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2023/07/02

『スター・レッド』再び

《ちょっと長いので目次つけます。リンクはできないのでご容赦☆》

・萩尾望都先生マイブーム再燃
・作品世界
・「異端」と「救い」と「ミュータント」
・印象的な台詞の数々
・英語版がほしい☆

今回ゲットした大判と昔買ったフラワーコミックス版の
『スター・レッド』。記念に並べてパチリ。

 

萩尾望都先生マイブーム再燃

先週あたり、きっかけを忘れたんですが、ふと萩尾望都先生の検索をしたことがありました。作品データのアーカイブサイトやYouTubeのインタビュー動画を発見し……YouTubeありがたいですね。昔見た覚えがある、教育テレビの少女漫画入門的な番組などもあって懐かしかったです。そんな精神的な「聖地巡礼」で気持ちが過去に引き戻された中で、「大きな版型で連載当時のカラーページをすべて収録」した『スター・レッド』のコミックスがあるのを知りました。


じつは、萩尾先生の漫画で一番好きなのが『スター・レッド』なんです。最初は中学生くらいだったでしょうか。でもその頃の自分の周りでは、萩尾先生の作品を読んでいる友達はいませんでした。(薦めて読ませた友達には「星(セイ)とかサンシャインとか名前がベタ過ぎる」みたいな難癖をつけられて、我がことのように傷ついたり…(^^;))高校の漫研ではさすがにみんな読んでいましたが、熱く語られるのは『ポーの一族』と『トーマの心臓』「『スター・レッド』が好き」とはなかなか言い出せなかった思い出があります。今でもそんな感じはするのですが……スリコミから来たへんな被害者意識でしょうか。(笑)


さて、その大判コミックスですが、すでに古書しかありませんでしたがさっそくゲットしました。冒頭のカラー~二色刷りはなぜか見覚えがあり、原画展とその図録で目にしていたようです。とにかく一気に再読して、改めてすごい作品だなあと感動したのでした。

一枚目では箔刷りの絵が反射で見えないので。
大判の表紙はこんなです。


作品世界

作品の舞台は未来の地球と火星、そして外宇宙。火星は元流刑星という設定で、地球から送られた囚人の子孫が「火星人」です。色素が薄くて白い髪と赤い眼、世代を経るごとに強い超能力を持って生まれます。それで「何世代目」というのが彼らにとって大事なプロフィールになっています。地球では忌み嫌われる存在です。

主人公の星(セイ)は火星人ですが、とある事情で地球人の徳永博士の養女となり、地球で正体を隠して成長します。現在は一種の暴走族(といっても「夜露死苦」な世界とは違うのでご安心を)を率いる強い女の子。ある日エルグという不可思議な青年と出会うところから、実に壮大で切なくて、同時に凛とした物語が始まります。強さとナイーブさを併せ持つ星のキャラクターが独特です。


風に吹かれるようなイメージシーンの美しい表現、独特の台詞とテンポ……と、いちいち身に沁み込んだように覚えていたのですが、具体的なストーリーは詳細が記憶から抜け落ちていました。そのせいか、何度も読んでいるのに泣いてしまいました。


萩尾作品との出会いは、たぶんこれか、原作ものの『恐るべき子供たち』(ジャン・コクトー原作)、『ウは宇宙船のウ』(レイ・ブラッドベリ原作)だったと思います。今でも「これだけは手放せない」という萩尾作品はこれらです。ポーやトーマはそのあとに評判を知って読みましたが、やはり自分が特に強く惹かれるのはSF系作品でした。


その後も折々リアルタイムの作品はチェックしていたのですが、『残酷な神が支配する』がつら過ぎて途中で読むのをやめ、しばらくは先生の作品から遠ざかっていました。(「なんでお金を払ってこんなつらい思いをしなきゃならないんだ」と思ったくらい。脆弱な読者ですみません(^^;))ポーやトーマは美しくて切なくて好きですけれど、別の意味でつらい(?)ところもあります。というのは、読んでいると自分の心の奥の、一番繊細で脆くて傷つきやすいところが引っ張り出されて、丸出しになってしまうから。(その時は我ながらまるで「妖精さん」です。こんな状態では生きていけない!(笑))でも時々ひっそりと浸りたい感覚ではあります。


「異端」と「救い」と「ミュータント」

『スター・レッド』では、少し救いを感じていることに今回気づきました。まずは主人公が持つ強さと賢さ。そして異端であり繊細過ぎる面を持つ主人公に、ちゃんと受け皿や守り手となる存在があることです。星にはエルグがいます。同じSF系作品の『A-A'』に出てくる特殊な一角獣種のキャラクターたちにも、それぞれ庇護者がいます。このセーフティネット感は、先生の作品ではSF作品に見ることのほうが多い気がします。現代ものなど、よりリアルな設定だともっと厳しくやりきれない。たしかに現実では——たとえば上記の「一番繊細な部分を丸出しにしたナイーブな自分」を仮に表に出して生活したとしたら——そんなセーフティネットは想像ができません。それでそういう面は封印するしかないから、そうするようになるのです。「大人」として。


