皆川達夫さんは、昨年4月に92歳で亡くなった音楽学者/合唱指揮者さんで、NHKラジオのクラシック番組『音楽の泉』で長年司会を務められたことで知られています。でも私がにわかファンになったのは亡くなった後で、追悼として再放送された2005年の番組(NHK『こころの時代「宇宙の音楽(ムジカ)が聞こえる」』)を見てからでした。見るとなんだかゆったりした気持ちになれるので、今でもときどき見返しています。(レコーダーが古くてDVDに焼けないので、再生できなくなったらどうしよう、ソフトとして販売してくんないかな、なんて心配しています(笑))
この皆川さんからイモヅル式に素敵な音楽やらなにやらに出会ったり、いろんなめぐり合わせがあったので、ご紹介しながら書きたいと思います。後に発見したページのリンクなども置かせていただきます。
皆川達夫さんの著書『中世・ルネサンスの音楽』。 一連の偶然がなければ手に取ることはなかったはず。 |
(※「先生」と呼ばれるのがあらゆる意味でふさわしい方なのだと思いますが、直接教えを受けたわけでもない立場でそう自然に呼べる場合と、自分にとって「それは逆に厚かましい感じがする」という場合があります。これは時間と共に変わったりもするのですが、今は「厚かましく感じる」ので、あえて「皆川さん」で書かせていただきますね)
『音楽の泉』から
『音楽の泉』を知った経緯は、じつは図書館のリサイクルコーナーで同名の古い本を入手したことから始まりました。ラジオの『音楽の泉』の解説をまとめた本で、発行は昭和28年。著者は初代の司会を務めた堀内敬三さんです。
図書館のリサイクルコーナーで入手した 昭和28年刊『音楽の泉』 |
番組はクラシックの名曲を解説と共に流すもので、当時としては多分に教養番組的な位置づけでしょう。ちょうど自分も「おおざっぱに古めの音楽」への興味がちょっとだけ再燃していたところで――聞くだけで蘊蓄を蓄えることにはあまり興味が湧かないのですが(笑)――昭和の「教養主義的」雰囲気もレトロな魅力があって気に入り、連れ帰りました。そして『音楽の泉』が現在も続いている番組だと知ったのでした。
早速番組を聞いてみたかったのですが、あいにくレギュラーで見ているTV番組(『趣味の園芸』(^^;))と同じ時間帯なので、断片的にしか聴けていませんでした。そのうえ聴き逃し配信もないんですよね。(NHKラジオの音楽番組、特にクラシック系はほぼないですね。流す音源の権利の問題でしょうか)
とにかく「現在の司会は皆川達夫さんという方だ」、というのだけは認識し、上品な語り口も番組ページの写真も素敵だなあ、と思っていました。
そしてようやく『趣味の園芸』を予約録画にして、『音楽の泉』をオープニングから聴けた日――司会は別の方になっていました。直前に引退なさっていたのでした。そして1ヶ月もしないうちに、新聞で訃報を知りました。ろくに知らない人なのに、自分でも不思議なくらいショックでした。いまだに切り取った訃報記事を捨てられないくらいです。
今調べて見ると、『音楽の泉』出演最終回の放送が3/29、亡くなったのは4/19です。ほんとに最後まで現役で仕事をしていらしたんだなあ、とも思います。
『こころの時代』と「ムジカ・ムンダーナ」
しばらくすると、先ほど書いた番組『こころの時代』の追悼再放送がありました。あの方だ、と気づいて録画し、それを見て想定外に「やられてしまった」のでした。いえいえ、単にイケメンじいちゃんだったから、だけではありません。
子供の頃は謡曲が好きだったこと、だから仲間からアブノーマルの「アブちゃん」と呼ばれていたことなどを語り、なんと謡曲を一節うなって見せてくださったんですね。それがとてもうまくて! 自分もミーハー止まりながら歌舞伎などの古典芸能が好きでして、和洋折衷とか自由なフュージョン精神とかも大好きなので、もう一瞬にしてファンになってしまいました。
