「自分が自分に戻れる場所」(大げさでなく)
古本まつりは何度も行っていますが、こんなに「ものすごい勢いでナニかを吸収する感覚」を覚えたのは初めてです。まるで干からびた吸血鬼が輸血でもされたよう(笑)。地元にまともな書店がなくなってしまい、夏の間は酷暑のせいもあって、日常の行動範囲が家と駅前への買い出しだけ、遠出は母の通院の付添くらい……だったので、精神的にカラカラになっていたのでしょう。
本を買うのが目的というより、あの雰囲気を味わい、あの空気を吸いたかった。何度か店内でマスクをずらして「本物の古本屋さんの匂い」を思い切り吸い込みました。でも後半は本のタイトルを眺めて自然にニコニコしてしまうようになり、恥ずかしくてマスクは外せませんでした。(笑)
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| 外装・内装も魅力的でいつも目の保養な一誠堂さん。 入口上に素敵なステンドグラスがあるのに気付いて撮らせていただきました。 このデザインの窓用ステッカーがあったら買うわ~。 |
今は興奮も落ち着いてしまったけれど、魔法はすこし残っています。あれだけ大量の「本好きの人たちの波の中」で感じた、むしろ守られているような安心感。自分を知る人が誰もいない、完全な匿名性のなかで、しかも自意識から離れ、同時に「自分が自分でいられる」体験。これ以上の癒やしはないかもしれません。
掘り出し物たち
さて、今回の収穫はこちらの3冊でした。
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| 真ん中のは傷みが激しいので 帰ってすぐに透明カバーをかけました。 (右のはもともとカバーが付いてましたがかけ替えました) すでに読みさしなので付箋つきで失礼します☆ |
歩道沿いの出店ワゴンで目についた『映画について』[ジャン・コクトー]と『神よりの逃走』[マックス・ピカート](各500円)、長島書店さん(▶公式サイト)の店内で見つけた『郡寅彦 英文戯曲翻訳全集』(1320円)。しめて2320円でした。
ジャン・コクトー『映画について』
コクトーさんは映画から入って、エッセイ・書簡集・日記が好きになり、長年の偏ったファン(?)です(なぜか小説には魅力を感じないので「偏った」です)。今回の『映画について』は、ぺらっと見た時にジェラール・フィリップについて書いた文章があって、ちょっとデジャヴはあったものの「たぶん持ってないなー…」…と、そのまま衝動買いしました。(そういえば、今月・来月はジェラールの命日とお誕生日が続きますね)。
家にコクトー全集の「映画その他」の巻があるので、ひょっとして内容が重複…? と、正直一抹の不安もありました。でも帰宅して冒頭を読んだら、未収録の文章ばかりを集めたものとのことでひと安心。(アマゾンのレビュアーさんが詳しく書いてくださっています)調べたら市内の図書館にあったので、デジャヴは昔借りて忘れてるせいかもしれません。とにかく秋の読書にうってつけの一冊が手に入りました。(内容忘れてるなら新刊と同じだし!(^^))
マックス・ピカート『神よりの逃走』
ワゴンで買ったもう一冊、『神よりの逃走』は、タイトルでなんとなく手に取り、拾い読みしたら惹かれるものがあったので。著者にも見覚えが――よく古書店で『沈黙の世界』っていう著書に出会ってたヒトでした。クストー(海洋探検家)の同名のドキュメンタリー映画が好きなので、タイトルから「てっきり海底探検の話かと思って中を見たらぜんぜん違った」という失望の記憶がそのまま第一印象になってます(笑)。しかも同じPicardという綴り(スタトレ艦長のジャン・リュックも一緒❤)で「ピカール」という、やはり海洋系の研究者がいた記憶もあって……いろいろ誤解の思い出しかない著者さんでした。
今回買った『神よりの逃走』は帰りの電車で読み始めたのですが、久しぶりの没入体験で気持ちよかったです。邦訳の出版は1963年ですが、タイトルから想像したような「神という概念から逃れよう」というのではなく、すでに世界が(神からの)逃走の構造物でしかない、という切り口。哲学的な考察なのでしょうが、長い散文詩のようです。自分は宗教的な信仰体験がないので、たぶん著者と同じ視点に立つことはできませんが、書かれ方が抽象的な分、現在の自分が見ている状況にも読み替えることができる内容(少なくとも読んだ冒頭では)でした。
