引き続き、仕上げていなかったウクライナ侵攻関連の記事を。
今回は見聞きしたドキュメンタリーや新聞記事の感想とリンクです。
ロシアのドキュメンタリー感想(なぜか断捨離とつながる?)
NHKのBSで見たのですが、最近地上波でも再放送されましたね。すごくわかりやすかった! そして「それは利用するしかないだろうなぁ」とも。敵対する側からは「ロシアはエネルギー資源を武器にしている」となるけれど、持っている側にとっては「これしかない」でもあるし。自国の地の利や天然資源を利用するのはどこの国もやっていることなので、とりわけ悪いことのように色眼鏡をかけると読み違える部分も出てくる気がします。ただ、「ほかの国もやってるんだからやっていい」と悪い方に流されるばかりでなく、過去になかったあり方を模索するのが課題なんでしょうね。
昨夜BS2で見たばかり。すごくよかったので、こちらも地上波でやってくれないかなぁと思います。おおぜいの人の目に触れてほしい。動機として扱いやすい経済や「客観的な事情」より感情や本能のほうに寄り添った分析でした。ただ、それが起こった経緯はロシア一国ではなく、関係した他国との関係によるものだとも思うので、そこらへんをもう少し理解したいです。「ロシアって」と切り離して客体化した理解に流されそうな危うさも感じました。
でも一番印象に残ったのは、最後のほうで歴史家さんが言っていたこと。
はしょって書きますと、
「歴史家の自分が言うのは妙だけれど、国の指導者は歴史に学んではいけない。『あそこは自国の領土だった」とか「あの国にこんなことをされた」とか、恨みや憎しみが出てくるだけ」
…という意味のことをおっしゃっていたんです。(うろ覚えなのであとで確認できたら追記しますね) まさに的を射ている気がします。そして自分の頭のなかでは、本質的に「断捨離」と同じだなぁと感じました。部屋のリフォームや断捨離の番組、昨年くらいから好きでよく見てるんですけど、断捨離の発案者さんがよくこんなことを言います。
「今目の前にあるものを何とかしよう。どうしてこうなったとか、誰がこうしたとかいう『犯人捜し』は意味がない」
番組に出てくる部屋の持ち主の方が「これはママ/パパがため込んだモノだ(だからママ/パパの責任だ)」とか「親にこういう扱いを受けて育った(だから捨てられない/片づけられない)」とかいう方向にいこうとすると、こういう言葉が出てきます。「一国の事情」と「一世帯/一個人の事情」では規模がまるで違いますが、周囲との関係や感情の絡みに関しては、本質的に同じことのように思えます。
ドキュメンタリー自体は過去を知って今のロシアを理解しようという主旨でしたが、一番大事なのはあの歴史家さんのコメントだと思いました。「過去に学ぶ」って良いことばかりのようなイメージがありますが、それに感情がとらわれるという側面が当然ありますね。ならばないほうがいいけれど、感情ってそうはいかない。他者も自分も「自然にとらわれている」部分があることを、糾弾するのではなく「理解する」(単に受け入れるってことではなく)、それを前提として配慮に入れる必要がある、ということなんですね。。言うは易しですが、意識しないよりしたほうが一歩前進のはず……ですよね?
