突然ですが、というかちょっと前のことなんですが、図書館で『LGBTってなんだろう?』とでっかく表紙に書かれた本が新着棚に面陳してあって、ちょうどOUT magazineの記事とかでそのへんに興味が出ていたところだったので、手にとってみました。本は学校の先生向けのようで、児童・生徒のそういう問題にどう向き合うか、みたいな切り口でした。学生さんでLGBTの方の声もたくさん引用されていました。
で、びっくりしたことがありました。自分が知らなかっただけなんですが、セクシュアリティの種類として、「アセクシュアル(無性愛)」という括りが含まれているんですね。それを見ていきなり、LGBTを受け入れるっていう今の流れは、この「アセクシュアル」までを視野にいれると自然に理解できるわ…と感じたんです。たしかに「対象を選ぶ自由」と同時に、「興味をもたない自由」も尊重するのが自然だな、と。
そしたらいろいろ脳内でつながってきまして。少し前に話題にした「絶食系男子」も、それからフィクションではけっこうある「女性に興味がない男性」というカテゴリ…ヴィクトリア朝関連を眺めていると、リアルで生涯独身だった人物とかけっこう出てきますよね。「機会がなかった」じゃなくて「自分の意志で」。腐女子的には隠れゲイのケースをよく想定したりするし、もちろんそういう方もいるけど、この「アセクシュアル」にあたる人もかなり含まれていたんだろうなあ、とか。(男性に限らず)
それから極め付けで理解が深まったのが、先日ネットで見つけたこの記事でした。
WIRED: Young, Attractive, and Totally Not Into Having Sex
【2016/3/3追記】上記の記事の日本語訳がWIRED(日本版)に掲載されていたので、リンクを追加します。WIRED VOL.21(GQ JAPAN.2016年3月号増刊)/特集 音楽の学校
時間があったら訳したいんですけど、とりあえずリンクだけ。アセクシュアルの大学生三人が紹介されてます。みんなカテゴリが違って、
aromantic asexual (男女どちらにも恋愛感情をもたない・アセクシュアル)
heteroromantic demisexual (異性に恋愛感情をもつ・デミセクシュアル)
panromantic gray-asexual (両性に恋愛感情をもつ・アセクシュアルとセクシュアルの中間)
「romantic」は恋愛感情の対象、「sexual」は性的欲望の程度と分かれてて、すごくリアルな気がします。そしてこれが流動的で、未成熟とはまったく違うということも納得でした。(私見ですが、腐女子にはこの細かい分類がすんなりイメージできる方けっこう多いのでは、と思いました。私はそうでした)
ものごとは、それを表す言葉がないと認識できない、もしくは言葉ができるといきなりそれにあてはまるものがたくさん見えてくる…とはよく言われますが、ほんとにそうで。このカテゴリを頭に入れると、なにか概念の解放感を感じました。うまくいえないんですけど…今まで「なにかの途上」としか認識されなかった状態が、ひとつのあり方として認識されるところが。ほかの領域にも応用できることで…そのへんひっくるめた「解放感」かもしれない。
でも正直これはアメリカの話だし、日本でこういう感覚が自然になるにはかなり時間がかかるかもしれないなあ、とも思うんですけど、女性として感じるいろんな不便・不条理ともつながってることなので、そうなっていってほしい。
記事には、フィクションにもアセクシュアルという設定のキャラクターが出てきてるとのことで…そういえば、BBC版のシャーロックがこの括りで語られることもありますね。これからこういうのは増えてくるんじゃないかな。
じつは最近自分が書きたい「雰囲気」もちょっとかぶるんです。ガチではないんですが。先日書いたイアンさんの話とかもちょっとかかるんですよね…ああ、そのへんももっと掘り下げたかった。あのキャラがそうだというんじゃもちろんないんですけど、びしっと線を引けない領域の感覚というか…近いものを感じるんです。(今になって気づいたこととか、いろいろ心残りが脳内で増殖中。うー!(^^;))
いつもに増してまとまらないですが、すごく視野が広がる過程を体験してるので、記事のリンクを残しておきたいのもあって書きとめておきます。