2013年3月5日火曜日

ひなまつりJ.GARDEN終了/「Juneを語ろう」感想

ひなまつり企画など
昨日はJ.GARDENに参加させていただきました。スペースにお立ち寄りくださった皆様、ありがとうございました!オリジュネオンリーは二次のイベントと比べるととてもまったりしているのですが(^ ^;)、ネットでしかお話したことがなかった方や、十数年ぶりに再会できた方など、いろんな方にお会いできて、お隣サークル様からもいろいろ興味深いお話が伺えたりで、ほんとに…楽しいというより嬉しさと感謝でいっぱいの一日でした。

ひなまつり企画の一つ「ひなまつりペーパーラリー」(サークルのペーパーを規定数以上集めて受付に持って行くと景品がもらえる)用の拡大版ペーパーも、かなり配布させていただけました。(でも大量に余っているので、通販再開時に余計なオマケにしちゃう予定です(笑))
オリジナルジャンルでは、無料本でも貰っていただくのは難しいものですよね。今回もただ置いておくだけではなかなかお手にとっていただけないので、「スペースに視線をとめていただいた方にはすかさず差し出す」、を敢行しました。これくらいしないと減らないんでスよー。(^^;)ラリー企画のおかげで声もかけやすく、受け取ってくださる方も多かったので、またやってほしいです☆

「Juneを語ろう」
さて、とても楽しみにしていたbelne先生竹宮惠子先生の座談会『Juneを語ろう』、かなりスペースをとって座席も用意されていましたが、当然ながら立ち見がいっぱいで大盛況でした。最初後ろのほうに座っていたんですが、人の頭で竹宮先生のお顔がまったく見えなかったので立ち見に移動。どんどん前に詰められていったので、かなりいい位置で拝見することができました。

記憶力に自信がないですが(^ ^;)、とりあえず自分の感想がてら印象的だった部分や連想したことなどを書いてみます。言葉遣いなど細かいところが間違ってるかもしれませんが、どうぞご容赦下さいマセ。ジャンルとしてのJUNEと雑誌名の『June』が出てきますので、カギカッコで区別しますね。『June』に馴染みがない方はこちらをご参照下さい。(Wikipedia 「JUNE」

…自分はいったん廃刊したあと、復刊した時期に読んだようです。そして当時学生でお金がなかったので、「よっぽどほしい時」以外は立ち読み・借り読み程度でした。どちらかというと『June』より『OUT』や『アニメック』のほうが身近だったので、雑誌としての『June』にそう詳しいほうではないと思います。まあその程度の人間の文章としてお読み下さい。いちおうリアルタイムの読者ではあるので、当時の印象などもはさんでいきます。

『June』は小説や漫画も載っていましたが、映画紹介や創作講座、各号の特集など「情報誌」的側面が印象に残っています。『小説JUNE』というのもあり、最近、SHERLOCKや自分のホームズ小説に絡めて言及することが増えた『わが愛しのホームズ』も、最初この雑誌に掲載されたそうです。
購入した数少ない『JUNE』も(同系統の『アラン』と共に)だいぶ昔に処分してしまいましたが、今思うと全部とっておけばよかった…と後悔しきりです。

座談会出席者はもう一人、「謎の人」という覆面の男性がいました。正体はバレバレ(?)でしたが、あくまで匿名参加ということで箝口令(笑)が敷かれていますので、「謎の人」としておきます。この三人の方の背後に、竹宮先生とbelne先生の絵の大型ポスター。ジルベールとセルジュが重なり合った絵柄のものなど数枚が貼られていました。また、始まる前に、『June考』(以前belne先生がJ.GARDENのカタログで連載しておられた記事をまとめたもの。切り取って保存していたので、綺麗にまとまっていて嬉しいー♪)と、竹宮先生の作品の電子書籍チラシが配布されました。

お話はもちろん、竹宮先生の『風と木の詩』をベースに。(作品についての説明はこちら。 Wikipedia 「風と木の詩」)『June』という雑誌や言葉ができる前に、そのジャンルを開拓していた伝説的作品です。当時はもちろん、BLというくくりも腐女子という言葉もなかったですし、この作品もその側面だけで語れるものではまったくありません。

