2021/02/13

「覚悟には、果てはありませぬ」:『麒麟がくる』最終回感想

 録画してあった『麒麟がくる』最終回『本能寺の変』、木曜日にやっと視聴しました。なるほどな、こういう終わり方かー……! 思ったことをいろいろ書きます。

光秀というと、じつは昔好きだった歌舞伎役者さんが『時今桔梗旗揚』(ときはいまききょうのはたあげ)という演目で光秀をなさいまして、その時に「光秀=かっこいい悲運の人」のイメージが強烈に刷り込まれてしまったんです。そしてもちろん三日天下というカワイソーなイメージ……ほぼすべての視聴者が結末を知っているであろう中で、どう終わらせるのか興味津々でした。

以前も書いたかもしれませんが、個人的には、歴史もののエイターテインメントは(シリアスなものであっても)史実をなぞるのが目的ではなく(もちろん最低限見ている側が違和感を感じない程度のリアリティはほしいですが)、そのモチーフを使って特定の情緒や考え方、価値観を表現するものだと思っています。だからどの学説を取るかという問題より、どういう感情を提示するんだろう、というほうが興味がありました。

ドラマ全体(まあ見た限りでですが)を通して言えば、正直かなり入り込みにくいところはあったんですが、今の鬱屈した世相の中で「希望のイメージ」を持たせる終わり方をした決断、脚本家さんの意志を感じました。ただ、そこを着地させるのが後述の通りイマイチ現実味を感じないオリキャラさんで、「あちゃ」とズッコケる感じもあったのは確かなので、もっとうまく着地できていれば、というのはすごくあります。伊呂波太夫の「あけちさまー」あたりからちょっと生暖かく見守るモードでした。(笑)最近の大河を見慣れてないので、こういうもんなのかな、と。

ただ、コンセプトは嫌いじゃない。麒麟には来てほしい、まだ終わってないぞ、という願いをつなげたい気持ちは私も共有できました。

さて、タイトルに引用したのは最終回に出てきた光秀の台詞です。

「覚悟には、果てはありませぬ」。

なんかいい台詞だなあと。これを唱えるとすっと腹が座る気がするので、パニクりそうなときに唱えたい。(笑)それはともかくこの台詞、ドラマでは使われなかった有名な「ときは今 あめが下しる 五月かな」の代わりに、決意を匂わせる台詞になっていました。お芝居(歌舞伎)だと愛宕山の歌会でこの歌を詠むんですが、ドラマの愛宕山は一人でしたね。

…じつは大河はあまり見ている方ではありません。きちんと見たタイトルを思い出すと、『黄金の日々』や『峠の群像』にさかのぼってしまいます。でも今年はキャラとして好きな光秀だし、演じる長谷川博己さんも好きなのでこれは見よう、と思ったんですが……なかなか毎回見ることはできなくて、結局きちんと見たのは最初と最後の4~5話ずつくらいでした。でも最終回前日にNHKが「これでもか」ってくらい番宣番組をやっていて(笑)、充分流れを追えました。

最後の数話を見始めたころから、「これは歌舞伎的だな」という印象を持ちました。前述の演目に似ているというのではなく(まったく似ていません❤(笑))、何を表現するのか、というあたりが。コロナのせいかもしれませんが、戦国武将ものなのに合戦シーンはほぼなくて(私が途中あまり見ていなかったせいもあるとは思いますが)、その前後のせりふ劇でキャラクターの心情のドラマを見せていました。テレビにしてはかなり抽象的なシーンもありましたし、極端な顔芝居は感情を拡大するクローズアップの見得、といった感じ。(これはちょっと違和感もあったけれど(笑))

顔芝居については、イマドキ特有の特徴が出てきつつあるのかな、とも思いました。今の映像コンテンツはインターネットで見られることも念頭に置かねばならないでしょう。小さい画面でもわかる表現、となると、ロングよりアップ、腹芸より台詞での説明、となるのは想像できます。

(このへんは画面のサイズ以前にテレビ的なわかりやすさという解釈もあります。好みではありませんが、リアルタイムの大衆エンタメとしてテレビ番組のお作法とされる場合もあるのかも。真っ暗な中で集中して見る映画と並べて論じたらかわいそうですね。でもそれを充分凌駕するテレビ番組だったあるのは確かです!)

