2023/10/21

『なぜ私は私であるのか』:もしくは「なぜ図書館の本は"読み切れずに返す直前"に俄然面白くなるのか」

《追記》少し長いので目次をつけました。
(bloggerはページ内リンクツールがないのでそこはご容赦を☆)

  • 前説と「最後から読む」
  • アニル・セスさんの書き方に慣れる
  • 「あのドレス」と「ファイ」
  • 「図書館本は"読み切れずに返す直前"に面白くなる」法則

前説と「最後から読む」

7月に日本で行われたALIFE 2023 という学会の公開イベントで、テッド・チャンさんとの対談をオンライン視聴させていただいたアニル・セスさん。その時著書を調べてみたら面白そうで、かつ図書館にあったので予約し、かなり待ってようやく順番が来ました。人気の本みたいです。

(学会自体のご紹介はこちらに書きました。
テッド・チャンさん備忘録:ヴァニティフェアインタビューと学会講演(2023/7/26)


『なぜ私は私であるのか: 神経科学が解き明かした意識の謎』
(アニル・セス著・岸本寛史訳・青土社)
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…なんですが、受け取ったのは不運にもJ庭直前! しかも市内の市立図書館全館に対して一冊しかない! 順番待ちの方々がいらっしゃるので延長はできません! うー!(^^;) 

で、イベント後にようやく本格的に読み始めたのですが…イベント疲れもあってなかなか入り込めず苦戦。「テーマは面白そう」で理解できた部分はものすごく触発されるのですが、専門用語が多くてかなり集中力を要するのです。これは挫折返却かなー…とあきらめかけたんですが、せっかくこんなに待ったのにもったいない。で、こういう時の裏技、「最後の章から読む」をやってみました。

そしたらビンゴ!入れました!(笑)よくこういうことがあるんです…思考回路が逆さまなんですかね。(笑)


アニル・セスさんの書き方に慣れる

最終章(正確には「エピローグ」の前の章「機械の心」)を読んだらすごくおもしろかったので、読み止しの箇所に戻り、再びゆっくり読み始め、だんだんセスさんの芸風(?)というか、書き進め方のクセがわかってきました。ポンと一般人には馴染みのない用語が出てきて、それがどういうことかを示す記述はあとに出てくる。(用語の説明という感じではなく、適用例を描写する感じ)

数学用語なんかだと、普通に使われる言葉が別に特定の意味を持ってたりするんですね。あぶねえあぶねえ。(笑)素人の自分には電子辞書さんにそばにいてもらわんと。もちろんまったく見たことないものもあります。「尤度(ゆうど)」なんて聞いたこともない……英語だと"likeliness/likelihood"だそうで、これなら「ありそう度」的なイメージが普通に伝わりますね。ガクモン系の用語は昔からこういう例が多い気がします。(日本語の固定訳だと意味不明の専門用語が、英語だとカジュアルでわかりやすかったりする)


さて、セスさんの書き方に戻りますが…感触としては、わかんない言葉も曖昧なまま読んでいくと、なんとなくイメージできるようになる。パーツを一つ一つ理解しながらパズルを埋めていく…というタイプではない(ように自分には感じられた)ので、「一つ一つ理解」して積み上げるつもりでいると「わかんねーよ!」「なんだよいきなりそれ!」とストレスが溜まってしまうんです。理解を一部「保留」してボンヤリ読んでいくと、急に「あ。こーいうことか☆」とイメージが下りてくる瞬間がある。そのA-HA体験(今時言わない?)がけっこう癖になって、「残りの部分も読みたい」と引っ張ってくれました。


「あのドレス」と「ファイ」

じつは学会後に偶然テレビで見たドキュメンタリーで、セスさんを見かけていました。(タイトル忘れてしまいましたが、BS1でやってた脳関係のやつ)番組で取り上げていた「ドレスの色が青と黒に見える人と白と金に見える人がいる写真」の話なども本に出てくるので、ところどころデジャブが。(「ドレス」の写真は、本の中でウィキのURLが紹介されていました。 >The dress  …私には「白と金」に見えるんですが、どう見えます?)