当時はけっこう男性でもサブカル系の方が少女漫画を読んでいて、座談会では寺山修司さんが風木を高く評価していたことなど出てきました。個人的には、、むかーしテレビで森本レオさんが話していたことなど、印象に残っています。
「謎の人」は風木も『June』も「お兄さんの本棚」にあったのを読んだそうで(belne先生の「おにいさん…」の意味シンな発音に場内爆笑(笑))、『月光』(当時のサブカル系雑誌)と並んで名前が出てきたので、やはりそういう流れで読んでいた方は多いのかも。

belne先生の「(風木を)読んだことない人います?」の質問に手をあげた方はわずか数名でした。 「J.GARDENだからかも」と竹宮先生は笑っておられました。現在漫画を教えておられる大学では、同じ質問にだーっと手が上がるそうです。belne先生も同じところで教えておられるので、大友克洋を知らない人もたくさんいる、大学は異常なところだと笑いをとっておられました。(笑)まあ大学生といえば二十歳そこそこの方たちですから、単純にジェネレーション・ギャップともいえますね。(J庭は参加者の年齢層高めですから(笑))

『June』創刊時の話も面白かったです。belne先生は「こういう感じのものを」と聞いたときに、「…今さらですか?『風と木の詩』がもうあるのに?」と答えたとか。(笑)タイトルの由来については、当初ジュン(Jun)だったのが、いろいろ問題があってジュネになったとのことでした。竹宮先生は、ジャン・ジュネを連想させてエロティシズムを感じさせるのでかえってよかったのでは、とおっしゃっていました。(「ジュネ」だとヨーロッパの雰囲気が前面に出ますよね。これがジャンルに与えた影響は大きいかも。「ジュン」だったらまったくイメージが違いますよね)竹宮先生は表紙や挿し絵でかかわったそうで、私が読んだ頃は漫画添削講座などもなさっていました。いっしょに「こういうもの」を盛り上げてくれる場があるのがありがたかった、とのことでした。

風木の舞台がヨーロッパになったのは、竹宮先生は「たまたまヨーロッパ旅行をしたから」とおっしゃっていましたが、1ドル360円の時代に自費でヨーロッパ旅行をするには、かなりの情熱がおありだったはず。同時代の萩尾望都先生もヨーロッパが舞台のものを描いておられましたし…全体としてヨーロッパ的なもの、西洋文化への憧れの感覚が、読者にもあったと思います。

このあたりのお話を聞いていて、JUNEとBLのイメージの違いって、この憧れ感もあるかな、と思いました。ヨーロッパ的なものであれ、日本的なものであれ、当時の「少女」が垣間見たときに、少し文化的に背伸びをできる感覚。なにか「新しいもの」に接する感じ。これがJUNEにはあるなあ、と。

「Juneとは」という話になると、「自分にとっての」という枕詞が必須です。それだけ内包しているものが広い。竹宮先生とbelne先生でもすでに違います。それでいてどこかつながっている。これだけの幅の広さを獲得したのは、『June』のおかげですね。自分がとらえているJUNEも、ここから勝手に我田引水したものです。突き詰めていくと男性同士である縛りも、人間同士である縛りも、恋愛である縛りさえなくなり、より広い美の世界や官能、完成度など、いろんなところにつながっていきます。
「自分が惹かれたもの」のなかに各人がJUNEの要素をみつけて、それぞれのJUNE観を育てているような気がします。だからこそ、「BL」というものが、JUNEからなにかがそぎ落とされたものと映るんですよね。Juneは女の子が食べやすくしたホモのこと、ではまったくないので。(笑)

belne先生は、ファンでいらっしゃるデヴィッド・ボウイを含めたグラムロックの洗礼が苗床になっておられるので、イギリス・音楽シーンといったものが、先生のJuneの大きな要素になっています。「こんな男はいねえ」と言われたときに、いるんだよ!あんたが知らないだけで!(笑)と思うと語っておられました。実在の人物から影響を受けた場合、こういう例はたくさんありますよね~。

また、「こんな男はいねえ」に関して重要なことがもう一つ出ました。JUNE的作品に対して、リアルなゲイの物語としてはこういうのはありえない、的な批評がされることがあるけれど、JUNEは「こういうルール」で展開している世界、という点。風木や萩尾望都先生の当時の漫画などは「少年愛」の世界でしたが、今はよりリアルなゲイのストーリーもJUNE/BLジャンルの一部ですから、ジャンルとして拡大してきたからこそ受ける非難でもあります。
自分にとっては、もちろん自分なりのリアリティの基準があり、それと合致しなくて物語に入り込めないことは頻繁にあります。それでも「こういうルール」という部分も大事だと思います。誤解を恐れずにいえば、「別にゲイの方(=男性)のお墨付きがほしくてやってるわけじゃない」というのは、このジャンルの大切な部分だと思えます。「普通の作品」にたくさん見られる「こんな女はいねえ」という女性キャラに対しては、同種の批難はほとんどされませんしね。(うーん、こういう言い方をしちゃうとけっこう深い問題だなあ…(^ ^;))