同じようなことは、たぶん多くの方にあると思います。だからこそ、「自分のどこかを人前では封印しなくてはならない」という意識を持つある種の人にとっては、萩尾先生のSF作品は共感を持って没入できる面があり、ある意味でリアリティをもったユートピアでもあると思うのです。(リアリティというのは、主人公の持つ負の要素が「その世界では逆に有利」とはならないこと。そのうえで、かすかな希望が示されます)


そういえば、こういう「ミュータントもの」(突然変異などで超能力を持つ異端者を主人公にした物語——今はこういう言い方しないかな…?)、若い頃すごく共感した覚えがあります。SF小説だと『オッド・ジョン』『人間以上』。それよりだいぶ後のものになりますが、映画の『X-MEN』なんかも露骨にそうでしたね。やはり若い頃ほど、世間に対して自分は異端だと意識することが多いからでしょうね……と書いていて、年をとっても「異端感」はまったく減ってない(むしろ増えた?)ことに気づきました!(^^;)これはもう一生こうかもなあ……超能力はないんですけど。(笑)


今回、アマゾンで『スター・レッド』のレビューを読んでみたのですが、学生時代に出会えなかった同好の士がこんなにいたのだ、という思いで胸がいっぱいになりました。ラストについては不評もありましたが、自分には開けた希望のラストに見えます。

しかしこの『スター・レッド』、必要に迫られて準備なくできた作品だったそうで、驚きです。…でもそういうものかもしれないな、という感じもします。勢いに乗ってできた作品は、時間をかけていじくりまわしたものより良いことも多いですよね。


こういう作品を思春期に読んで、これが漫画を読む際の基準になったことは、不幸でもあったかもしれません。ちょっとやそっとの作品では満足できない、鼻持ちならない読者になってしまった(笑)。基準がここにあるのでは、もちろん自分の作品にも自信など持てるわけがありません。漫画は雑誌ではなくコミックスで読む方が多かったので、甲乙取り交ぜて読む、という体験も乏しい。だから影響も露骨で、十代の頃に描いていた漫画表現のなかに、エピゴーネンとしか言いようのないものがあったのを思い出しました。

でも創作はそういう継承から発展していくものだと、今では思っています。原体験としてこういう作品に出会えて、心の芯に持つことができているのは、やっぱり幸せなことなのでしょう。こうして読み返して、また別の視点で読むことができるのも。


印象的な台詞の数々

今回特に印象に残った台詞がたくさんありました。昔はそれほどとは思わなかったものも。そのなかからいくつかご紹介します。


*     *     *


「超能力というものは人間の退行現象ですよ!
…テレポートができるんだから足だっていらない。
(…)そのうち鼻も口も耳もいらなくなる
(…)岩みたいになって転がってるってのはどうです!
考えてるだけ——それすら不要になる——
生きることすら不必要になってしまう!これが退化でなくてなんです?」

(主人公の敵対者であるペーブマンの台詞。進化として描かれることが多い超能力をこう捉えるのはユニークだし、一理あって深い。便利すぎるのは人間にとって諸刃の刃。『マトリックス』を思い出してしまいました。それと、最近のAI談義での人間の在り方、その行く末への不安にも重なります)


「攻撃…? 戦争…? まさか… 
対話による相互理解の文化はあなたの国にはありませんの?」

(異星人の言語学者が地球人と話したときの台詞。今の状況を見ると、地球はまだ異星人には相手にしてもらえなそうですね)


「方法よ では」
「なんの? どんな?」
「超能力よ 精神をなんとか壊滅の方向に進ませなければいいんだわ」

(星とエルグの会話。星は経験からは出てこない、新しい視点を何度か持ち込みます。これはその一つ。若者の役目ですね。星は大人びているけれど15歳。大人びている理由もちゃんと説得力があります)


「なんとか未来の精神荒廃を回避する方法を見つけるんだ
 見も知らぬ異星人に赤子のように言いくるめられて
 地球人としての野蛮なプライドがうずきませんか えっ?」

(星を長いこと見守ってきた暴走族仲間(?)サンシャインの台詞。「野蛮なプライド」って自虐的だけど背筋の伸びた言い方、応用が利いていいなあ)


英語版がほしい☆

ところで、「これの英語版があったら(台詞はほぼ覚えてるので)良い英語教材になるなあ♥」と思って探してみたのですが、アマゾンで見つけられた萩尾作品の英語版は、ポーとトーマ、バルバラ異界、それと猫漫画くらいでした。もちろん旧作で英訳される漫画自体が少ないのだと思いますが、すごく落胆しました。ハリウッドで映画化してほしいくらいのスケール感とクオリティなのに(かなり知的な脚本家さんが必要でしょうが…絶対無理と言い切らないのは、『メッセージ』[テッド・チャン『あなたの人生の物語』の映画化]の成功例を見ているからです)……すごく残念。というか、英語圏の日本漫画ファンの方にとって損失ですねこれは☆


まだまだ書き足りないのですが、すでにかなり長いのでこの辺で切り上げます。作品を未読でここまで読んでくださった方は少ないと思いますが(ご紹介が下手でほんとにごめんなさい💦)もしもご興味が湧いた方がいらっしゃいましたら、ほんとほんとにお薦めします!