夏の名残の体調/のーみそ不良(^^;)で生産的なデスクワークができないので、ツタヤ更新のオマケやらアマゾンプライム無料体験やらでいろいろ見まくってます。(金欠期にありがたい環境(笑))感想メモからいくつか。基本的に非公開日記からのコピーなので、文体が違うところはご容赦ください。(入力/変換ミスやわかりにくいところなど修正したつもりですが、不備が残ってましたらこちらもご容赦を)
自分基準でネタバレかなーと思うところはいちおう白文字にしています。不自然な空白になってるところがそうで、選択していただくと色が反転して読めます。
『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』
前日にツタヤの更新サービスで借りた『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』を午前・午後に分けて鑑賞。面白かったぁ! ティモシー・シャラメはこれまで見た中ではこれが一番いい。他に見たのは『君の名前で僕を呼んで』『デューン』くらいだけど。すごく生き生きしていて役にも合ってる。ウィリー・ウォンカの魅力としては、主役にしてはヘナチョコだということだ。なんらかの被害に遭っても相手に敵意を出して戦うことがない。あたりがやわらかい。敵意で対抗するのではなく、「困る」。きちんと「困る」。それを解決しようとするけど、根本的に対立して相手を滅ぼそうとしない。これは深い。子供向けだから、にはとどまらない発想の違いを感じた。
『メッセージ』の台詞を思い出した。麻雀をアナロジーに使うことで敵・味方や対立という枠組みの会話になることを「問題じゃない?」と言ったルイーズ。その枠組みを「選択できる」という意識が、私たちにはそもそもないかもしれない。別の選択肢をエンタメで自然に見せるのは意義のあること。
ヒュー・グラントがウンパルンパというのも、予備知識がなかったのでビックリ。もともとコメディっぽい雰囲気がしっくりくる人だとは思っていたけれど、『モーリス』から思い返すといろんな意味で感慨無量。役柄シフトしてうまく年をとったなあ。
ところで昔の『チョコレート工場のひみつ』(追記・映画の邦題は確認したら『夢のチョコレート工場』でした☆)では名前の表記がワンカさんじゃなかったかな、と検索。やはりワンカさん。ジーン・ワイルダーのはなんとなく好きだった記憶があるので再見したくなったけど、近所のツタヤにはないしアマゾンプライム無料枠にもないのであきらめる。テレビでやってくれないかな。
(追記・その後図書館で『チョコレート工場の秘密』を借りました♥)
『コンタクト』再見
『ウォンカ』の本編前の他作品紹介にあった『ドミノ』という作品に、ウィリアム・フィクトナーが出ていた。懐かしい! 自分にとってはいきなり『コンタクト』の盲目の天文台職員(?)に飛ぶ(当時の表記「フィッチナー」だった気が)。で、見たくなって自宅のDVDを探し出した。夕方から見始めて、夜十時過ぎに見終えた。今見ても素晴らしいし――かなり単純化されているところはあるけど――『メッセージ』がここまで一致していたかと驚いた。
女性主人公の髪型・髪の色・だだっ広い風景と車と彼女、という絵ヅラ。軍、海外との連携、宗教団体の集団自殺などの反応、などなど。根本的なテーマは違うのだが、あまりにも「オマージュ」だったんだな、と感じた。意識されていたのかどうかはわからないし、必然的に似てくるところはあるのかも知れないけど。
で、原作(上巻/下巻)も見返したくなって、本棚からあっさり見つけた。ラストが違うとレビューで読んで確認したくなった。もちろん覚えちゃいないので(笑)。原作はπ(パイ)に隠されたメッセージを解読したところで終わってる。つまり、世界にあまねく「創造者」の痕跡は隠されているということか。小説、特に長編という形態はテーマが散漫になるので自分には読みにくいのだが、これは読み直しても良いな。
