2013/08/26

幻影師と墓泥棒/『幻影師アイゼンハイム』と史実と原作

久しぶりに「目的なく」映画や本を楽しんでおります♪(笑)今回は修羅場中に録画していた映画と、イモヅル式に知った史実、原作等ののことなど。

『幻影師アイゼンハイム』
…っていう映画を、予備知識なしでなんとなく録画してました。
舞台は十九世紀末あたりのウィーン。人気の奇術師アイゼンハイムが、少年時代に身分違いで引き離された、相思相愛だった相手に再会。でも彼女は粗暴な皇太子の嫁にされそうになっていて…さて、どうなる?というお話。
正直イマイチ…と一言で言い切るのがとても惜しい。「面白くなりそうなのに!」というモチーフがたくさん出てきて、「残念感」がものすごく大きかったんだと思います。ただイマイチと思っただけなら、ここまでいろいろ漁ったりしませんでしたから…(笑)

主人公アイゼンハイムがエドワード・ノートン、アイゼンハイムを賞賛しつつ監視するウール警部にポール・ジアマッティ、悪役皇太子にルーファス・シーウェル。ジアマッティとシーウェルの存在感がすばらしかったです。(とくにジアマッティ!儲け役!)ノートンが悪いという意味ではないです。警部と皇太子だけが、矛盾をはらんだ「立体的」なキャラに描かれているからです。この二人に比べると、主役のカップル二人のキャラクター造形はカキワリのような薄っぺらさです。脚本でそこ止まりなんだから仕方がない。(^^;)そしてアイゼンハイムがやる奇術というか、後半は降霊術みたいになっていくのですが…ぜんぶCGなんですね。これがなんていうか、うーん…

いや、ここもクサすのはちょっと違うところなので、のちほど原作とからめてお話しします。とにかく映像はライティングと色合いがすばらしく、雰囲気がありました。(きれいな「イマドキ」風の「雰囲気」ですが、敢闘賞だと思います!あとでWikiを見たらアカデミー賞の撮影賞にノミネートされたらしいです。納得!)

その映像に引き比べ、とにかくお話がフカフカ、スカスカしていて。おとぎ話にしては警部のキャラが妙に生々しいし、ちょっと戸惑いながら見ていました。
でも、オチ「ああ、そういう映画だったのか!」とは思ったのですが。…その肝心のオチが物足りない。惜しい!あそこがきっちりしてたらかなり満足できたのに。そこを書いてしまうとネタバレになるので書けませんが(^^;)、とにかく「足りない」んです。ああいう持って行き方で着地させるには!

でも心のどこかに、いい意味で「ひっかかった」のは皇太子。この人、映画のなかでは徹頭徹尾悪役なんですが、終わってよく考えるとあんまりな扱いなんですね。ひどいじゃないか!という。(笑)そしてなにより土壇場(ええと、悪役がやりこめられるクライマックスですね)でポロリと言う一言…。
「自分は国民のために働いたのに。父のやり方ではこの国はダメになる」
…正確な言い回しは忘れましたが、こんな感じのことを言うんです。これが、それまでただの暴力ふるうバカ息子だった皇太子と、フカフカ、スカスカしていたストーリーに対して違和感があるくらい「リアリティー」があって。これは実在の人物を取り入れてるのか?とすごく気になっちゃったんです。

史実・マイヤーリンク事件
で、とにかくオーストリアの皇太子ということで調べてみたところ…役名はレオポルドですが、この時代の皇太子でそういう名前の人はいなくて、代わりにルドルフという皇太子が起こしたスキャンダルが、この映画の皇太子周辺のイメージソースらしいとわかってきました。ただしそのままではなく、実際のスキャンダルに出てきたモチーフやイメージをあちこちに散りばめている、という感じです。(キャラ的な部分も印象が違います)

実際の事件はマイヤーリンク事件(マイヤーリングという表記もあり)というもので、オーストリアの30歳の既婚皇太子17歳の愛人遺体が、狩猟用の別荘で発見されたというスキャンダル。情報が隠蔽されたため、心中説暗殺説といろいろ飛び交って、最近まで真相は謎だったとか。

で、このルドルフさんのイメージが映画のレオポルドに取り入れられていました。印象的だったあの台詞も、ルドルフ皇太子が進歩主義者で、保守主義の父フランツ・ヨーゼフと政策面では対立していた、というのを反映しています。(ただし映画の皇太子は心中めいたことはしません)

