というわけで続きです。前回書きましたが、「サブカル同人誌」というこのキーワード、じつはフロマージュブックスさんが一部の巻をカテゴライズしてくださったもので、できあがった商品ページを見て初めて知りました。自分の意識にはなかったキーワードなので、目からウロコというか、ある種の解放感がありました。そのへんに関するアレコレを、自分の考えを整理するためにうだうだ書き出します。(笑)
解放感があった、というのは……今さらですが、現在「同人誌」といえばなんらかの形のエロスの表現が前提になっていて、女性向けの場合はある作品の男性キャラクター同士を同性愛に見立てた「二次創作の漫画(あるいは小説)の薄い本」を、ほぼ限定的に指しています。イベント申し込み欄では「カップリング」という項目が必須になってるくらい。解放感とは、その外側にも同人誌の世界はある、と思い出させてもらったことです。
もちろん自分も腐女子のはしくれですから、棚に上がるつもりは毛頭ございません。「いわゆる同人誌」のアプローチは作る方でも読む方でも充分楽しんできました。ですが、これがけっこう不自由な所もあります。「そこ」にうまく収まらないアプローチの本ですと、二次創作でさえ実に肩身が狭く、説明も難しいのです。同人誌って本来はもっともっと自由なもののはずなのですが、皮肉なことです。(『追憶のシャーロック・ホームズ』をイベントで販売していた時、いきなり当たり前のように「どっちが上ですか?」と聞かれた時のショックはいまだに軽くトラウマです(笑))
まあそれはいいとして、今回電子化したシリーズは「評論」というジャンルで登録しました。同人誌ジャンルとしては他に受け皿がない、というのが正直なところ。個人的には、厳密な意味での「評論」とは作品の感想や批評に毛が生えたものではまったくなく、新たなものの見方やイメージや観念を提示してくれるものだと思っています。知識を提供するというのとはちょっと違って、その知識をどう縫い合わせてどういう図を描いてみせるかがキモだと感じています。だから、博覧強記が必ずしも評論として優れているわけではないと思っています。少なくとも自分がこれまでに読んで「素晴らしい評論」と感じたのはそういうもので、自分の感想と合うかどうかという次元のものではありませんでした。だから未見作品の評論でも得るものがありました。
自分の評論系の本は、そういう意味での「評論」だとは思いませんが、少なくとも楽しく読んでいただけたら、これ以上のことはありません。幸い洋画レビューでは「未見作品のレビューでも面白く読めた」とご感想を頂けて嬉しかったのですが、ぶっちゃけ同人誌は作る過程自体を「作る側が楽しむ」ものでもあり、読んでくださる方に何を提供できるかは、(少なくとも自分は)一番最初の工程ではあまり意識していません。意識するのは最終的な誌面デザインや推敲の段階になってからで、読みやすくなっているかどうか、意図したとおりに伝わる表現になっているかどうか、という面にすぎません。
どれだけ誤字・脱字や間違いを駆逐して(そういう意味での)品質を上げられるかは、ひとえにこの段階の努力にかかっていて、「見た目を良くしていく」過程自体にも面白さがあります。時間さえあればえんえんとやってしまう所です。逆に初稿がやりたい放題なおかげで、同人誌では妙に熱量のあるものができやすく、そこが「同人誌独特の面白さ」にもつながるのかもしれません。萎縮する理由がないですから。
もちろん、商業出版に近い感覚で計画的に作られる同人誌の世界があることは、自分もぼんやりとは存じています。何年か前、イベント後に食事していたビッグサイト近くのレストランで、偶然隣のテーブルのお兄さんたちが「企画会議」をしているのが耳に入りました。会社みたいな考え方で驚きました。それに比べて、自分の活動のなんと牧歌的なこと。自分にはこの面が足りなくて、現実的に活動を続けて行くためには勉強していかなきゃいけないと思っています。
ただ、自分の興味を離れてあのお兄さんたちのように、「たくさん売れそうなもの=作るべきもの」という視点には立てそうもないです。(ゆえに、どこまでいってもアマチュアかもしれません。どうせなら良い意味でのアマチュアになりたいものです)勉強するべきだと思うのは、現実的な部数の算出方法とか、読んでいただけそうな方に作品を知っていただく努力に関してです。
…今回つけていただいた「サブカル同人誌」という区分は、いろんなアプローチが想像できて、煮詰まっていたところに風穴を開けてもらった感じがしました。サブカル同人誌というと、個人的にはミリタリーとか料理とか旅行とか、その手の「現実世界で身体的に行う趣味に関するもの」というイメージがあったので、フィクション作品について書いたものがそれに入れていただけるとは思っていませんでした。見てみると「作品解説本」的なものもけっこうあって、なるほどな、と思いました。
