2022/04/17

追悼・藤子不二雄Ⓐ先生:『二人で少年漫画ばかり描いてきた』のことなど

先日藤子不二雄Ⓐ先生の訃報をネットで知り、愛読書を掘り出しました。Ⓐ先生の――正確にはお二人がF先生・Ⓐ先生に分かれる前に「藤子不二雄」名で出された本で、タイトルは『二人で少年漫画ばかり描いてきた 戦後児童漫画私史』。漫画でなくエッセイです。いろんなところでご紹介したことがありますが、その他のものと合わせて、改めて思い出など書きたいと思います。


大好きな『二人で少年漫画ばかり描いてきた』ほか、
藤子Ⓐ先生のご本と映画『トキワ荘の青春』(VHS(^^;))

『二人で……』が自分のなかで「Ⓐ先生の本」という印象になっているのは、そのほとんどをⒶ先生が書いているからです。そのへんの事情は以下の通り。各章の冒頭にあるF先生の「ひと言」から引きます。


「藤子不二雄は二人いるのです。一人は安孫子といいます。僕は藤本です。僕は寡黙です。安孫子は、おしゃべりというと言葉が悪いけれど、サービス精神に富んだ社交的性格です。よくしたものです。(中略)
藤子不二雄を、二人の人間の組み合わせから成り立つ有機体と考えれば、安孫子素雄は、藤子の目であり、耳であり、特に口なのです。その口が今度『戦後児童漫画私史』を語り始めました。それだけならいいのですが、この寡黙な僕にまで語れというのです。じゃあ前書きか、後書きを書こうといったのですが、結局、各章ごとに前書きだけを引受けることになりました。前書きと本文の字数の比は、普段の口数の比に等しいとお考え下さい。」


もともと古書で手に入れたのですが、かれこれ40年くらい、折にふれ、取り出してはぺらぺらと拾い読みする本であり続けています。内容は、藤子先生お二人の出会いから、アニメ制作会社スタジオゼロの創立・発展的解散のあたりまで。ところどころに挿入される当時の日記の、「ツカレル」などのカタカナ遣い(影響を受けている気が)とか、若いのに「小生」と書く文体(当時はありふれてたかもですが)がこそばゆくも愛おしくて、日記文学的な楽しみ方をしている一冊。「時代を体感する」ことができて大好きです。


なかでも一番共感しやすかったのは、やはりトキワ荘のあたりです。でも、その中でも特に引き込まれるのが、初めて白黒テレビを買って「ワーッ、本当に映った!」と狂喜するところだったり、自分の経験とはかけ離れたことなんですよね。なぜでしょう。昔から自分でも不思議です。


もう一つ文庫で持っている先生のエッセイが、『妻たおれ 夫オロオロ日記』。奥様が脳出血で入院なさった時の、これははっきりと「日記文学」と言える本です。その文体が『二人で……』にある日記とまったく変わらないことや、周りの方から「くよくよしても仕方ないからゴルフにでも行ってきなさい」とか言われてけっこうゴルフに行ってたり……そこに漂う「緩さ」というか、「甘やかされ方」というか、「頼りにならなさ」(?)というか……そのへんに、なぜかかえって安心して読める感じがあって、これも好きな一冊です。奥様を「和代氏」と「氏」付きで呼ぶ習慣も、なんだか微笑ましいです。


『二人で……』に比べると出版されたのもだいぶ後年ですし、あまり読み返していなかったのですが、今回掘り出して夜中に読み返したら止まらなくなりました。昨年自分も似た経験(母の脳梗塞と入院)があったので、その時にこの本を思い出して読んでいたら、少しは気が楽になっていたかもしれないなあ……なんて思いながら。(その時は別のこともいろいろあって――数々の家電の故障、我が家で初めてのネズミの出没etc.、思い返すとコント顔負けのトラブル続出で――この本を思い出す余裕はなかったのですが。…あ、母はおかげさまで庭いじりができるまでに回復しております!)


今回写真を撮ろうと思っていろいろ掘り出したのですが、 手持ちのⒶ先生のエッセイ本では一番新しいⒶの人生が出てきませんでした。発売時のサイン会(なんてものに行った記憶は後にも先にもこれくらい)で握手をしていただいた、思い出深い本なのです。『二人で……』が大好きでずっと読んでいます!とお伝えしたところ、にこやかにうなずかれて「そうなの~……」と応じてくださったのですが、自分のテンパり具合が恥ずかしかったのを覚えています。


『二人で……』が何度目かのマイブームになっていた頃、他の「トキワ荘もの」にもいろいろ手を出しました。その中に映画のトキワ荘の青春があります。これはずいぶん見直していないので、この機会に再見しようかと思……っていたら、訃報の少しあとにBSプレミアムで放映していましたね。デジタルリマスターだったらしいので録画しておけばよかったと後悔しきり。手元にあるのはVHSなので……。(でもこういうことがあるから、VHSプレイヤーも処分できないのです!)


…漫画ではF先生の作品のほうが好きで、Ⓐ先生の漫画作品で持っているのはトキワ荘関連のものだけだと思います。だから「漫画家さんとしてのⒶ先生」のファン面(ヅラ)はできないかもしれません。でも上記の「日記」から見えるお人柄に、勝手に親近感を覚えてきた気がします。焦りや罪悪感などナイーブな部分、一方で何かを夢見る時のふわふわした気分、自分に都合よく考えて自分で突っ込みを入れるような感覚も書かれていて、それはすごく自分を重ねることができるものでした。これからも折々読み返すと思います。


報道によると、『まんが道』系の次の作品を構想なさっていたそうですね。読めなくて本当に残念です。月並みですが、ぜひ天国で作品を完成していただいて、私たちがあちらへ行った時――あるいは科学が発達して、霊界通信(?)的なモノがアタリマエな世の中が来たら――読むことができたらと思います。


心からご冥福をお祈りいたします。