この実際の事件について知りたくなって、図書館で借りたのがこちらの本。『うたかたの恋と墓泥棒』。
マイヤーリンク事件を「純愛ゆえの情死」と解釈して映画化した作品がいくつもあるんだそうで、「うたかたの恋」は代表作のタイトルです。(こちらは未見です)
本はこの皇太子と一緒に死んでいた愛人、マリー・ヴェッツェラの遺骨を持っている…という電話をもらった新聞記者が、その所持者との関わりやことの顛末を書いた本で、面白くてペロッと読めてしまいました。実際には…いや、これも「ネタバレ」になりますので、ご興味のある方はぜひ本をどうぞ!(笑)

同じ事件について、日本人の方が書いた『「うたかたの恋」の真実―ハプスブルク皇太子心中事件』という本も借りました。こちらは上記の本のあとから出ているし、たぶん『…墓泥棒』がタネ本なんだろうな…くらいの気持ちだったんですが、事件の前後のことなど広い範囲の情報を入れていて、より概観できそうな感じです。まだ冒頭を読んだだけですが、楽しみです♪(『墓泥棒』のほうはオーストリア人が書いた本なので、逆にいうと国内の人にとって「書くまでもない」ことは省かれているわけですよね。その分、臨場感もあるわけですが…)

とにかくこの事件、ハプスブルク家の歴史では有名なエピソードだそうなので、映画はそのイメージが観客にあることを前提としたパロディの面もあったのかも?

原作小説『幻影師、アイゼンハイム』
…合わせて、原作が短編小説だというのが気になってました。失礼ながら「オチの作り方はもっとマシなのでは?」と確かめたくなって、こちらも借りてみました。『バーナム博物館』という短編集に入っている一編でした。

で、こちらは…まったく映画とは別物でした!映画の柱になってるラブストーリーなんか出てこないし、主人公はもっと年もいってます。どっちがいい、悪いなんて比較もできないほど別物っ!(笑)映画は小説に出てきたモチーフを使って、まったく別のおとぎ話を作った、というほうが近い。原作者怒らなかったのかなー…ここまで別物にされて。(笑)

…でも、原作はそのテーマであるところの、アイゼンハイムのやったことが奇術なのか、あるいは本物の超能力・心霊術だったのか…というあたりがあいまいに書かれていて、あいまいであることに余韻がありそのあいまいさは映画に継承されてると思いました。しかし。映画はストーリーの組立をまったく別のものにしたので、ここが「あいまい」であることが、余韻でなく「欠け」になってしまいました。ううむ!

普通に読むと、二時間の映画にするのは難しそうな小説に見えます。きっちり起承転結でどーん!というタイプじゃないんです。でもあえてこれで映画を撮りたいという企画が出たのは…たぶんこの、「あいまい」なところが魅力だったんだと思うんですね。それで、「あいまい」なまま二時間の商業映画になるように…まずは主役をもっと若くして、ラブストーリーを入れて、幻想的なおとぎ話に仕立てよう、というのが狙いだったんじゃないかな…思いやりをもって想像すれば。

最初のほうで、アイゼンハイムのやる奇術が全部CGだと書きました。それが必然性を持ってくるんです。奇術なのか超能力や降霊術なのか判別がつかない、という印象を作るためには。映画はそこに関しては成功していて、だからオチの部分が出てきたときは「おおっ」と思いました。ただ、その「あいまいさ」を最後までそのままにしてしまったのが、映画として着地できなかった部分かと思います。ああいう終わり方なら。あそこはきっぱりしないと「オチ」になりませんから。(代名詞ばかりでスミマセン。書くとネタバレになることばかりなので(^^;))

失敗とも成功とも、なんとも言いづらいです。そう割り切れるものじゃないかもしれない。(ざっと見てみても、評価が割れています)
とにかく、マイヤーリンク事件からのモチーフの取り入れといい(原作は事件より少しあとの話になっていて、降霊術で出てきた霊らしきものが「死んだマリー・ヴェッツェラのものでは」と噂されたというくだりがあるだけ)、小説からの換骨奪胎といい、「ある素材からタネをもってきて別のものに仕立て上げる」、という過程を二重に見学(?)させてもらいました。

なにが一番印象に残ったかというと、「これっくらい自由にやっちゃっていいんだ!」、ということです。(笑)

原作小説を書いたスティーヴン・ミルハウザーの作風はすごく好みだったので、イモヅルでいいもの拾ったー♪という感じです。SFではないんですが、収録されてる最初の話なんか、ちょっとテッド・チャンの『商人と錬金術師の門』を思い出します。(素材がアラビアンナイトというのもあるんですが、別の意味でも…)
行き当たりばったりでイロイロ楽しませていただきました♪