでSHERLOCK本だけでも15冊。なんとなく、やっぱりせっかくスペースがいただけたんだから…と本作ってしまうんですよね…というか、書いたり描いたりしたいネタがどんどんわいてくるのが恐ろしい。(^^;)コピー誌なのでなくなるとなんとなく刷ってしまい、机の上がいいかげん収拾つかないので、そろそろ古い本の展示は考え直さなくちゃ…。でも品切れを出してしまった本を、次の機会に買いにきてくださる方もいるので1、2冊ずつくらいは予備として置いておきたいし…それが見やすくできないかと…うーん。なんとか解決策を見つけたいです。少なくとも、「小説」とか「レビュー」とか、本の種類で分けたほうが見やすいかもですね…。(これまで「出した順」を重視したディスプレイになってたので…)

…さて、これから3/9のJ庭、3/16の春コミと続きます。頭を切り替えてそちらの準備にかかります。でも今、先週見た『フランケンシュタイン』の余韻でけっこう脳内ふつふつと沸いているんですよね…原作やこれまでの映像化作品含めて、書きたいことがたくさんある素材なんです。同人誌としてはまた超マイナー路線になってしまいますが、オンリーサークルだろうがなんだろうが、やりたいことができるのが同人誌。そこから発展して評論本にして、kindleのほうで作ってみてもいいかも…などなどアイデアばかり広がっております。同人誌はほかに暖めていたものもあるので、これから少し考えなくてはです。(そしてホビット公開間近。もうどうしたら…!(笑))

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末筆ですが、イベントで唯一残念だった点を書いておきます。
お隣がネットでのお付き合いが広いサークルさんだったようで、オフ会的に(?)隣まで溢れて立ち話するお客さんが多く、かなり長時間目の前をふさがれて閉口したこと。お若い方のようだったので盛り上がるのはわかるし、盛り上がるとなかなか周りに気が回らないのは、自分の経験からもわかるんですが…。でも、ふさがれた側からはお客さんにご注意などできるものではないので、なるべく当該サークルで声をかけて、はみ出さないようにするのがマナーですよね。「気を遣っている」というジェスチャーだけでも空気は変わるものなので、ちょっとだけ気をつけていただきたかったです。昨日は忍耐鍛えられました…。(それもあってちょっとテンション上がりませんでした。しょぼん(^^;))同人イベントは配置も運ではあるんですが、サークルが気をつければこういう意味の「ハズレ」はなくなります。これからネット活動主体のサークルさんが増えると、こういうマナーは知らない方も増えてくるのかもしれないなー…と見ていて思ったので、まあこんな僻地ブログに書いてもあまり影響はないと思いますが、いちおう書きますね。今さらの今さらですが…

同人イベントでは、隣のスペースの前にはみ出してはいけません。予想外の列や不可抗力は周囲も理解を示しますが、立ち話での長時間のはみ出しは純粋に迷惑です。気をつけましょう。買うときには、見たいサークルさんの前が空いていなかったら、横から覗かず後ろに並んで下さい。最近はこれが自然にできるお客さんが多くなったように思いますが、久しぶりに残念な体験をしました。知らない同士が一日気持ちよく過ごすためのマナーはぜひ広まってほしいです。

うちは基本的にピコ手なので、混雑することはコミケでごく稀にある程度、列ができることもほとんどありません。が、21世紀探偵のジャンルになってから、2回だけ突発的に長い列が出来て、ああいう状況がいかに大変かわかりました。(嬉しいより先に「どうしよう」とパニックになってしまいました。慣れないゆえかもしれませんが)イベントスタッフさんが誘導してくださって、最後尾札など瞬時に作って下さって助かりましたし、並んでくださった方もマナーの良い方々だったのですが、やはりお隣へはご迷惑だったと思います。お詫びしたところ快く暖かいお言葉を返していただきましたが、お詫びは必要だったと思います。…立ち話はわりと好きなので、はみ出しには気をつけているつもりです。そのほかの点も含めて、改めて自分も気をつけようと思います。

2014/02/15

異形の新生児と未熟な天才/ナショナル・シアター・ライヴ『フランケンシュタイン』(ベネさんヴィクターバージョン)感想

鑑賞してきました!日本上映が叶った『フランケンシュタイン』のライブビューイング!(イギリスの舞台を録画したものを映画館で上映。ライブビューイングはほんとに「ライブ」で中継するイベントもあるので紛らわしい言葉ですが、現行日本の映画館でやってる「ライブビューイング」は録画ものも多いので、なにか区別してほしいですね…録画はシアタービューイングとかどうでしょう?いかにも和製英語ですが…(笑))

演出がダニー・ボイルジョニー・リー・ミラー怪物ベネディクト・カンバーバッチが怪物を作ったヴィクター・フランケンシュタインを演じるバージョンです。(逆バージョンは来週鑑賞予定)
とりあえずメモとして感じたことを羅列してしまうので、原作との違いなどを中心にネタバレになることも書いてしまっています。逆にうろ覚えの部分もあります。そしてあふれた思いを編集してないので長いです!(笑)ご了承下さいませ!(^^;)


先にリンクを貼っておきますね。東宝シネマズの近場の上映館ページをちらっと見たところ、今日もまだ席に余裕があるようなので、ご都合のつく方にはホントにオススメです!