でも読んだ中で面白かったのは「ファイ」という章。「"全体は部分の総和以上"になること=意識」という、いきなり言われるとイメージしにくい仮説を取り上げてるんですが、これが読んで「ない」ときに「あ」の瞬間が来まして。すごく「それむしろ流行りの考え方では?」みたいな感じになりました。

"全体は部分の総和以上"自体はかなり共有されている概念だと思うんですが、それ(「全体」になった時に増えるもの)が多ければ多いほど「意識的」と言われるとイメージのギャップがあったんです。でも「あ」の瞬間に「感触」として捉えることができました。

この本、パッと見は専門用語や数値やグラフがあって理系的に見えるんですが、理解する段になるとこういう「感覚的」なものが多い感じがします。ま、テーマが「意識」ですしね。


別経路では異なる切り口で触れていた概念が、数学とか神経科学の用語で記述されてるこの感じには、「抽象的なレベルで」なんとなく覚えが……。そうだ、まさにテッド・チャンさんの作風! 自分の言葉で言うと、「カタいパーツ(数学や物理や一見無機質なもの)」で「ソフトなもの(情緒や感情、美しさ、有機的なもの)」を表現する、あの感じ。対談ではあまり噛み合っていなかったように見えたんですが(ごめんなさい、私が英語リスニング難民なせいかもです☆)こういう面で通底するものがあるんだな、なんて思ったり。


専門的な用語が多いので、パラパラッとめくっていると正直少しとっつきにくそうな印象があります。でも『エクス・マキナ』とか映画の話もよく出てきて、そこは映画好きには入りやすい。やはり一般向けに書いてるんですね。セスさんの持論を追う面はもちろんありますが、途中寄り道的に紹介される話題・別の方の研究が百花繚乱で、「へえー!」と思えるものがたくさん。むしろそちらがメインの「博覧強記」系に近いかも。「刺激を受け、視野を広げて頭を柔らかくする読み物」という感じです。読んでて「自分の考え」がわーっと湧いてきて、メモがいっぱいになりました。(たぶん夜中に読んでたせいで暴走したのもある(笑))


「図書館本は"読み切れずに返す直前"に面白くなる」法則

しかし。あー、もう返却日[※この記事を書いた10/19]です。 昨夜2時頃まで夜更かししてラストスパートしましたが(というより、読み始めたら止まらなくなったのです)、読了の割合は全体の半分くらいでお返しすることになりました。いつも思うんですけど、なんでこういう段階になって急に自分の食いつきがよくなるのか……。これで購入すると冷めてしまったりするんですよね。これってずっと「買うといつでも読めるから相対的に価値感が下がり後回しになる」のかな、と思ってたんです。でも違う要素もあるように思い始めました。むしろ購入した本「完全に理解しなくては」というプレッシャーがあるんです。投じたお金を無駄にしたくない。だから、今回のような「わからないところは保留してボンヤリ読んでいくべき」タイプの本だと「これはダメだ」と性急に思ってしまう。「わからない」の状態でいる途中経過が耐えられないんです。(お、これぞ「ネガティヴ・ケイパビリティ」の問題ですね~(笑))


一番プレッシャーなく気楽に読めるのは、まさに「図書館で借りた本を読めずに返す直前、急いで目を通している時」。本への期待度というか、「この本からこれくらいのものは得たいという欲・得なきゃという義務感」が下がっているんです。あるいは意識されない状態になっている。同時に「手放す惜しさ」もある。だからこそ、「こんなに面白い所があるならもっと早くみっちり読むんだったー!」と思える……たぶん。だって、そもそもそれが実行できない状況だし、その義務もないんですから……気楽の極致ですよね。

(この洞察は昨夜読んでるときにひらめいて、メモに入れた殴り書きが元です。のーみその関係ない所が活性化される読書って私には理想です♥(笑))


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いずれにしろこの本、「ゆっくりと寄り道を楽しむ本」で、タイトルや構えから想像するような「著者の仮説を知識として取り込むための本」からはちょっとはみ出す本でした。少なくとも自分には。返したらもう一度予約入れちゃおうかなーとも思うんですが…予約待ちの方の人数を見ると、たぶん次に来るのはまた2か月くらい先。そのときにこういうものを楽しむ余裕があるかどうか。(ちょうどまた12月のコミティアやコミケがあるので…(^^;))同じテンションでないのは確実だし、その時自分が何に興味を持ってるかもわからない。うーん、買っちゃおうかなー…。(他で散財した後なので悩む☆)こう思うと、本との出会いも(タイミングを含めて)ほんとに一期一会ですよねー…。


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「最後から読む」で読んだ「機械の心」の章で、すごく印象に残ったところがあったので読書ブログにも記録しました。

牛乃の読書ノート:「最高の倫理とは予防的な倫理である。」


ご紹介したところとは別ですが、「脳オルガノイドの農場」を作りたがってる研究者さんがいるって、かなりショッキングでした…。(詳しくは本をお読みくださいませ。ソフトカバーですが索引完備(←これ大事☆)のしっかりした本です♪(^^))


ところで原題は"Being You: A New Science of Consciousness"。やっぱり英語だとカジュアルだなー☆