2022/09/19

J庭52/COMITIA141 参加ご報告②:代表様ご引退、「自由に発掘する楽しみ」など



当日会場でいただいた
特設ジャンル「JUNE」のパンダちゃんPOP。
記念に新刊看板とパチリ☆


代表様ご引退によせて

J.GARDEN代表の稲嶺様が、今回で引退なさるとのこと。これまで大変お世話になったので、少し感謝の気持ちを書かせてください。

カタログの対談にあった通り、うちのようなマイノリティかつ弱小なサークルスペースにも折々お立ち寄りくださり、「サークルを大切にしてくださってるんだなー…」と感じていました。JUNEやその周辺についてお話をさせていただいたこと、作品をご評価していただいたことは、何物にも代えがたい体験でした。今回の特設ジャンル「JUNE」も稲嶺様の企画と聞き、何を措いても参加したかったのです。

自分にとっては、J庭との関わりはこの方なしにはありませんでした。『追憶のシャーロック・ホームズ』を抱えて初めて参加を申し込んだとき、(たぶんご本人はご記憶にないと思いますが)直接お電話をいただきまして、「原作著作権失効二次」というアプローチを前向きに受け入れてくださいました。その後コロナ禍で参加を断念するまで、ほぼずっと参加を続け、細々とながら「J庭に持っていきたい」と思う作品を作ることができました。

他のイベントでは「結果的にできたものを持っていく」のですが、J庭は「あそこでなら(自分好みの)こういうものも受け入れてもらえるのでは」と逆算して企画を立てられるイベントであり、事実、ニッチな作品を好んでくださる読み手の方々と出会える場になりました。「私が」ではなく「作品が」出会うのです。ここが何より大切なところです。

今回も幸いお話をさせていただけて、J庭が多様なアプローチを受け入れてくれたこと、どこに持って行ったらいいかわからない作品の受け皿として大きな間口を開けてくれたことの裏に、稲嶺様のご努力があったことを知りました。私などは、そのおかげで細々と活動を続けられたようなものですし、今回の新刊はまるごと「JUNEを語ろう」の企画に触発されたものでした。感謝をお伝えできたことで、自分としては今回参加した意義が充分にありました。本当におつかれさまでした。


「自由に発掘する楽しみ」

今回、カタログの特集「JUNEを語ろう」のアンケート紹介の最後に、若い世代の方が発掘する形でJUNE/『June』(ジャンルとして/雑誌として)を楽しんでいらっしゃるのを読み、自分も若い頃に古いもの(JUNEではありませんが)をいろいろ「発掘」して楽しんでいたことを思い出しました。それは独自の体験で、決して先に体験した方たちのあとを追うものではありませんでした。自分がへそ曲がりすぎたのかもしれませんが、そこには苦い経験もありました。ちょっと書いておきたいので、お許しください。

大昔の話ですが、歌舞伎にはまって幕見席に通っていた頃、ご年配の方に「お若いのにえらいわね」と言われて、ニコニコしながらも内心『えらいってなに?』という違和感――を通り越して、軽い憤慨を覚えました。先方はまったく悪意などなく、今で言うマウンティングの意識もなかったと思います。それでも、自分は決して「先輩ファンの世界に入門」しようとしていたのでなく、自分が惹かれる「新しいもの」を自力で深掘りしていたのです。だから、なにか「新雪の上に寝転ぶうれしさ」を楽しんでいたのに、その新雪を「誰かがすでに踏み荒らしたぬかるみ」に変えられてしまった、かのような気持ちになってしまいました。

別のジャンルで——ご同好が親世代の方ばかり、というジャンルにどっぷりはまったことがありました。ファンの集い的なものにお誘いいただき、それは嬉しかったので出かけたんですね。すると、あとからその親世代の方々から、過去に寄稿なさった関係会報を段ボールいっぱいに詰めて送られたり、コレクションを「自分はもう年なので譲りたい」と言われたり、まあ光栄なことなんですが、あったわけです。

でも、単純にその対象を好きで見まくったり同人誌を作ったりしていただけで、「団体としてのファン活動」を担おうなどとは露ほども思っていなかった自分には荷が重く、送られたものに目を通すことも、貴重なコレクションを管理することも不可能でした。それでご縁を丁重にお断りして、逃げるように距離を取るはめになりました。