ナショナル・シアター・ライヴ 『フランケンシュタイン』 
(先行抽選の告知ページですが、実施劇場のリンクがあるので、そこから各劇場に飛ぶと現在の残席状況等調べられます)

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すごくよかったのでそちらに集中するため(笑)、まずは興業そのものについて改善してほしい、残念だった点を書き出してしまいます。ナショナル・シアター・ライヴ今後もいろいろ上映されるそうで、マーク・ゲイティス兄が出演した『コリオレイナス』(主演はトム・ヒドルストン。くっついてた宣伝映像で彼の短いインタビューも見られました。彼も好きな方にはボーナスだったのでは♪)も予定されてるそうですので、その頃には改善されてほしい。

・パンフレットがないこと
立派なバンフじゃなくても、せめてキャスト・スタッフ一覧と元の公演の日時・会場が書かれたチラシくらいは情報としてほしいところ。ペラのコピーでもいいからほしかったです。

※追記・こちらから元の公演パンフのPDFがダウンロードできるそうです!
Frankenstein

・字幕がない部分
イギリスで上映されたものをそのまま使っているらしく、本編前にたくさんCMが入ります。具体的にはこのあとのナショナル・シアター・ライヴの予定(つまり日本では見られないもの、すでに終わったもの)、ナショナル・シアターの物販やサイトなどの宣伝です。それらはすごく興味深くはありますが、上映前に一言説明がついているとよかったと思います。(本国での宣伝で、日本の観客に適応していないこと。ちょっと戸惑います。そして「本編字幕あるんだよね?」と一瞬不安になってしまう(^^;))

また、舞台が始まる前にリハーサル風景の写真が出ます。こちらのキャプションにも字幕がほしかった。まあぶっちゃけベネさんファンのための上映ではありますが(そこはもう、「博士バージョン」「怪物バージョン」という名称からもはっきりと(笑))、普通にイギリスの演劇が見たい人もいるでしょうし、ほかのキャストやスタッフへの興味は出て当然ですから…。

冒頭にリハーサルやインタビューが編集されたショートフィルムがつくのですが、これを紹介するプレゼンターの言葉も字幕がほしかったと思います。短いですが、演出のダニー・ボイルがロンドン五輪の演出を勤めた人物であることなど話しています。お芝居が始まる前の雰囲気作りの部分なので、ここも大事だと思います。


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前置き長くてスミマセン。では本編。物語は有名なものなので省きますね。ただ、一般に広まったイメージではフランケンシュタインはマッド・サイエンティストですが、原作ではそういう描かれ方ではなく神の領域を侵した若い科学者の苦悩、というイメージです。(それでタイトルは「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」)それにいろんな要素が絡まりあっています。

冒頭が、写真でよく紹介されていた怪物誕生のシーン。伝統的なものと違って、羊膜を破って生まれてくるようなイメージです。すごく哺乳類!ジョニー・リー・ミラーの怪物はこれまた新鮮な解釈で、生まれ出るとイキのいい魚がビチビチはねてるような動きをします。きちんと歩けるようになるまでに、生まれたばかりの馬や鹿が立ち上がる感じなども取り入れてます。それでいてすごく激しい。死体の継ぎ合わせに電気をバーンと通した、というより、異形の新生児というイメージでした。

さっき書きましたショートフィルムで、主演の二人が怪物を演じる上で参考にしたものに言及していて、ミラーはたしか「二歳の息子も参考になった」と言っていたと思います。ベネさんはリハビリ訓練をする人を観察したそうで、いとおしさも感じたと言っていました。(「ナンタラといとおしさ」、だったんですが、もう一つが記憶から抜け落ちました。来週きちんと見てこよう☆)

ここからは想像ですが、もしかしたらミラー版とベネさん版の怪物はNew BornRebornみたいな対比が見られるかも…ぜんぜん違うかも知れませんが(^^;)、ちらと思った印象です。

ミラー版はほんとに「無垢な状態」から始まる、「動物」っぽい感じが強烈だったんです。配線がおかしくて痙攣してるような感じもあって、決してただの「新生児」ではないんですが…。ベネさんが参考にしたという「リハビリ」は、一度失った機能をもう一度身につける過程なので、もしかしてもっとぎこちなくて「元は死体」というイメージが前面に出るかも?(ということは、より伝統的な「フランケンシュタインの怪物」に近くなるのですが…)まあ来週わかることで、あまり考えるのも興ざめですのでこのへんでやめときます。(笑)とにかく楽しみです♪

おおまかな流れはたしかに原作通りですが、かなり大胆に変わっているところもありました。まず、原作の額縁構造がすっぱりはぎ取られています。原作は怪物を追って遭難しかけていたヴィクターを、北極探検中の船が救出するところから始まり、全体がこの探検隊を率いる青年の手紙という形式で、物語からワンクッションおいています。(「筆者が聞いた話」とか「発見された手記」とかいう形で物語に額縁を作る構造は、ドイルせんせもよくやってますが(笑)この時代の小説でよく見る気がする…流行ってたのかしらん?)そして原作のかなりの部分はヴィクターの側の苦悩なのですが、これも今回はスパッと切り落とされています。原作版のヴィクター「悩みまくって苦悩のあまり病気になってぶっ倒れて周りに迷惑かけて」、ということを繰り返しています(笑)。この変更からヴィクターのキャラが大きく変わっていて、ある意味原作の人物とは別物。これが全体の構造やテーマにつながっています。

