* * *
『あなたの人生の物語』、むしろこういう女性キャラクターが描かれた、という点がエポックメーキングかもしれない。「見られるための」ヒロインではなく、リアルで聡明な精神を持った知的な女性の、「内面」を描いている。しかもSFで。(SFは未来を描いているにも関わらず、ジェンダーについては信じられないほど保守的だ)
リアルに感じたのは、たとえばこんなところ。(この作品は特に、翻訳も素晴らしいと思う)
(主人公の言語学者の女性と、ハイスクールの二年生になっているその娘が食事の支度をしながら話しているシーン)
「ったくもう」とあなたは言う。「あいつらったら、冗談でもなんでもない口調で、体重が問題だなんて言いだすんだから。あたしは男の子たちよりたくさんは飲まないようにしてるってのに、なんとか酔っぱらわせようってする子がまわりにうじゃうじゃいて」
わたしはどっちつかずな愛想のいい表情を保とうとつとめてる。懸命にそうつとめてる。そしたら、あなたがこう言いだすでしょう。
「ねえ、ママったら」
「なあに?」
「ママだって、あたしぐらいの歳のころは、まったくおんなじことやってたんでしょ」
わたしはその手のことはなにもやっていなかったけど、それをそのまま言ったら、あなたのわたしへの尊敬の念は完全に消えうせてしまうでしょう。
(ハヤカワ文庫『あなたの人生の物語』表題作 公手成幸訳 p.208)
娘と母がまったく違うタイプの人間として描かれていて、しかも、母は「いわゆる母親型の女性キャラ」ではない。(たいていの、特に男性向けのエンターテインメントでは、女性キャラは母親型と娼婦型しかない)かといって、「頭はいいが意外にも」美人で、白衣の胸元を大きく開けているような陳腐なキャラクターでもない。
映画化の発起人であり、脚本も担当したエリック・ハイセラーの苦労話として、スタジオに売り込んでいる間プロデューサーに主人公を男性にしろと何度も言われた、とあるのはよくわかる。ステレオタイプのいずれでもない聡明な女性、というのはある種の男性には想像もできないのかもしれない。映画産業がそれを標準としているのもわかる。だがそれこそが現実だ。「母親型」「娼婦型」は幻想に過ぎない。人間の多面性の一部として、それに似た属性をどちらか、あるいは両方持つ人もいれば、両方をともに待たない人もいる。当たり前のことだ。当たり前のことを当たり前として描いたから、画期的だと思う。大勢の目から色眼鏡を取り外させるこういったところが、知的な作品だと思うのだ。決して物理の法則を取り込んでいるからではなく。
そういえば、この物語のヒロインには外見を説明する描写がほとんどない。目の色が茶色だというくらいだ。髪の長さも体つきもわからない。男性作家が女性の体つきを「書かない」なんて驚異的なことじゃない?と皮肉を言いたくなる。
だからこそ、最初にこれを読んだとき、てっきり「この作者は男性の名前を使っている女性だ」と感じてしまった。この「女性性」のリアルさは、性別では女性である自分を超えている。(ぶっちゃけ自分には、こんなに自然に女性キャラクターや母性を描ける自信はない)同性愛者とも思えなかったのは、ミソジニー(女性嫌悪)も女性性の強調も感じられなかったからだ。この基準自体が男性差別的なのは自覚があるし、自分がよく知っているゲイの作家はE.M.フォースターなのでその比較に落とし込むのは申し訳ないが、感じたことを正直に書く。ゲイの目から見た女性の表現には、よく皮肉や妙な「記号としての女性性」の強調、女性に対する批評性を感じる。チャン氏の作品はむしろ視点が女性の内側から自然に来ていて、寄り添っているように感じられる。それでいて、女性性の強調はまったく感じない。穏当でリアルなのだ。私なんかよりもずっと女性に近い。驚異的な取材力と表現力ではなかろうか。そしてしっかり、男性キャラが「脇役」になっている。これに心地悪さを感じる映画プロデューサーは多かったはずだ。自然な形でのフェミニズムだとさえ思う。もちろん、作者にそんな意識はないだろうけれど。
映画がこういった側面をどれくらい継承しているかはまだわからないけれど、エイミー・アダムスはかなり得難い役を演じた幸運な女優になると思う。『羊たちの沈黙』でジョディ・フォスターが演じた役も、当時のハリウッド映画としては革新的だったけれど、「能力のある女性にとって性的な侮辱を受けることは当たり前」と考えられていた時代だったのだ、と今見ると思う。二つを(一方はまだ原作しか知らないけれど)比べれば、時代の進歩がとてもよくわかる。男性作家にはある種のリアルな女性は描けない、というのも偏見だということになる。(これは私が持っていた偏見にすぎないのかもしれないけれど)
読み返して、構成がみごとな小説だと改めて思った。『ゼロで割る』も構成で泣かされる小説だ。女性のドラマとして、そして両性にとっての現実的な「ラブストーリー」の範疇としてもすごく泣ける。これも少し手を加えるとかなりいいドラマに映像化できると思う。特殊効果はいらないから、テレビドラマの枠でも。……しかしこの主人公を女性にしたのはなぜだろう。チャン氏のメンタリティは興味深い。
* * *
以上感想メモでした。
久しぶりにAmazonでTed Chiang氏の名前で検索してみたら、映画タイアップ版の短編集"Arrival"("Stories of Your Life and Others"の改題版)の他、以前ネット公開されていた"The Great Silence"のkindle版も出ていました! これ、ものすごく短いんですけど、ほんとにほんとに珠玉の一本です。すごく泣きました。今回のkindle版の前書きにある通り、詩のような感触があります。""Exhalation"の原文もそうでしたね。淡々とシンプルな文章ながら詩のようです。(だから散文的に訳された日本語版には少し違和感を覚えたのでした)英語が少し読める方は、ぜひ辞書をひきながらでも原文を味わってみることをお薦めします。文章自体はわりとシンプルで「お行儀のいい」文体だと思います。
下はThe Great Silenceをチャンさんコーナーでご紹介した時の記事です。作品の書かれたいきさつと、さわりの数行だけ訳したものをご紹介しています。(読んだとき全文訳してしまったんですが、もちろん公開するわけにはいかないのでポメラの中で眠ってます。でも翻訳って究極の味読なので、訳している間が至福の時間でした。今も時々推敲して堪能しています。(^^))
(PCサイトです。ご了承下さい)
同コーナーで、最近出たチャン氏の動画もご紹介しています。よかったら合わせてどうぞ。(新情報が乏しかったころの更新ペースがウソのようです……(笑))
ご紹介したkindle本、ArrivalとThe Great Silence。
Arrivalは、なんで主演のエイミー・アダムスではなくジェレミー・レナーが表紙なのかな?と思ったら、ペーパーバックは両方の画像がありますね。リバーシブル???
念のため短編集日本語版も。アンソロジー以外では唯一の邦訳書です。