「解説」という言葉は、自分が使うには「評論」以上におこがましく感じられるのですが(自分の感覚だと、「解説します」と言えるのは作者さんか池上彰さんだけのよーな気がする(笑))、でも「同人誌の区分として」、特に今回電子化したシリーズでは(鑑賞者の目線で)似たようなことをやってるな、とは思いました。それでタグにも、恥ずかしく思いながらも「解説本」などを加えました。今回については、そのキーワードで接点ができる方々とあの本が合っているかどうかは疑問なんですが、自分の視野が広がったことは確かです。
思えば昔の同人誌には「二次創作」というジャンルはなくて、あってもそれは「パロディ」でした。そして即売会で売られているものは、けっこう「ファンクラブの会報」という体裁のものが多くて、それこそ作品の評論や研究をやっていて、青臭くとも「解説」もしていたりして、その商業誌にはない熱気が魅力だったわけです。その空気を吸って育ったためか、自分の作ってきた(オリジナル創作・二次創作以外の)本は「ひとりファンクラブ会報」みたいなものだと思います。
(余談ですが、日本ではこの「ファンクラブ会員が年会費を払って会報を読む」→「会員以外にもイベントで頒布する」という流れから、ファンの作った本を売る・買うという行為が自然に広がって、コミケ文化として発展してきたんじゃないかな、とも思います。よく「なぜネットじゃだめなんだ」という議論がありますが……いやいや、活動として別物ですよね。(笑)いまやその中心は二次創作に移っていますが、周りに印刷所さんやイベント会社さん、同人誌書店さんなど一大同人誌産業ができていて、また昔とはまったく違う風景になっています。このへんは、今回のコロナ禍でいろんな問題が報道されて、初めて切実に意識しました。これまで意識しなかったのは、作っていたのが主にコピー誌だったせいかもしれません。自分のことしか考えていませんでした)
「サブカル同人誌」というジャンルを広くとらえると――まあ、「一次/二次創作でない」という程度の区分かもしれませんが――これまで「同人誌では表現できない」と思ってお蔵入りにしていた企画が、もっともっと形に実現できそうな気がしてきました。新たなトビラを開けてくださったフロマさんに感謝です。ちょっと大げさかもしれませんが、自分にとってはまさにそんな感じです。
(…なんですが、いまフロマさんで「サブカル同人誌」で検索すると、なぜかうちの本は出なかったり……。(笑)システム的な紐づけではなく、内部はかなり人の手で作業してらっしゃるようなので……その分細やかな融通を利かせてくださったりもするのですが、まあ検索は大切な問題なので、機会があったら聞いてみようと思います。どちらにせよ盛りを過ぎたドラマの深掘り本ですから、いつか読みたいと思ってくださる方が現れた時のために、手軽に読める手段を残しておきたい、という程度のことではあります)
ただ、いくつか自分がやってみたい/復活させたいテーマを思い浮かべてみると、「そういうのが読みたい人は同人誌で探さないだろうよ」と自分からツッコミが入ります。でも、自分がこれまでに作った一次/二次創作でないアプローチの同人誌を好んで読んでくださる方々が、同人誌イベントにある程度いらしたことは確かで、自分の中にある「やりたいこと」を表に出す選択肢が増えたことも確かです。
同人誌/個人出版で問題なのは、本を好んでくださりそうな方に知っていただく手段が少ないことだけ。がんばって企画を通す必要はなく、少部数でも作れるのがメリットです。クオリティは納得いくまで頑張れば上げられますし、本を作る作業自体は売れるかどうかとは関係なく行えます。その作業自体が、自分にとって幸せなことです。せっかく(?)の巣ごもり期間なのですから、進めている創作のほうだけでなく、そういったものも何か形にしていけたらいいなー、と思います。(今回の電子版は、「同人誌としてしか成立しない」と自分で思ったので、あえて同人誌書店さんという限られたスペースでの電子書籍にしました。今後はそれにこだわらず、「個人出版」として成立するものも目指すつもりです。…そうなると「同人誌」としてはまず売れないものになるとは思いますが……試行錯誤が続きそうであります☆)
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じつは、ここまでにもう二倍くらいの分量のテキストができてしまったのですが、別の問題に目が移ってしまい、書こうとしていた「『あなたの本はサブカル同人誌の範疇だよ』と言ってもらったことで感じた解放感」から話がズレてしまったので、今回は削除することにしました。「自分の中での創作系と評論系の位置づけ」のお話なのですが、とりあえず自分のなかで再確認できたので無駄ではなかったと思います。(ナンノコッチャですね(笑))機会があればまた書くかもしれませんが、それ自体をブログに書くより、それを反映させた作品を作るほうが、今の自分にとって大事なことかもしれません。