原作の語り手の青年とヴィクターの関係はこれまた萌えがてんこ盛りなので、ベネさんのヴィクターでこの関係も見てみたかった!(笑)でも今回は怪物とヴィクターの関係にフォーカスしているので、なるほど適切な判断なのね…と思いました。

さて、演出のボイルがショートフィルムで説明している通り、舞台は怪物の視点から始まります。…正直に書きますと、冒頭は少々イライラしてまして…それで物語そのものに入り込むのに時間がかかってしまいました。本編前に関係ない邦画の予告編やら、見られないイギリスのライブビューイングの宣伝やら、字幕なしでたくさん見させられた余韻で(笑)。そのうえミラーの怪物の「新生児」なインパクトに戸惑いもあり、あっさりヴィクターの所から逃げ出すのでベネさんはちらりと姿を見せただけ。「うわーもっと見せて!」と気が散ってました(笑)。
怪物が初めて親切にされる盲目の老人のシークエンスに入って、やっと落ち着いて入り込めた感じです。

この老人から、怪物は言葉や「知的なもの」をいろいろと学ぶのですが…怪物があまりに早く言語を習得するのは原作でも違和感がありました。(笑)考えてみると習得ではなく思い出しているとも解釈できるんですよね。(たぶん大人の脳を移植してるんですから、元の人物の記憶があるほうが自然だと思うんですが…それをいうとこの物語は成り立ちませんので野暮はやめときましょう…(笑))でもミラー版は「習得」に見えました。過去はない感じです。あくまで「醜く作られた異形の新生児」の悲劇。そして西洋ではほんとに「知性=言語」なんだなあ…というのを感じました。

ベネさんは、事前に話題になってたのは怪物役のほうですが(たしかにこれの主役は怪物のほう)、個人的にはなんとくなくヴィクターのほうが似合いそうなイメージだったので、このバージョンもすごく楽しみにしてました。でもこのヴィクターはさきほど書いたとおり原作からキャラが変わっていて、愛情という感覚がわからない人になってます。(これは意外でしたが、でもよかったです♪)一方怪物のほうは、愛されたことがないのにそれをわかっています。(愛情は愛されたからお返しのように芽生える、というものではなく、能動的な感情だという主張も読みとれます。これも深いですね)自分と同類の女を作ってくれと頼み、それが完成間近になったときに、怪物とヴィクターのやりとりがあります。怪物はまだ生命を吹き込まれていない、美しい女の「怪物」を見て、彼女を愛していると言います。ここで原作にはない要素が出ます。

ヴィクターは、愛とはどんなものなのか怪物に聞くのです。怪物は「胸から精気が噴き出すようだ。なんでもできる気がする」と(うろ覚えですがこんな感じのことを)、すごく生き生きとした様子で言います。それを聞いたヴィクターは「そういうものなのか」と言うんです。この人は家族にも大事にされて、婚約者にも愛されていて、自分もそれなりに愛しているのですが、そういう感覚を味わったことがないんですね。(それに似たものは、まさに怪物を作り出す過程で味わっていたはず…うーんJUNEです!)そして口先では、自分が作ったクリーチャーが心を持ったのはたいしたことだ、と喜んで見せます。でも行動がそれを裏切ります。彼は作りかけた女の人造人間…「怪物」の妻になるもの…を切り刻んでしまうのです。これは原作通りではあるんですが、まったく意味が変わっています。

原作では、この二人が子孫を作り、もし凶暴なものが繁殖して人間を襲ったら…と考えて、そんなことはできない、という結論に至ります。これは今回のヴィクターも同じことを言いますが、それはたぶん口先だけ。本当の意味は怪物に対する嫉妬に見えます。自分には分からない「愛」というものを、自分が死体の寄せ集めで作った、たかが実験動物が会得している。それに対する嫉妬です。それを強調するように、やはり原作にはない、残酷なことをします。

怪物に、最後の仕上げをする間に「花嫁」に着せる服を選んでおけ、と言うのです。ケースに自分の婚約者エリザベスのドレスがあるから…というのですが、怪物が開けてみるとヴィクターの本などしか入っていません。その怪物の背後で、ヴィクターが怪物の「妻」を切り刻むシルエットが浮かび上がります。すごい脚色。原作のヴィクターは行き当たりばったりだったために(笑)結果として怪物を「裏切り」ますが、今回のヴィクターはわざわざ怪物の期待を煽ってから、それを意識的に、残酷に奪って見せます。その残酷さは、人間として未熟なところの発露。激しい嫉妬の発露に見えました。