…一方でテレビの画面は大きくなっているので、両方に対応する判断は難しいでしょうねぇ……。kindleでさえ、スマホ・タブレット・PC画面に対応することを考えると気が狂いそうですもん。(笑)

さて、だからテレビであることの限界は別にしてですが……個人的に入り込めなかった点について書きますと、理由の一つは駒ちゃんや伊呂波太夫さんといったオリジナルキャラが「便利すぎた」ことです。特に伊呂波太夫さん――旅芸人なのにお公家さんの姉貴分で、下々の生活も知ってて大金都合できて貴人でも武人でも対等に話せる超絶情報アクセス力……便利すぎる。お駒ちゃんもいきなり公方様とお友達になっちゃうしー。(^^;)

で、ヒジョーに申し訳ないのですが、彼女たちが出てくるとどこか失速する感じがあって、個人的には冷めてしまいました。女優さんたちに他意はございません。ゴメンナサイ。自分が知らないだけでじつはリアルな設定なのかもですが、自分なら「お芝居のリアリティとして」もう少しアクセス先を制限するなー、と思いました。

同じことを言わせる(=視聴者に「聞かせる」)のでも、別にキャラ同士が直接会っていなくてもいいシーンがけっこうあった気がします。例えば最終回に、伊呂波太夫が明智様に信長さんをやっつけてほしいみたいなことを言うんですが、別に旅芸人が直接それをお公家さんに言うシチュエーションでなくたっていい。独白でも効果は同じだし、しかも自然に見えるなーとか思いました。あまりに自由な彼女には、時代(信長)の犠牲になっている感じが出ないという問題もあります。身分の違う人を描き込んでいくなら、無理に頻繁にアクセスさせないで、別々の場所で同じ時代を見ているキャラクターたちを平行して描くのもありだなーと。このへんは逆説的に勉強になりました。あんまりキャラ同士を「つなげすぎる」と「安く」なっちゃうんですね。

オリキャラに限らず、全体に「安さ」を感じるところはあって――でもこれはないものねだりかもしれません。主人公が、昔の人なのに今の世相に合わせてやたら女性を大事にしてたり、とても「民主的」だったりという脚色は歴史ものではよくあって、たぶん今回も女性の活躍を増やすという目的なんだろうと思うんですが――うん、ここはちょっと違和感があったところです。これは他の表現でもポリティカル・コレクトネスが行き過ぎた場合に感じることで――話が長くなりそうなので、これは機会があったら改めて書きますね☆

ただ、当初受け入れがたかった信長さんの心理的な造形は、終盤になってむしろ見事だと思うようになりました。このドラマの中で一番、キャラクターとしてフィクション特有の一貫性とリアリティがありました。ああなるほど、こういう人物として描いたのか……と。「信長像」として好みかどうか、というのは別にして、キャラクターを作り上げるという意味でとても成功していたと思います。光秀との関係に「腐女子狙われてる?」てな感じもしたんですが(笑)……だって「二人で茶でも」ってああた。信長さん光秀になつきすぎ。かわいいし。子犬ちゃん……。

でもまあ、そのへん安くはあっても、「あの信長」のキャラクターとしては破綻していなかったのがお見事ではありました。一瞬、ベネディクト・カンバーバッチがやった舞台『フランケンシュタイン』の、フランケンシュタインとモンスターの構図が重なったりして。立場は逆だしいろいろ違うところはありますが――モンスターの残虐な奇行が、突き詰めると「愛されたかった」につながるところは似ている気がします。萌える構図なのになぜかそうは感じなかったですねえ、今回は……ええとね、ちょっとやりすぎなの。露骨すぎなの。としま腐女子にはさじ加減が大事なの。(笑)

逆に最後まで「作りもの感」が拭えなかったのが主人公かも……脇役のほうがイメージを先鋭化できるので、主役に比べると儲け役なのは常ですが、光秀さんはなぜか地面から数十センチ浮いている感じというか、二次元的に見えるというか、中身が真空に見えるというか……。