以前『報道1930』に出ていた、当時駐日ロシア大使だったガルージン氏(難しい日本語を使いこなしていることに驚きました)の言い分にもあったんですけど、「似たことをアメリカがやっても叩かれないじゃないか」というダブルスタンダードははっきりとあると思います。だからやっていいわけじゃない。でもそのダブルスタンダードの矛盾は、いわゆる「グローバルサウス」の人々が、昔自分の国を植民地にした国々にどういう感情を持っているかともつながるし、被害を受けているのが「見た目白人」の人々になったら世界の注目度やお金の集まり方がまるで変った、というあたりともつながります。これも当初から感じていた違和感の一つです。(その「世界」は自分も含めてのことですが……)
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後半の新聞記事リンクは、昨年4月頃に書きかけて6月にまとめなおそうとしたものです。(区切りが入ってますが最後までそうです)妙な入れ子になりますが時間がないのでそのままにします。ご容赦くださいませ。
(あ、「過去に学ぶ」って書いてますね(笑)、でも考えが変わったところはありません。自分なりに感じていた方向性というか……「過去に学んで繰り返さない」と「過去の知識と感情にとらわれて同じことを繰り返す」では正反対ですもん)
「負け組」を取り込むこと
そうこうしているうちに、昨日の新聞に国際政治学者さんのインタビューが載り、この戦争には「解がない」とされていました。愕然というか「やっぱり」というか。専門家さんは「今の枠組み」について知り尽くしている方々だから、少なくともそこに解答を見つけることは難しい、ということだと思います。
でも大きなヒントは、この「失敗」(世界がこの戦争が起こるのを許してしまったこと)の原因が、「ソ連崩壊後にロシアを取り込んだ体制を作る努力を怠ったこと」だと提示されていたことです。そしてこの戦争のあと、「負け組を取り込んだ体制」を作ることが大事だと。それこそ過去に学ぶことで、人類が一歩前進することになるのだと思います。…でも今それを言うのは、やはり「遅かった」というしかないですね。これからを構築するしかない。でも可能性は常に「今」にしかないものですよね。
国際秩序のリアリティ:国際政治学者・藤原帰一さん
(藤原帰一さん。個人的には毎朝見ている『キャッチ世界のトップニュース』で映画を紹介してる人、というインプットなのでなんとなく申し訳ないです。えらい先生なのに。(^^;)でもそのおかげでこういう記事もとっつきやすくなりました)
経済制裁やロシア大使の追放が報道されています。「ロシアを孤立させる」が目的だそうだけれど、「孤立させる」が常に良策なのだろうか。どうしても、二次大戦時に国際連盟を脱退した日本のことが思い出されます。たまたまテレビで見た、松岡大使が啖呵を切って退場した白黒動画が目に焼き付いているんです。あれこそ失敗の瞬間。そのあと日本はどうしたでしょうか。別のつながりのルートが残っていること、あるいはこれから作られることを祈ります。国内でなんとかしてくれ、では済まない。
じつは上記の記事は、四月の初め頃に草稿を書いていたものです。当初感じていた「違和感」はまた別のものでした。その後見つけた記事なども自分の記録のために加えながら書きます。
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その後「そうそう、そっちなのよ」と自分が共鳴してクリップした記事のリンクです。
たまたまうちでとってるのが朝日新聞なので、そこの記事に偏ってますがご容赦。(親がとっててそのまま継承しているだけなので他意はありません)
(論壇時評)フェミニスト外交 国家より人間優先の視点を 東京大学大学院教授・林香里
(2022/4/28)
まさにです。それなんです。国を問わず「一般の人々すべて」というくくり、その安全な生活を優先するという考え方がほしい。だから肝心なのは「ウクライナを支援する」ではないんだと思います。「人間を害すること」を停めるために何かをするべきなのに、やってることの方向性がまるで違うと感じます。今は完全に欠けている、これからの世代の考え方なのかもしれません。「人が考えを変えるというより、古い考えの人々から世代交代すること」で世の中の価値観は変わるとも言われます。でもそうあきらめたくはありません。環境問題もこの視点がないと進みにくいでしょう。
アフガン退避との差 なぜ「(耕論)ウクライナから「避難民」 小川玲子さん、石川えりさん、宮井健志さん」より(2022/4/27)
他の紛争で退避を余儀なくされた人々と、今回避難を強いられた人々の待遇に差があるのはなぜ? 見た目「白人」の「ヨーロッパの人々」への反応・待遇の差は当初から「違和感」の核にありました。もちろん「こんな時にそんなことを言う?」という空気にあらがうのは勇気がいりますね。
「前線に立たない自由」は:ウクライナ出国は「恥」、届いた中傷(2022/6/9)
「18歳から60歳の男性の出国は原則禁止」…ニュースでさらっと触れられたのを初めて聞いたときは、「今時そんなことが?」と耳を疑いました。そして報道されるのは、祖国のために喜んで戦うという人たちばかり。そういう人ばかりなわけないよね、と家の中では話していましたが、そういう切り口で大っぴらに話しにくい、という空気を感じました。恐ろしいことです。