2015/07/20 09:24
ドトールでモーニング食べて、ネット環境なしでポメラで書いてます。少し新しい本を読んだところであります。世間は三連休。自分は賃仕事も片づけながらであまり普段と変わりませんが、世間がこうだとなんかつられて、半日単位でやりたいことをやってる次第。いい朝です。
読み始めたのはイヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』。「こちら系」の趣味の方のご評価が高い一作ですね。じつは昨日突然、次のホームズ小説に回想として入れるつもりだった学寮編を単独でkindle版にしてみようかな、と思いついて、学寮描写を推敲する際に参考になるかな…と思ったんです。書いた当時は小説以外の本を参考にした部分も多かったんですけど、好きなフォースターの『果てしなき旅』なんかの影響は少し受けてると思います。ただし設定が数十年ずれるので、そのへんはほかの資料と塩梅しながらでした。(以前小説ブログに分割で掲載したヴィクター・トレヴァーがらみのお話ですが、この公開した部分のあとに、ヴィクターの実家ドニソープでの出来事が続きます。そこを仕上げられるかどうかがこれからの問題です(笑))
ウォーはフォースターより二十年くらいあとに生まれた人なので、さらに新しくなっちゃうわけですが……まあ少し前に映像化作品の情報なども流れていて、作品自体興味がわいてたので借りてみました。冒頭読んでみたところ自分にも入っていけそうな感じで、これは新しい訳で読みたいかも、と思ったので、文庫の購入を検討中です。古い訳はレビュー等で名訳と言われてて、たしかにレトロな時代感のある訳で好みなんですが、資料としては「今の」基準で考証説明してほしい部分も散見されるので…当時の日本にあるもので代替している部分とか。(全体がこの基準だとすると、前に書いたホームズ小説の基準なら倣いたいところですが――あちらでは「ランタン」を「角灯」とか、そういう古風な表現をあえてしてましたから――今回はあまり「擬レトロ」な文にしない、三人称のものなので)
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さて、それはともかく。ここんとこ見た映画のことをぜんぜん書けてないのでひとつ。直近でTSUTAYAが三連休に準新作108円をやってて借りたもののひとつで、発掘良品コーナーに入ってから見たいなー、と思っていた未見作であります。
『パリは燃えているか』
二次大戦でドイツに占領されていたパリが解放されるまで。1944年に最後の占領軍司令官となったコルティッツ将軍に交代したところから、解放されるまでです。タイトルは、ヒトラーがパリを連合軍に渡すくらいなら燃やしてしまえ、と言ったところから。最後にうまく使われています。「燃える」がパリ市民の抵抗運動の盛り上がりとダブルミーニングに見えるのは元々の意図なのか、邦訳されたニュアンスからなのかわかりませんが……でも英語タイトル『Is Paris Burning?』の直訳なので、もともとそう取れそうですね。とにかくキャストの顔ぶれが豪華。ほとんどはちょびっとずつの顔見せ程度ですが、自分でも名前が浮かぶ範囲でもアラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモンド、オーソン・ウェルズ、イブ・モンタン、アンソニー・パーキンス、ジョージ・チャキリス、カーク・ダグラス、グレン・フォード、シモーヌ・シニョレ、ジャン・ルイ・トランティニャン、などなど、当時の人気俳優大行進です。もしかして「パリ解放何十周年」みたいな作品だったんでしょうか。そんな「ご祝儀」っぽい感じも受けました。
そうでなくとも、当時二次大戦をテーマにした『史上最大の作戦』みたいな豪華な顔見世映画はいろいろあったので、その流れかもしれません。ちょうど昨夜、テレビで『遠すぎた橋』をやっていて、似た感じでしたね。(仕事をしながら横目で見ていたのでストーリーはサッパリ頭に入りませんでしたが、オープニングクレジット見ただけでも豪華でした!)
そんなわけで特定の人を追っていくストーリーじゃなくて、いろんなところを見せながら流れを追っていくので、「誰が主役」という映画ではありませんでした。強いて言えば、皮肉にも最後のドイツ占領軍司令官が一番感情移入できる要素を持ってました。ドイツはもう敗色が強くなってきていて、ヒトラーが「正気でない」とも見通している人物です。でもどこまでも軍人だから、命令には従うんですね。パリ市民がどんどん街の中を占拠していって、ドイツに占領されて以来初めて街中の教会の鐘が鳴るのを、この将軍が建物のなかで聞くシーンがあるんですが、彼は「我々の葬式の鐘だ」と言います。そんな人物です。フランス側も一枚岩ではないのが面白かったりするんですが、いちおう向かう方向は決まっているし、演出のトーンのせいか妙に牧歌的なところもあるので、複雑な感情を見せるのはドイツ側のキャラクターでした。
その「牧歌的」な部分……合間合間にとぼけた優雅さとユーモアのあるシーンが入って、独特なものを感じました。監督はルネ・クレマンですが、脚本にはフランシス・フォード・コッポラが参加してました。パートによりトーンの違いが感じられます。アンソニー・パーキンスのシーンなんか、泣けました…。(予想外にパリ行くことになった米軍兵役で、侵攻したあとレジスタンスに「ここは左岸?カルチェ・ラタンの近くだよね」と観光客みたいに聞きます。出番少ないけど泣けました)
ほかにもいいシーンがいっぱいあるんですが…レジスタンスがパリ市長を失脚させるシーンが面白かったです。市長が結婚式を執り行っていて(市長がこういうことするんでしょうか、あちらでは?)、そこにレジスタンスの集団が踏み込んで、その場であんたを市長からはずす、と言って退場させるんですが…当のカップルは市長のことより「結婚式はどうなる?」と聞くんです。すると踏み込んだレジスタンスのリーダーが「結婚式は続行です。おめでとう!」と自分が代わりをやる。カップルはニコニコして万事オッケー。このシーン好きです! (笑)
そのあとに、式を終えたこのカップルが車で通るのを、銃を構えたレジスタンスがニコニコしながら見送るところもありました。全体にフランスパートがこういう、戦闘状態と市民生活が奇妙に隣り合っているところから生まれるユーモアをすくい取っていて、アメリカパートが戦争そのものの悲惨なところや皮肉、ドイツパートでは板ばさみのやりきれない心情……いろんな側面を見られました。173分の長い映画で(気づかずに見ていたので「インターミッション」と出てびっくりして長さ確かめました(^^;))、でもまったく退屈しませんでした。随所に記録映像が使われていて、それと馴染みをよくするためか白黒。最後にそこも利用した演出。見応えありました。スクリーンで見てみたいなあ…。
そしてふと、アジアでは日本の立場は侵攻した側なんだよな、というのも思いました。こういうスタンスで映画で描くようなことはまだできない状況ですね。ヨーロッパだって、完全に乗り越えたわけじゃないんですよね。自分ら歴史のなかにいるなあ、と実感します。(ギリシャ危機の一連のニュースのなかで、高齢のギリシャの方は「ドイツに侵攻された」というイメージを今も持っていて、今現在のドイツへの感情に影響してるのを見て、つくづく思いました。アジアの今の状況だってあたりまえですね)
…一本で長くなっちゃったのでこの辺で。カズオ・イシグロさんの白熱教室もいろいろメモとったんですが、またあらためて。(今書いたところとちょっとつながる話をしてました☆)