稚拙かどうかの問題は、別に確固としてあると思います。「フィクションとして成立するための」基本的リアリティとか、単純に技術とかの問題。そしてそれと同時に、すごく幅が広くて無限の目盛りが打てる、「個人の嗜好」の問題は別にあります。その「個人的嗜好」の部分では、たしかに「リアルなゲイと違う」という指摘はお門違いになります。「この程度のリアルさで読みたい」というのは、個人のなかでさえある程度の幅がありますし。(少なくとも自分はそうです)

…「自分にとってのJUNE」という話になったときも、竹宮先生はJUNEというジャンルというより、創作の姿勢のお話になっていました。風木も、「男の子同士」「性愛を描く」という個々のタブーがどうというのでなく、大きく「革命」「カーテンを開ける」という姿勢の結果として、そういうものができたと。そして印象的だったのは「ほっといて」という言葉。(笑)風木の当時、「男の子なんて(実際には)きれいなものじゃないのに、なぜこういうふうに描くのか」という質問をされて、それは女の子の問題として描くより男の子で描いたほうが、女の子は安心して受け止められるから…とか答えたそうです。が…本音は「ほっといて」(笑)。場内爆笑でしたが、これって大事だと思いました!

鑑賞する上でも、創作する上でも、本音の部分てうまく説明なんかできないですよ、たぶん。大部分は「好きなものに理由なんかない」の一言だし。そして創作する場合には、「説明できないから、人にわかってもらえなそうだから自粛」…をしたらいけないわけで。それをやったら自分の個性が死んでしまいますもん。ここは普通あまり触れられません。漫画では特に、「独りよがりはいけない」と強調されることが多い。でもそれって、誰の目から見ての「独りよがり」なんだろう。ある意味で創作は、あふれるほどの「ほっといて」が核にあってこそだと思います。

竹宮先生は、「じつは女の子が描けなかった」「乙女心がわからない」というのも少年を描いた理由だと、笑いを交えておっしゃっていました。自虐ギャグ的なニュアンスでしたが、「乙女心がわからない」はbelne先生も同意しておられて、僭越ですが自分も部分的に同じです。(乙女心というより、一般に「女性向け」と言われる分野への感受性が乏しい(笑))けっこうそういう人口って多いんじゃないかな…表に出しにくいので目立たないけれど。
そして単純に、「美しい女性より、美しい(かっこいい・色っぽい)男性を描いたり見たりするほうが楽しい」、というのは女性として当然。そういう全世代の「女子」の「わがまま」を、公然と披瀝する場を与えてくれたのが『June』、そしてJUNEというジャンルなのでは。(お、うまくまとまった!(笑))

個人的には、『風と木の詩』はちょっと遅れて、友達から借りて読みました。なので実はコミックスを持っていません。当時深くはまった方でもないです。JUNEジャンルへの思い入れは自分なりにあるものの、BLの熱心な読者でもありません。が、風木は改めてきちんと読み返したくなりました。今読むとどんな印象になるかなあと…。
「謎の人」が、風木を読むときの男性の気持ちとして、「惹かれると同時に責められる感じ」みたいなことを言っていて、竹宮先生も「ある意味男性批判」とおっしゃっていたんです。当時そういう側面をとらえたかどうかまったく覚えていない(^ ^;)ので、確認してみたいです。

最後のほうで、belne先生はBLというジャンルの幅が広くなったことに言及して、JUNEがBLの一部になってきているかもしれない、とおっしゃっていました。教えてらっしゃる学生さんで「BLを描きたい」という人の話を聞いていると、「それはJUNEのことでしょ」と思うことがあるそうなんです。でも学生さんはJUNEという言葉を知らなくて、それをBLと呼んでいると。
廃刊になった雑誌の思い出話と一緒になりがちなJUNEですが、現在進行形のジャンルでもあるんですね。


   *   *   *   *   *   *


座談会は記録もとられていました。たまたまお隣のスペースの方が、ニコニコ動画のブロマガ『BLを考えてみた』というのを始めるそうで、その中で記録を記事にする予定だと教えていただきました。(ブロマガ自体は3/11開始予定だそうです)
ガーデンやbelne先生のサイドでもなんらかの形にするのでは、と思ったのですが、確認はとれていません。貴重なお話だったと思うので、読みやすい形で残してほしいです。

会場では涙ぐんでいる方もいて、じつは自分もうるうるきてしまいました(^ ^;)…お話が泣けたわけではなくて、やはり自分の青春時代とか思い入れとか、いろいろと蘇っちゃうのですよね。とにかく貴重な、特別な時間でした。企画を立てて下さったbelne先生、ご出席の竹宮先生と「謎の人」、J.GARDENという場があること…すべてに感謝したいです☆


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