今思うと自分の器が小さかっただけで、ほかの方なら対応できたと思います。ファン活動にも適材適所があり、違う形でならうまく関わることができたかもしれません。でも当時、世慣れていなかった自分は(まあ今もそうですが(^^;))、期待に応じられないことをうまく言い繕うことができず、自分もつらかったですが、先方にも不愉快な思いをさせてしまったと思います。先人の研究書は自分なりに選んだものを楽しんでいたのですが、「おつきあいで」何かを大量に読むとかそういうことはまったく別で、自分には難しいことでした。(これも今でもそうです。遅読でストライクゾーンが狭いのも一因かと……)ファン同士の交流を大切に考えていた方々には、さぞや恩知らずな若造に映ったと思います。

自分話が長くてすみません。何が言いたいかといいますと——JUNEについても、「新たに発見する方の喜び」を尊重したいということです。少なくともコントロールできる環境にある時に、意識できる範囲では。

彼女たち(あるいは彼たち)は、たぶん私よりずっと柔軟で、過去に対してもスマートに対応できると思います。それでも、もしかしたら私や同世代の方が「JUNE」と読んでいるもの(自分の「JUNE」はマイノリティだと思いますが)に別の名前をつける方々が現れ、JUNEという言葉はなくなっていくかもしれません。それはそれで良いのだと思います。自然なことです。

「私はそれをJUNEって呼んでたなー」と感慨を覚えるのは自由だとしても、自分が想像していなかった感覚が、そこに含まれているかもしれません。「なんだ、それってJUNEじゃん」と、人の「新しい発見」を自分の枠で切り取って見下ろすような態度は、ちょっと無粋に感じられます。鑑賞やファン活動は、知識ではなく喜びこそがメインディッシュなのですから、ふさわしいのはヒエラルキーではなく互いに対する敬意でしょう。(少なくとも自分はそう思っています。先行する研究をすべて踏まえる必要があるアカデミックな世界ならば、また話は別かもしれませんが)その延長で、自分が自分の感覚を深掘りすることも、これまた自由でありたいと思っています。

今回の新刊は薄い冊子ですが、そんな気持ちも込めました……って、なんかリクツっぽくなっちゃいましたね。スミマセン。(^^;)一言でいえば、「美しいものを自由に楽しむのが好き」というだけです。「自由に」が自分にとってのキモです。創作についてもそう思っています。創作をする人すべてが、いわゆる商業作家を目指しているわけではありませんよね。それぞれの方の都合や好みで、いろんなやり方があると思います。デジタルで手段が増えたことは、私たちにとって福音です。

そんなふうに、「同人誌ってもっと自由でいいんじゃないかな……」とつねづね思っていました。今回のティアマガの記事「コミティア魂」を読んで、その意をますます強くしたところです。(本を作って参加するだけの自分からは見えなかった思いや志が、運営なさる方々にはあるのですね。ほかにもいろいろ刺激を受けましたが、コミケが「仮想敵」とは想像もしてませんでした……)

…おっと、話が別のところに行きそうだ☆ 自分に話を戻します。


J庭に感謝・そしてこれから

…もともとマイノリティだとは自覚していましたが、現在のJ.GARDENのなかで見ると、自分のアプローチは同人誌としてもはや「異端」に近いのかもしれない……と、今回思いました。(けっして「逆説的に自惚れている」(笑)わけではなく、パンフを冷静に見てそう思うのです)でもそういうものまで受け入れてくれたのがJ庭なんですよね。そして思い切って形にしてみると、それに反応してくださる読み手の方も、「必然的に少数」ながら、「確実に」おられるのがJ庭でもありました。(この「必然的に少数」なところは、「自分の絵や文章がもっと上手ければ……」というレベルとはちょっと次元が違うかもしれません。でも一方で、「宣伝やSNS、人との交流が得意だったら、多少変わっていたかもしれない」という思いはないこともありません……まあ、ないものねだりですね。できることをやるしかないです(笑))

J庭の懐の深さに甘えて活動してこれたことは、自分のような「人生どこ行ってもたいていアウェイ」(笑)な人間にはとてつもない幸運でした。こんな場があるのは本当にありがたいことだし、むしろ「遠慮することはないんだ」と視野が広がり、絡まっていた糸がほどけた感じもあります。「なんでもあり」って言葉の真の意味を、ようやくつかんだような。そんなJ庭52/COMITIA141でありました。


…なんか懐古調の文になってしまいましたが、総括を終えて身軽になって、さらにわがままになって(笑)これからに臨もう、という気分でいます。発掘する楽しみだって「未来に」起こるのですもの。これからのJ庭やコミティアに、そしてジャンルとしての「JUNE」に、自由が、豊かさが、寛容が、互いに向ける敬意が、ますます広がっていきますように。

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