『ヴァチカンのエクソシスト』
アマゾンプライム無料体験に登録し、気になっていた『ヴァチカンのエクソシスト』鑑賞。…安っぽ。特撮てんこ盛りのアクションホラーになり果てていた。いやはや、久々に見たラッセル・クロウなのに残念。実在人物をモデルにしてるそうだけど、あんな扱いにしてバチカン怒らないんだろうか。それにこちらの問題だけど、スペイン異端審問と聞くとおぼろげにモンティ・パイソンが思い出されてシリアスに見られなくて困った。(^^;) フランコ・ネロが出ていたのはちょっとごちそうだったけど、とにかく安っぽい。まあ実際のエクソシスト関連の本(『エクソシスト急募』とか)が面白かった記憶があって、題材から期待しすぎたかな。
原題はPope's Exorcistだから、バチカンというより法王直属みたいなニュアンス? 「女王陛下の007」みたいな表現か。実際劇中では他のバチカン管理職たちとは敵対してるなかで法王とだけ同士になってるので、そのほうが合ってる。絶対むごい死に方をすると思ったバチカン管理職の憎まれ役さんは、最後はグアムに行っていた。あれはあれで排除されるのだから同じことか。ホラー映画のこういう役回りの人は、なんでいつも一目でそうとわかる作りになってるんだろう。(笑)そう、オカルト映画ではなくホラー映画として撮られていた。つまんなかったのはそれが理由だ。オカルトは好きだけどホラーは好きじゃないので。(ピーター・カッシングは好きだけど、ホラーが好きなわけじゃない☆)
『最後にして最初の人類』
アマゾンプライムビデオ無料枠で『最後にして最初の人類』を鑑賞。すごくよかった。朗読と音楽と巨大彫刻の映像だけなので退屈するかと思ったけれど、あらかじめそれがわかっていたので「なんなのこれ」はなかったし。見ながら「音楽が歌詞のないエニグマみたい」とか「『メッセージ』にも似てるな」とか思ってたんだけど、見た後確認したら、音楽と監督をやってるヨハン・ヨハンソンはまさに『メッセージ』の音楽をやってた人なのだった。急逝しているそうだ。それもあって、ケストラーじゃないけど「人類への遺書」的な惹句になってるんだな。でもまさにそんな感じだ。ナレーションのティルダ・スウィントンもとてもいい。
ただ、今の状況で見ると作品としてよりもリアリティを感じてしまう。このままでいくと20億年も持たないよ。この人類は。この作品の人類の最終形態に出てくるテレパシーでつながった集団精神というのは、自分には理想には思えないんだけど、そのアイデアをとらなくとも、「あたかも人類全員でひとつの意思を共有できるかのように」語られるのはSFの常套。たとえば今のように地球温暖化があるとしたら、世界中から科学者が集まって対策が検討されて、それに従ってみんなが生活を変えるだろう。SFなら。
現実にそうなっていないのは、資本主義の悪影響があまりに大きいと思う。そして、個人レベルでは「すべての情報を知っているわけではない」こと。SFはすべてを俯瞰できる存在を設定する。あるいは一般人でもそれにアクセスできることを自然に想定している。後ろ向きなキャラクターでさえ「知った上であきらめている」。意識にすら上らない私たちとは違う。私たちとSFに出てくる一般人との間の「ミッシング・リンク」、けっこう現代の課題のヒントがあると思う。私たち、普通言われるほど進化してない。同じ惑星に餓死している人がいるのを防げないくらいだもの。
【追記】原作に興味が出て図書館で借りてきました。映画で疑問だった「わたしたちはあなたたちを助けられるし、わたしたちもあなたたちの助けが必要なのだ」(これは原作の訳文)に当たる部分がなんなのか——映画ではこれが何をさしているのかわからなかった——を知りたいのだけど、ラストをカンニングしても(すいません💦)ちょっと今のところわからない。やはりきちんと読まねばなのか。うーん、読みたいもの多いし長くて挫折しそうな予感。(^^;)
図書館で借りてきた『最後にして最初の人類』 |