原作のヴィクターも非常に未熟な部分があります。でもそれはうじうじと悩んで知恵熱を出す(笑)という方向にいってます。今回のヴィクターはそれが攻撃的な方向に出ていますね。原作にあった内省的な部分はなくなっています。「怪物」へのリアクションという形で、怪物に「影響」されている…これも原作にはほとんど感じなかった要素だと思います。怪物は醜さゆえに人間から迫害を受ける過程で残酷なことをしでかし、ヴィクターはその怪物の行動によって自分のなかの残酷性を触発されています。二人を鏡像のように描いたと冒頭のインタビューで言っていますが、それがよく出ていました。うまく言えないのですが、原作のヴィクターと怪物の関係が光と陰、天と地のような縦の鏡像だとしたら、今回の二人左右対称に見える鏡像です。

ラストは、ある意味ハッピーエンドの色を裏に持たせた形で終わります。北極まで怪物を追ってきて死んだ(ように見える)ヴィクターを抱えて、怪物はどんなに彼を憎んだか、そしてどんなに彼にこそ愛されたかったかを述懐します。そのあと、ヴィクターが息を吹き返します。

ヴィクターは怪物に対する奇妙な愛情を裏に充分含ませて、おまえは殺さなくてはならない、どこまでも追うから逃げていけと(これもうろ覚えですがだいたいこんな意味のことを)言います。ああ、これはもう告白です。怪物はたぶん、永遠に逃亡と追跡の関係を続けていたいでしょう。それが、怪物が「愛されたい」と望む創造主との間に取り得る唯一の関係です。ヴィクターが怪物を殺そうと追ってくれるかぎり、その関係は続きます。よく言われるとおり、愛の反対は憎しみではなく無関心、ですよね。

怪物は嬉々として歩きだし、そのあとをヴィクターが追っていく後ろ姿が、北極の吹雪の中に消えていくイメージで終わります。たぶんこのあとヴィクターが先に死ぬのでしょうが、そこまでは見せなくて。もしかしたら、ヴィクターが息を吹き返したところからは怪物の悲しい妄想なのでは…とさえ思えます。彼の描きうる最良の夢だとも思えます。

(原作でも、怪物がわざと自分を追わせるという描写があります。舞台はここまででちょんぎっている感じで、そのシーンの意味を強調して脚色していますね。原作のラストはもっと容赦のない悲劇で…正直好きです。(笑)怪物のヴィクターに対して愛を乞う気持ち、憎しみ、崇拝がない交ぜになった演説のような台詞があり、大好きなのですが、ここでのネタバレはやめておきます)

その他たくさん思ったことがあるのですが、きりがないのでとりあえずこの辺で。来週の逆バージョンではどうなるのか…ベネさんの怪物、ものすごく楽しみです!

個人的なメモ…昨夜は記録的な大雪だったので、行けるか、帰ってくこれるか心配でした。が、乱れた運行スケジュールが偶然サイワイし、ホームに着くとすぐ発車のようなタイミングばかりだったので、いつもより移動に時間がかからなかったくらいでした。横殴りの雪と幻想的な雪景色のなかを歩けて、舞台ラストの北極のイメージが重なり、夢見心地で(?)帰ってきました。いい思い出になりそうです☆(笑)


参考にしたフランケンシュタイン原作邦訳(他にも出ています)。kindle版もあります。


2014/02/09

SHERLOCK シーズン3 三本通した感想(ネタバレあり)

感想の前に…日本ストアにもPAL盤DVD現れましたね☆
出品者により価格や配送時間が違うようですので、もしご利用の際はご確認を。



ついでにUK(左)とUS(右)も再度貼っておきます。配送時間が少々かかるのと、
価格はレート次第というところはありますが、お得なことも多いので…。

  


ネタバレありというか、見た方でないとわけわからない書き方(^^;)になると思います。スイマセン。とりあえず、吐き出したいので!念のためまた白文字にしておきます。(選択すると文字が反転して現れます)日本放映が済んだら黒文字にします…忘れなければ。(笑)

↓ここより感想(選択すると文字が反転して現れます)
【2014/5/25追記・放映に伴い黒文字にしていきます(笑)】

昨夜第三話の"His Last Vow"をDVDで見ました。あまり止めずに見たので、細かい台詞の妙技は拾い損ねてるかもしれませんが、とにかく「確認」したかったんです。一番の感想は「安心した!」でした。これでこのシリーズを失わずにすむ!

大げさでなく、第二話を見たあとは、本気で心配していました。もうあれほど夢中にはなれないかもしれない。これも「あそこでやめておけばレジェンドになったのに」という一つになってしまうのか。シーズン4があることはすでに聞いているけれど、それを(また二年間?)待つという楽しみはもう味わえないかもしれない。ぶっちゃけコミケの申し込み締め切りが迫っているので、ジャンル変えようかな…くらいまで覚悟しました。(まあそれはおまけですが(笑)、自分のなかでは「同人誌を作りたくなるくらい夢中になれる対象」を失うことは、一時的に体の一部がなくなるくらいの喪失感なんです!)