俳優さんは好きだし――(お顔がテッド・チャンさん系で❤ まあそれ言ったら似てる日本人はたくさんいらっしゃいますが(笑))、そういうことは言いたくないんですが。シーンごとの感情は充分表現されているのに、それがつながった流れがいまいちピンとこない。うん、それは正直なところでした。キャラが高潔すぎるのか……いや、高潔なキャラが必ずしもリアリティないわけではないので、「フィクションとしての」リアリティの仕掛けがうまく機能しなかったんじゃないかと。それはなぜか? というところを細かく考えていくと、これまた勉強になりそうです。(単純に自分が途中をすっ飛ばしてるから、という可能性もあります☆)

あ、気になってたこと。なぜ光秀さんに月代がないのか? 若い頃だけかと思ったら中年になってもないんですよね。ないほうがかっこよく見えるという判断? それともそういう史料がある? [追記:あとから画像ググってみたら歌舞伎のほうもないですね。同時代の信長さんとかはあるし光秀の肖像画もありそうなのであれっと思ったんですが――キャラとしてそういう伝統なのか? 機会があったら調べてみよう……]最近は前髪や襟足のボーボー部分が地毛っぽい時代劇を見かけますが、今の流行りなんでしょうか。あと、女性が何歳になっても若いまま(笑)――まあこれは様式美なのかもしれません。見慣れていないだけで。ただ、今回は女性に限らずみんな若いままだなーというのはありました。光秀も最後まで青年。近衛前久さんなんか少年だし。(顔芸がちょっとやりすぎ感ありましたが、中の人はたしか実物大ガンダムの中継に出ていたガンプラ好きの人だと思うので、ケチはつけたくない(笑))

というわけでまとまりませんが、スタートから俳優さんの交代やらコロナやらで大変だったと思います。コロナがなければもっと戦国武将ものらしい合戦シーンもあったんではないかしら。「めちゃくちゃブラックなとこに勤めることになってしまった真面目な人の苦悩」としても共感できる箇所はありましたし、信長との間の感情のもつれを複雑にしたのは面白かったです。……物陰から覗いてキーッとなってる信長さんは女子中学生みたいでちょっと笑えてしまいましたが、そういう人物として描いたんですよね。人間の行動の動機なんて武将でも案外そういうとこだったりするかもしれないね、なんて思ったり。(笑)久しぶりに大河を見た身からすると、「今はこういう感じなのね~」というのが一番大きかったかもです。でも日本史に興味が出て、後に書きますがいろいろ開拓したのは収穫でした。次の大河も主演がイケメンさんなので(笑)、気楽にトライしてみようかなーと思っています。まる。


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リンクなど

さて、少し前になりますが、時代考証を担当している小和田哲男さんがYouTubeで動画配信しているのを知りました。最終回を受けての動画はネタバレ回避で我慢していたので、見終わってすぐに視聴。そのあとはwikiで関連事項を読んだり、脚本の池端俊策さんのインタビューなど読んだりして楽しみました。

戦国・小和田チャンネル

NHK/脚本・池端俊策さんインタビュー


歌舞伎の光秀さんに入れあげてた頃に読んだ人物叢書本が、まだ売られていたのでこちらもリンクしておきます。

当時は総合的にサクッと読める本は他に見つからなかったので、とても楽しく読んだことを覚えています。まあ自分はミーハーな読み方ですけれど❤

レビューを見るといろいろご感想があるようです。発行から時間も経っていますから、仕方のない部分はあるかと思います。歴史は書き換えられることを望むもの、と言う言葉もありますしね。


ついでのついでで、最近YouTubeでよく見ている日本史の先生のチャンネルをご紹介します。もともとのコンセプトは中学生向けの日本史レクチャーらしいんですが、大人もオッケーな講座です。めっちゃくちゃわかりやすくてファンになっちゃいました❤ 

市橋章男のなるほど! 歴史ミステリー

最初に見たのは桓武天皇のあたりだったんですが(なんか歌舞伎の『碇知盛』の「かんむてんのうくだいのこういん~」って台詞が耳に残っていまして)、改めて最初の古代から順に見ています。YouTubeは玉石混交ですけど、先ほどの小和田先生といい、こういう先生方のお話が手軽に聞けるのはありがたい。テクノロジーの恩恵ですね。ほんとにいい時代になったものです。

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