そして話す様子のほがらかで楽しそうなこと! 子供の頃いじめっ子を警戒して短刀を持ち歩いていた、なんて話もサラッと語られているんですが、じつににこやかに爽やかで、見ているこちらまでニコニコしてしまいます。
でも番組で一番惹かれたのは、これで初めて知った「ムジカ・ムンダーナ」などの概念でした。中世ヨーロッパの考え方では音楽(ムジカ)は次の3つがあるそうです。(参照は冒頭に写真を貼りました『中世・ルネサンスの音楽』です)
- ムジカ・ムンダーナ
(宇宙の音楽:天体や地球=マクロコスモスが作り出す聞こえないムジカ) - ムジカ・フマーナ
(人間の音楽:人間の精神や肉体=ミクロコスモスを律する、これも聞こえないムジカ) - ムジカ・インストゥルメンターリス
(道具の音楽:耳で聞くことのできるムジカ。いわゆる音楽で、「道具」には楽器だけでなく声なども含まれる)
これを聞いた後に、倍音(合唱がうまくいったときに発声されていない音が響いてくるという現象)のお話や、音階の数学的な側面などものすごく面白いお話があって、それまで知っていた「音楽」の世界よりも広い、むしろ物理学寄りの、「科学的に正体があるものだけど不思議」という、大好物な印象を受けたんです。ピタゴラスなどの話は過去のどこかで聞きかじってはいましたが、きちんと「腑に落ちた」のは初めてでした。
で、そのへんを深掘りしたくて皆川さんの著書を買ってみたり、他の本を調べてみたりしたんですが、「ムジカ・ムンダーナ」は音楽の本では枕程度にしか触れられてないんですよね。それでいったん辿るのは諦めました。
そういえば、「天球の音楽」ってどこかで聞いた言葉のような気がする……予備知識なしに聞いても素敵な言葉ですし、フィクションやらなにやらで元ネタになっているんでしょうか。寡聞にしてきちんと作品として読んだ/見た記憶はないのですが(…のはず。最近記憶に自信がないので忘れていたらスミマセン)、自分もいつかネタにしようかな……などと下心が出ないこともありません(笑)。でも単に好奇心を満たす意味でも、二次使用例でなく一次資料に興味があります。今回この記事を書くために調べ直したら、「中世の(現代から見ると面白い)世界観」自体を主題にした流れで出てきたので、また折を見て辿ってみようと思っています。
リンク集
さて、皆川さんに戻りますが……ググってみると、幼少時のお話からご研究成果である隠れキリシタンの「オラショ」とグレゴリオ聖歌の関係、主催なさっていた中世音楽合唱団のことなど、出てくる情報はほぼあの番組で語り尽くされていました。いきなり濃いエキスだったんですね。ご本人の言葉で聞けて、幸運といえば幸運でした。それにしてももう少し早く知りたかったけれど。
ネットで見かけた中でも、いくつかとっておきたい貴重なページがありました。自分の記録も兼ねてリンクしておきます。
龍翁炉辺談話
(「中世音楽合唱団」さんのウェブサイトにある、皆川さん自身によるコンテンツ。既出原稿の転載のようです。まだ読了できていないのですが、ご自身の半生と「オラショ」についての記事で、『こころの時代』では触れられていなかったことも読めそうです)
皆川達夫さん追悼「レコード芸術」1999年10月号より:
「私の仕事部屋」第22回:「下手でも自分で音楽をする喜びを一番大切にしたい」
『こころの時代』が収録されたお部屋ですね。飛行機模型とかなんとも素敵。
【皆川達夫さん追悼】「ここでお別れいたします。皆さん、御機嫌よう、さようなら」
キリスト教ニュースのページ。『こころの時代』でも触れていましたが、皆川さんは「オラショ」の研究がきっかけで60代になってから洗礼を受けたそうです。他界することを「帰天」というのですね。著書の編集者さんの思い出話もあって貴重です。
YouTube: 皆川達夫先生3月29日「音楽の泉」別れの言葉
