2014/05/25

SHERLOCK S3 第1話 『空の霊柩車』日本語版感想(垂れ流しバージョン)

なんかてんこ盛りの週末でございました!
ええと、書きたいことがごまんとあるのですが…kindle新刊のことは母艦サイトやpixivでもお知らせしているので後回しにしまして、えーとまずはSHERLOCKシーズン3放映!これでようやく猿ぐつわをはずせます☆前にアップした感想も黒文字にしますね。(1話だけ(笑))
今回の散発的な感想を書きたいと思います。後半ちょっと辛口なことも書いちゃってますがご容赦を。「SHERLOCKクオリティ」という期待があってのことですので。(^^;)

声のこと、そしてアンダーソン

輸入盤DVDを視聴してしまったので、どうしても原語と吹き替え版の比較という視点になってしまうのですが…「あれっ」と思ったのは、主演二人の声優さんの声が、スコーシ中の人の声に影響受けてない?ということ。シャーロックはより低めに、ジョンの声はより柔らかくなった気がします…私だけでしょうか。

そしてミニエピソード以来の萌え対象アンダーソン!(笑)この人の吹き替えの声はなんか…中の人の声より柔らかくて若いですね~青年ぽい❤DVDは小さめの画面でテレビで見ていたため(リージョンフリーのプレイヤーが自室の小さめのテレビにつないであるので)今回大きな居間のテレビで見まして、
「な、なんて綺麗に撮られてるんだアンダーソン…!❤」(笑)
…すいません。(^^;)いやもうあの眼の青さが。ラスト近くのシャーロックの話を聞くところの、指くわえたりしてる仕草もたまらんのですが。…しかし、見ているときは気づかず今朝目を覚ました瞬間思ったのが・・・
シャーロック、アンダーソンを「フィリップ」って呼ばなかった…っ!!
原語ではさらりと「フィリップ」って呼んでるんですよね。ここ大事、試験に出ます!(古(^^;))ってくらい、アンダーソン萌えには重大事項なのですが!同人的にブレイクするかどうかの瀬戸際じゃありませんか!(そこか(笑))…だってこれがあるから、シャーロックそこまで「人間ぽく」なろうとしてるのかとか…アンダーソンまでファーストネームで呼ぶくらい…そういえばレストレードに再会したときも、ファーストネームで呼ぶ努力(?)をしてましたよね。(間違えたけど☆(笑))

…いやいや、このシーン自体全部アンダーソンの妄想なんじゃないかとか(カットつなぎも不自然ですし)……つまりアンダーソンはシャーロックに「アンダーソン」でなく「フィリップって呼んでほしかった」のねとか、いろいろ萌えが全方位に発動してしまったわけですが。(笑)

…このシーン、どう見てもアンダーソンが本格的に「おかしくなった」ようにしか見えないですよね…たぶんあのビデオカメラには、再生したらソファしか映ってないんじゃないかとか(こわいよ~素敵~(笑))楽しい想像をしてたんですが、このあとの話を考えると……いや、ここはまだ緘口令ですね。(^^;)字数の関係だと思いますが、その後の展開を考えてもここはファーストネームで呼んでおいてほしかったです~。

地下鉄陰謀事件(?)

…なんかあふれてくるのはアンダーソンのことばかりなんですが(笑)、全体としては・・・うーん、楽しかったのは確かなんですが。ちょっとサービスの質が安っぽくなったなー、という印象は、やはり今回も変わりませんでした。普通に楽しいんですけど、SHERLOCKで見たいのってこういうのじゃないよ、というか。映像でスケールの大きい国会議事堂の爆破を(想像とはいえ)見せてるのも、シャーロック復活のお祭を大きく見せようという意図しか感じられなくて。おかしなことに、反比例してテンションが目減りしていきます。(映画やドラマってそういうことがよくある。おかしなものです)