でも一番あったのは、「この幸せは永遠に続くと思ってたのに」(笑)終わってしまう、という深い悲しみの予感でした。(つまりは、脚本家さんたちをあまり信用していなかったということになります(笑))第一話は、じつはネタバレありの感想を(個人的なメモのために)書いてありました。でも第二話のあとは、書く気になれませんでした。もし「このまま」いくなら、確実に自分には楽しめないものになってしまう。その心配が先に立って、果たしてそうなのか、確かめずにいられなかったです。


…そしてみごとに裏切ってくれました!今思うと、US、UKストアのレビューで見た酷評は第三話を見る前に、矢も盾もたまらず書き込まれたものでは?とも思えます。たしかにそれにふさわしいもので(^^;)、第一話、第二話でリアリティーのレベル(フィクションとしての)が桁違いに下がってた(爆)んですが、第三話はもうアバンタイトルから空気が違う。SHERLOCKクオリティーに戻ってます。ここでもう、安心しました。ちょうどTwitterで四つの単語で抽象的に感想(?)をつぶやいたので、それに合わせて並べます。


第一話 "The Empty Hearse"

見終わったときの気持ちは「疑い(Doubt)」。もしかしてだめなんじゃないか、という疑い。ただ、希望はメアリーが賢すぎること(スキップコードを一目で見破るのは違和感が)と、シャーロックが彼女を観察したときに「Liar(嘘つき)」の文字があったことでした。そして最後に出る謎の人物。事件については、正直今でも「もう少しできたんじゃないの兄!」と思っています。みんなが気にしていたクリフハンガーの種明かしもイマイチ盛り上がらない。アンダーソンに説明するシーンが彼の妄想でないとすれば、アンダーソンが言った「ちょっとがっかりした」がまさに当てはまります。しかしアンダーソンのことまでファーストネームで呼ぶほど「人間に」なろうとしてるのかシャーロック…。(繰り返すようですが、あれが「フィリップ」の妄想でないとすれば。なんかそう見えちゃうんですよね(^^;))
…なにより、タイトルがぜんぜん活きてない。【追記・失礼!見つけました!Hearseに「鉄道俗語」で「車掌車」の意味があるそうです(>リーダーズ・プラス)あの兄上が掛詞しないわけがないですね(^^;)】「自分ならこうする」がドトーのように脳内にあふれました!でもシャーロックもジョンもいたぶってくれたり、サービスはもう存分に。何度でも見られるでしょう…。(笑)

第二話 "The Sign of Three"

なかば諦め(Resignation)」。第一話で期待したメアリーの要素が出てくることなく、あまりに「いい嫁」のまま、しかもあまりに都合よく収まること。感傷的すぎて謎解きも付けたり。「普通の人間修行」するシャーロックのラブリーなシーンがいっぱいで、結婚式をテーマによくまとめたとは思うけれど、「でもSHERLOCKでこんなものが見たかったんじゃない」感がありあり。 しかもタイトルの絡め方がこれか、という失望
胸に響いたのは、シャーロックの「本物の子供ができたから、もう僕は必要ない」の台詞と彼らの無言で見交わす表情でした。ぐっと来たのはこのシーンだけ。

でも実際に結婚式に対して思う本音がたくさん出てきました。シャーロックの毒台詞にはいちいち共感できました。(笑)そしてラストの去っていくシャーロック。「これからどうなるの!?」というのが気になって気になって。こんなにみんなが「なかよしさん」になってしまったら、話作れないじゃないの。ただの「続きもの」ドラマと変わらなくなっちゃうじゃないの。どうするの。まさか。でももしかして。

この番組との蜜月ももう終わりなのか?この楽しみを私は失うのか…?という、ある意味これまでで最大のクリフハンガー(笑)でした。

第三話 "His Last Vow"

「カタルシス(Catharsis)」そして「クリフハンガー(Cliffhanger)」こういうのが見たかったんだよ、という「フィクションとしてのリアリティーのレベル」が、やっと戻ってきました。アバンタイトルで「ああ、やっと始まるのか」というカタルシスが早くも。ここまでは全部前座と思えるくらい。サプライズも事件も無いに等しかったですから。(笑)
やっとメアリーの「嘘つき」が活きました。こういう設定は予想どおりでした。でも、「最終的なもって行き方」は予想を超えるものでした。ぶっちゃけ彼女を殺して「元通り」にするための設定だろうと思ってたんです。陳腐な映画ならそうなります。そしてそうなっていたら、やっぱり少し失望したでしょう。

メアリーを受け入れるジョン。そしてすべてが、互いを思いやるがゆえの行動というのがすばらしい。ジョンというキャラクターも、シャーロックというキャラクターも大きくなりました。シャーロックに関しては、よりシャーロックらしい冷淡さがでました。「大人の」シャーロックになりました。そしてへんな言い方ですが、これでメアリーをうまく排除できる条件も揃ってしまった。「原作のように」や「陳腐な映画のように」ではなく、うまく彼女を退場させるストーリーも作れるでしょう。でも今回のように、それを超える展開もあるかもしれません。