ネットに翻弄される現在の社会や個人の生活を重ねて「うんうん、そうなのよね」と読んでいます。でも意味をとるのに時間がかかり、うまく解釈できないところもあります。でも深みがあるのは伝わってくるので、解釈しようとがんばると自然に自分の心の奥底にも届くのが気持ちいい。(英語版のレビューに「瞑想効果がある」と書いてる方がいて、まさにそんな感じです。うまいこと言うなあ!(^^))
今時の「タイパ」の価値観とは真逆の本。こういう本とじっくり時間をかけて付き合うのは、今ではとても贅沢なことですね。
郡虎彦『郡虎彦 英文戯曲翻訳全集』
郡虎彦(こおり・とらひこ)は、つい最近知った著者です。中に『サウルとダビデ』という作品があって、サウル王について深掘りリサーチしていた中で見つけました。郡は1890年生まれの詩人・作家で、イギリスに渡って英語で書いた戯曲が高く評価され、34歳で早世したそうです。この本はその英語で書かれた戯曲を翻訳してまとめたもので、日本語で作品が読める本はこれだけのようです。(正確にはkindleで『道成寺』という日本語戯曲が無料配信されているので、なりゆきで落としてあります。冒頭を読んだだけでしたが、これも今回買った本に「資料」として収録されていました)
アマゾンには新品もあるのですが、少部数なのか定価でも5500円で、新品があるのに出品されてる古書はさらに高いという謎すぎる状況……とにかく私にはとても手が出ませんので、「図書館でいつか借りたい本」のリストに入れていました。
今回はこれを意識して探していたわけではなく、別の『トロイの癒やし』という戯曲(アイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーの作品。以前図書館で借り、最近思い出して再読したいフェーズ)がお手頃価格であったらほしいなーとボンヤリ思っていて、イギリスの演劇関連書が並んでいるあたりを眺めていて見つけました。郡寅彦について知らなければ、「なぜこの棚に日本人の名前を冠した戯曲集が?」と不思議に思いつつもスルーしたことでしょう。今回は自分にも手が届く価格で本当にラッキーでした。一瞬「呼ばれた?」と頭が真っ白になったくらい(笑)。まだきちんと読めていないので、中身も(自分にとって)「ずっと手元に置きたい」ものだといいなー、と祈っています。
「自分は何を好むのか」を見失わないように
結局薄暗くなるまで粘ってひととおり回りきり、提灯に灯がともった風景をしみじみと眺めました。まさに「お祭の夜店」ですね。
そうそう、噂には聞いていましたが、行くたびに外国人観光客さんが増えているのを実感します。観光として楽しんでいらっしゃるのが見て取れる方もいれば、周りに溶け込んで「本を漁っている」方も。見た目ではっきり海外出身とわかる方が、日本語の本を真剣に選んでいる……そんな光景を見て、なんだか嬉しくなりました。本好きさんはどこの方でも似通った雰囲気があるんですね。(^^)
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| 夕刻の古本まつり。昼間とはまた少し違った風情です。 |
…以前にも書きましたが、最寄り駅のある相鉄線が相互乗り入れで都内につながり、神保町へは乗り換えなしで行けるようになりました。運賃は元の横浜経由ルートより少し高いですが、横浜駅や東横線の混雑ストレスを考えると「接続してくれてありがとう!」の一言です。今回は行きも帰りもずっと座れて、なんだか不思議なくらいラッキー続きの午後でした。行く前に最寄り駅近くでサンドイッチとコーヒーを詰め込んだので、あちらでは飲食店には寄らずに歩きどおし。でも生き返りました。ほんとに!
自分の好きなもの・好きなことが、以前よりはっきり意識できるようになったのが何よりの収穫。そして、それらと切り離された生活を続けると健康を損なうのだな、と改めてわかったのも。
ただ、魔法は長くは続かないので、日常の雑事の中でぐったり感が戻ってきています。(^^;) 生活を改善しなくては。でもこれはある意味バロメーターなんですね。思えばこの葛藤もありふれたものでしょう。自分も「その一人」なんだな、と実感します。
方向を見失わないように、忘れても思い出せるように。やはり時々行きたい街です。神保町。