あっさりとしたご挨拶。逆に心に残ります。
何度か言及した番組『こころの時代』について、とても詳しくまとめていらっしゃるブログを見つけたのでリンクさせていただきます。
上記でリンクを貼っていらっしゃる、パレストリーナ(皆川さんが古いヨーロッパの音楽にはまるきっかけの1つになったという作曲家)の代表曲の動画を貼らせていただきます。聞いてみてください。ほんとうにふわーっとどこかへ昇って行ってしまいそうな音楽。こういうものがあっさり聞けるなんて、ありがたい時代です。
私的感慨:偶然の連鎖と「ムジカ・ムンダーナ」なすれ違い
こういう古いヨーロッパの音楽を意識して聴くのは、昔グレゴリオ聖歌がブームになった時以来なのですが、じつはあのブームも、皆川さんが日本に紹介したことが引き金になったらしいです。当時は知りませんでした。
最近またこの手の音楽を聞くようになったきっかけは、やはりNHKのラジオで『古楽の楽しみ』というのをたまたま聞いたためです。これも前身は『バロック音楽の楽しみ』という番組だったそうで、これまた皆川さんが司会をしていたと知り驚きました。なんだか大仏様の掌でクルクルしているみたいです。(笑)
そしてごくごく私的なことで恐縮なのですが、プロフィールを見たらお誕生日が一昨年亡くなった父と同じで、不思議なご縁を感じました。今思うと「だからなんなんだ」という程度のことですが、皆川さんの訃報を知った頃はまだ父の他界から一年ほどで、こういう偶然が心に響く時期でした。
また、『古楽の楽しみ』を聞けたのもちょっとしためぐり合わせです。自分の部屋はラジオの電波状態が悪く、かなり長い間ラジオは聞いていなかったのですが、一昨年スマホを買ってから手軽にネットラジオが聴けるようになりました。それで朝にラジオ英会話を聞く習慣が甦って、たまたま同じ時間帯だった『古楽の楽しみ』を耳にしたのです。スマホはなかなか手を出さなかったほうで、父が倒れた際に急な連絡を受けられるよう、否応なく購入したのでした。これがなければ今頃『古楽の楽しみ』の存在も知らないはずですし、『音楽の泉』の司会交代にショックを受けて追悼番組を見ることもなかったはずです。
思い返すと、そもそも古書の『音楽の泉』を手に入れたのは地元図書館のリサイクルコーナーでした。(所蔵本の処分ではなく、利用者が不要の本を持ってきて並べ、欲しい人が持って帰れるコーナーです)もらってきたのは一冊だけですが、シリーズがずらりと並んでいました。たぶんリスナーだった方がリアルタイムで購入なさったものでしょう。もしかしたら、その方も人生の終盤を迎えられて処分したか、ご家族が持ち込んだのかもしれません。そう考えると私個人にとっては大きな偶然の連鎖があったことになります。
訃報や追悼報道で、初めて誰かについて詳しく知ることはよくあります。個人的には、たとえば俳優の大川橋蔵さん。追悼放映された『雪之丞変化』からドはまりして、作品を見まくったり同人誌を作ったり、そこからいろんなご縁ができたりしました。自分の人生のある時期を形作る大きなパーツの一つになりました。
今回も生死で分けられた「すれ違い」を経験したわけですが、それこそムジカ・ムンダーナなレベルでSFっぽいイメージが湧きます。宇宙空間を飛んでいる小さな石ころの私が、一生を終える赤色巨星の前を通りかかり、そこに落ちるほど近い距離ではなかったけれど、その重力に引っ張られて周囲をくるりと回っているような。あ、赤色巨星では爆発しちゃいますね。(笑)もっと良いアナロジーはあるかもしれませんが、こういう連鎖や関係性の渦は、あちこちで、いろんなレベルで起こっているんだろうなあ……。
……なんて勝手な夢想失礼しました。ここまででけっこう長くなっちゃったので、いったん切って「①」とします。他にまったく違うベクトルでの発見があったので、それについてはまた改めて。