うまいのは、途中であっさりモリーの婚約破棄を入れたこと。モリーがシャーロックをひっぱたくのも。前話までの「イマイチ感」がスプリングボードになってます。(それにしても、あそこまでうんざりさせてくれなくともよかったのに!(笑))彼女の「元通り」を見せているから、同様に「陳腐な映画のように」メアリーを殺して、「元通り」にする可能性を予想させます。それを超えてるところに感動がありました。うますぎるモファ様。こうして手玉に取ってもらえる視聴者は、なんて幸せなんだろう!(笑)

キャラクターが成長する、という意味を理解しました。その過程をドラマチックに描きながら、事件も解決する。前の二つの話にはなかったサプライズの連続です。シリーズを続けるというと予想されるような、「同じシチュエーションを飽きられないように繰り返す」のではなく、ほんとにキャラクターが成長して「変わって」いく。特典映像はまだ全部は見ていないのですが(今回はここにも英語字幕がついてます!ありがたい!)、マーク・ゲイティス氏の「これは探偵を描くシリーズ(series about a detective)だけど、探偵もののシリーズ(Detective series)じゃない」という言葉が言い尽くしてます。原作とは別の次元にいきました。

この人たちなら、(特典で語ってるように)ほんとにあの二人が年をとって、原作のホームズとワトスンの年代になるまで、私たちを驚かせながらうまく描いてくれるかもしれない。それをリアルタイムで楽しんでいく人生を、我々は送れるかもしれない。大げさでなく、そういうヨロコビに包まれました。
しかし警部は親戚のおじさんみたいになってしまいましたね…(笑)かっこいい姿もたくさん見られたけど、次のシーズンでは違う形の見せ場もちらっと見てみたいです!

とりあえず、おおざっぱな感想でした。

2014/02/05

SHERLOCK S3 第1話 "The Empty Hearse"とりあえず感想(ネタバレなし)


しょっぱなですが追記

今検索したら、NHKのプレサイトページができていますね!5月にBSプレミアムでシーズン3放映、4月からシーズン1&2も放映とのことです。楽しみー♪

NHK海外ドラマホームページ・SHERLOCK 3


ここから感想

※放映前なので、自分の基準でネタバレに当たることは書きません。後半に少しだけ具体的なことを書いてますが、念のためそこは白文字にしました。空欄部分を選択すると反転して文字が現れます。(全部読んでもストーリーはまったくわかりません(^^;)が、それに対して「こう思った」は書いております☆)

先日届いたDVDにやっと手をつけました。第一話"The Empty Hearse"(空の霊柩車)。正確には三回見たところです。英語字幕と辞書が頼りなのですが、2回辞書引きながら見て、そのあと字幕を消してテンポを味わいました。まだわからないジョークなどもありますが、メインの部分はだいたい飲み込んだところです。

正直初見ではイマイチでした。(と言っても普通のテレビ番組だと思ったら充分楽しめたレベルですが、「SHERLOCKクオリティ」、という期待があったもので…)。初見が済んで気楽になり、見直すと面白くなってきました。なんというか…ミニエピソードのときに感じた、「公式が作ったセルフパロディ」的な感覚は、こちらにもすごくありました。ネタの扱い方が軽やかで、ほとんどコメディという感じ。深刻に受け取りすぎるファン(自分?(笑))を尻目にやすやすと…ある意味人を食った感じではあるので、ここは賛否両論かもです。シーズン2の一話のような衝撃はなかったのも事実。(今、さらっとUS、UKのアマゾンのレビューを見てきたんですが、☆一つのレビューもけっこうあります。期待が大きかったし、読むと書かれてることはいちいち納得です。ただし、USはアマゾンストアの商品説明の不手際があったらしく、それへの苦情レビューもかなり含まれていました)

…でも見直すと面白くて、イッキに見てしまいました。キャラの魅力、俳優さんの力が大きいと思います。シリーズ中ほんとにツマラナイと感じた(ごめんなさい(^^;))シーズン1第二話は何度見ても面白いとは思えなかったので、そういう意味でイマイチなのではなかったです。これまでずっと「三本のうち二本目が箸休め(サービス主眼?みたいな)」という構成でしたが、今回はそれが一話目にきてる感じでしょうか…(いや、残り二本を見てみないとわかりませんが)とにかく「楽しい」。シーズン2のバスカ気楽に見られて萌えシーンも多いのでヘビーローテーションしましたが、これもそういう意味で何度も見られそうです。

ただ、芯になる事件そのものは某作品とかぶるネタだったので、あまりガツンとこなかったです。あれを見ないで見ていたら、もう少し受け取り方が違ったかも…。でもご祝儀的なお遊び・サービスがてんこ盛り。おいしい・楽しい・嬉しいと三拍子揃った探偵帰還祝いイベントという感じがしました。「アノヒトが」というカメオもあり、腐女子ファンを揶揄するようなシーンもあり(笑)、番組人気の状況全体を「本家」が取り込んでいるのが…「人気が出たからって守りに入ってないぞ」、という、やはり人を食った感じ?(笑)ツイッターでのゲイティスさんの「人を食った」芸風に馴染んだので違和感が無かったのですが、これはツッコミも入るところでしょう。個人的には楽しめています。