ガイ・フォークスのネタで地下鉄→爆弾…という流れも、某Vフォーヴェンデッタ(某になってない(笑))そのままなのでデジャヴが…うーん。あれを見ていなければ新鮮だったかもしれませんが、「地下鉄一両丸ごと爆弾で国会議事堂を爆破する」というコトの大きさと、同時進行してる「ジョンとシャーロックの心理的駆け引き」の小ささがアンバランスで、見ていてしっくりきませんでした。そもそも主役が助かるのは分かってるので、サスペンスはカケラもないんですよね…別の形でつけないと。ゲイティス兄、そういう細かい工夫はお得意のはずだと、これまでSHERLOCK以外の脚本作品含めて拝見した印象では思うのですが…忙しかったんでしょうか。(いや、死ぬほど忙しかったのはツイッターでフォローさせていただいてよく承知しておりますが!(^^;))

プールサイドのジムとの対決と違って、今回は敵との接点がないですし…反テロリズム法案うんぬんも取ってつけたような扱いだし。死んだ工作員うんぬんも台詞でしか出てこず(むしろシャーロックでなくこちらを、冒頭で見せておくべきだったかも)、マイクロフトが出てくるシーンはなごむサービスシーンばかりで(それはそれで嬉しいのは白状しますけど!(笑))事件そのもののスケール、シリアスさをかもし出すことに失敗していたと思います。それがなぜ気になるかというと、そこがしっかりしてないと、心理的な部分のストーリーやサービスが浮いてしまうからです。これが表裏一体で進行するのがSHERLOCKの魅力だと感じていましたので…。

前にも引用しましたが、「大きな出来事」を台詞でだけ言わせても、観客には「大きな出来事」とは感じられないんですよね。…ベルグレーヴィアの醜聞のとき、「死のフライト」を台詞だけでなく映像として見せた、あれに匹敵するものがほしかった。今回それに匹敵したのは議事堂爆破の映像かもしれませんが、あれはシャーロックの想像でしかないので、ちょっとピントがズレてる感じでした。(CGと実際に撮った映像というのも重みが違いますし)

…振り返ると、ジョンを誘拐して多少なりともサービス(笑)を盛ったのは、今回表に出てこない、ラストにちらりと出たアノヒトですし。どうも伏線が収斂しないというか、表のラインを作る「事件」と、裏のラインを作る「シャーロックの復活とジョンとの和解」が、うまい具合にくっついて描かれていなかった気がします。一つの話の構造としては片輪な感じが否めません。

ジョンとの和解の大切なシーン

誘拐された次の日、ジョンはあっさりベイカー街を訪ねるのですが、じつはあそこがこの話の肝になりえたシーンだと思うんです。ジョンが、シャーロックが言っていたとおり「二人で事件を追う興奮が恋しかった」と認めて、再び二人で捜査をするターニングポイントですから。…そこが、ベネさんのご両親ご出演というご祝儀の陰に隠れてしまったきらいはあります。クールな脚本家さんは、こういう部分を大袈裟にしたくなかったというのもあるかもしれませんが…。
(でも…じつは自分もそうなんですが(^^;)、『謎の円盤UFO』ファンの方には二重の意味で感慨深いシーンだったと思います。お母様とベネさんのイメージは、「レイク大佐とその息子さん」から「シャーロックとそのお母さん」になりましたね…。レイク大佐は今も変わらない素敵な眼で、それが息子さんに受け継がれてますね。お父様も素敵でした)

…閑話休題、DVDで三本見たあとは、第三話で一つ突き抜けた部分もあって、「シーズン3は三本で一本とみなすべきなんだな」、とそれなりに納得しました。なので、1話で
「少し…がっかりだ」
アンダーソンばりに思った方(正直自分はDVDの初見時にソウ思いました(^^;))も、ぜひ三話見終わるまで判断は保留してみてください。(アンダーソンにあれを言わせたのは、視聴者の声を先取りして見せたんじゃないでしょうかね…じつに人を食った制作者さんたち(笑))まあ、自分もこれからまた見直すと印象が変わるかもしれませんです。

レストランのシーンは大好きだし、ジョンのひげがかわいいとか、飛び降りの種明かしのはぐらかしとか、レストレードのアレとか、「え?そうなの?」と思ったところとか…ぜんぜん書き足りませんが、他はまた別の機会に。とりあえずここで切り上げます。(いくらでも書けてしまう…!(笑))

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…で、明日はピーター・カッシングのお誕生日。昨年が生誕百年で、今年は101年ですね。なんだかすごく『スターウォーズ』が見直したくてたまりません…♪