俳優さんはみんな素晴らしかったです。ベネさんは来日含めて情報が多くなり、ずいぶん「中の人」のイメージができちゃったんですけど…ここではシャーロック以外の何者にも見えないですね。かわいかったりかっこよかったり。中の人もかわいいですけどまったく質が違って、中の人はまったく消えてなくなります。素晴らしい。それを言ったらそういうタイプの俳優さんはたくさんいますが、とくにベネさんのシャーロックはそう感じました。他の出演作に比べても、外見含めてあまりに変わるからでしょうか。自分自身、「ベネさんの」ファンというより「シャーロックの」ファンなんだな…と改めて思いました。画家自身よりその人が描いた絵のほうに魅了されるのと似た感じです。本人が「作品」になる俳優さんではこの区別はわりとあいまいなんですが、普通よりくっきりとそれを感じました。

何より気になっていアレ…うーん、トリックより情報開示の演出が気になってどーもスッキリしていません。また深読みしすぎてるのかな…???(『醜聞』のラストは深読みしすぎて、音声解説を聞いて「そんなシンプルなことだったの!?」と驚きましたから(笑))某キャラクターがそのトリックについて言う台詞も納得。でもそれって、原作もそうなんです。ある意味忠実な脚色といえるかも(笑)。
とにかく開幕から五分で名誉回復するところまで済んでしまう。なんちゅう手際のよさ。ここでもう、こちらの心拍数とテンションがアガっています。ええと、今回ネタバレは書かないですが、なかの台詞で一つだけ…というか、はしょって意訳しますが…再会したジョンにシャーロックが、「一緒に事件を追うときの興奮が恋しかっただろ」…的なことを言うんですが、それはある意味まさに、視聴者の心理にもあてはまる言葉でした。



左がUKストア、右がUSストアなんですが・・・ジャケットデザイン実際違うのかしらん?
(自分はUKから買って、この通りのデザインのが来ました。
PALですので、リージョンフリープレイヤーで見ています)

 


ミニエピソード"Many Happy Returns"は入っていませんでした。残念です!
あと、今回は音声解説もないです。このスピードでは仕方ない…
少し待ってもいいからほしかったかな。
他の特典が入っていますが、未見です。


個人的にはデジャブった箇所もいくつかあって、別の意味でドキドキしました…。(ファンフィクで使ったモチーフや、書いたときに思い描いたのと似た映像が出てきた…という、クダラナイことです。でもファンにとってはこしょばゆい嬉しさが…ありますよね。(^^;)戯れに書き出してみたら9箇所ありました)これは別に作品の得点ではないので、自分のなかで偶然を面白がっておきます☆

2014/02/01

『ロンドン・ヒート』(2012)/ロンドン警視庁特別機動隊…と、カーアクションの「音」!

コミケが終わってから、スコットランド・ヤードについての本だの映像作品だのをまったりと漁ってるんですが、その流れでひっかかってきた中の一本です。

ロンドン警視庁の特殊部隊、通称「スウィーニー」を題材にしたポリス・アクション…ということで、モデルはあるものの架空の設定かな…?と思ってたんですが。見てみたら何箇所か「フライング・スクワッド」と言っているらしき発音が聴こえてきてびっくり!字幕には出てきませんが、確かに言ってます。…ということは、ヤードもののノンフィクションで紹介されていた特殊捜査班…「フライング・スカッド」ってこれだったのかっ♪「スカッド」のカタカナではピンときてなかったんですが、「Flying Squad」だったんですね♪(いまさら☆(^^;))
ということで、実在の凶悪犯罪専門特別機動捜査隊を題材にしたアクション映画でした。(ドキュメンタリータッチではまったくないです!あくまでエンタメ。(笑))



さらにびっくりしたのが、冒頭、武装強盗の襲撃現場に駆けつけるシーン。この人たち発砲しないんです…逃げる犯人を、バットとか持って追っかけてる。(笑)実は現在のスコットランド・ヤードについて書かれた本(ロンドン警視庁―素顔のスコットランドヤード1990年発行)に、「ロンドンの警官は基本的に拳銃などの武器は持っていない」旨が書かれていまして。ロンドンは凶悪犯罪も多そうな大都市だし、本は微妙に古いので、「はたして今現在でもそうなんだろうか?」と疑問だったんです。(本には、特別な武装パトカーや武装部隊があることは書かれていました。それでも武器の使用にいちいち許可が必要だったり、かなり使用は制限されているようです)

後の武装強盗のシーンでは「スウィーニー」の人たちも発砲してましたが(トラファルガー広場での銃撃戦。それなりに貴重♪)、簡単に銃を振り回さないのはスコットランドヤードの伝統のようです。(そのへんの歴史・いきさつは前出の本に詳しく書かれてましたが、長くなるので機会があったら別のところで♪)

武装・狙撃等が専門のフライング・スカッドの、最近の様子(この映画は2012年作品)でさえこういうことなら、現在も一般の刑事さんは非武装なのかなあ…。やはりヤードつながりで見た『刑事ジョン・ルーサー』も、殴ってるシーンのほうが多かった印象でした。イギリスでダーティーハリーは撮れないですね。(笑)

…さて、お話は武装強盗が必要もないのに人質を殺し、それを以前挙げた犯罪者の仕業と考えたベテラン捜査官が、いろいろあって窮地に立たされ…というもの。たしかに「ポリス・アクション」ではあるものの、いわゆる「アクションもの」の爽快感はなく、幕切れもすっきりとはしません。これはこれでイギリス映画の持ち味でしょうか…でも思い返してみると、アメリカ映画でも警察ものは複雑な余韻が残る幕切れが多い気もしますね…。


もうひとつ、この映画を借りた動機がジャケットに書かれていた『トップギア』監修のカーアクション」でした。アメリカ映画のカーアクションを見慣れてる今の観客にとっては、大して派手なことはしてません。でもなんというか、「車の肉弾戦」的なリアリティーがあって。なにより音!効果音が素晴らしい!

『フレンチ・コネクション』『ブリット』など、カーチェイス、カーアクションシーンが語り草になってる作品はいくつかあります。それらを「車好きではまったくない」自分が見て気づいたのは、やっぱり「音」の効果でした。前にも書いたかもですが、こういうシーンのエンジン音や急ブレーキなどの効果音は、キャラクターの心の声です。たいてい怒りが爆発してる。無言で運転してるキャラクターの代わりに、「車の叫び」で表現してるんですね。だからこの部分の効果音は音量も大きいし、たぶん目を閉じて音だけ聞いてても興奮するんじゃないかな~。

『トップギア』はイギリスで人気のカー情報長寿番組で、日本でもBSフジで毎週月曜深夜放映中。ベネさんがゲスト出演した回を見てから番組自体にハマってしまい、忘れない限りは毎回録画して見ています♪今は2004年のシリーズをやっています。十年も前の「カー情報」番組が今でも見られることで証明されてる通り、車に興味がないワタクシでも楽しめる作り。MC兼ドライバー三人組のイギリス的毒舌ジョークや、車を壊しまくったり改造したりのハチャメチャぶり、不謹慎ぶりがたまりません。(でも意外にも(?)、女性差別的表現はほとんどないです。スタジオ収録の様子を見ると女性ファンも多いので、やりたい放題に見えて「笑えるジョーク」の線引きはかなり慎重になされてるもよう。加えて日本放映版は、字幕の「ですます調」と「カジュアル口調」の使い分けセンスが絶妙です。翻訳家さんグッジョブ!!

車を美しく撮る点でもトップギア・クオリティーが伺えました。ピカピカの車が肉弾戦と衝突であられもなくボコボコになった様子にも「色気」が…。さすがは車の写真を見て「これはポルノだ」とか訳わからんコメントしてる番組の監修!(笑)ボコボコになる前の車は常にピカピカでしたし、車の「フェチ」な部分がたぶん、出ているんじゃないかと思います。(たぶんというのは、自分が車フェチではないため)トップギアの車の撮り方は、「高級感のあるお色気グラビア」と基本同じ気がします。完璧なプロポーションのモデルさんに完璧なメイクをさせて、一番映える角度で撮る…まさにグラビアの行き方でしょう。

キャストは主人公がレイ・ウィンストン。なにやら神話の半CG英雄映画でアンジェリーナ・ジョリーに迫られてた人…?というイメージしかないですが(しかもその映画見てない(笑))、あの映画の写真では半CGなせいかずいぶんかっこよく見えたけどなー…今回はおなかの出たむさい短躯のおっさんです。イギリス美老人・美中年系ではまったくありません(笑)でも妙な(?)色気はありますねー。この「ミスター・労働者階級なコワモテのおっさん」(しつれい(^^;))が、なぜかエリート優男と結婚してる美人部下と相思相愛の不倫をしてるんですが…この寝取られエリート優男がなんとスティーヴン・マッキントッシュ!出ているとは知らなかったので、オープニングクレジットで名前が出てきてテンション上がりました!こーいう役似合いますわあ…(笑)。

まあそういう映画なので仕方ないですが、女性キャラの扱いはご都合だし、サービスなのかやすやすとファ●クシーンも出るし(ボカシがいるようなシーンではないですが、お子さんのいる場所では見ないほうが)、おなかの出たおっさんがエリート優男より美女にモテるシチュエーションに溜飲が下がる層向けのファンタシーと言ってしまえばそれまで(笑)。でも部分部分でけっこう楽しめました。(マッキントッシュ氏の被虐キャラはもう芸のうちですね!(笑))
なんだか「これからシリーズが始まります」みたいな終わり方だったんですが、調べてみたら70年代にやってたテレビドラマの映画化なんだそうです。(タイトルは『ロンドン特捜隊スウィーニー』)機会があったらそっちも見てみたいですー♪
とにかく、人間・車、共に「イギリスの肉弾スタントもけっこうやるぞっ」、と思わせる映画でございました☆




他、1月に見たレンタルDVD、録画映画などのメモ。感想書けてないですが…(^^;)。

『刑事ジョン・ルーサー シーズン1』
『パレーズ・エンド』1
『サンシャイン2150』
『刑事マルティン・ベック』
『ミッドナイト・イン・パリ』
『マルタ島攻防戦』
『素晴らしき哉、人生!』
『マシンガン・パニック 笑う警官』
『ビフォア・ザ・レイン』