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2014/02/15

異形の新生児と未熟な天才/ナショナル・シアター・ライヴ『フランケンシュタイン』(ベネさんヴィクターバージョン)感想

鑑賞してきました!日本上映が叶った『フランケンシュタイン』のライブビューイング!(イギリスの舞台を録画したものを映画館で上映。ライブビューイングはほんとに「ライブ」で中継するイベントもあるので紛らわしい言葉ですが、現行日本の映画館でやってる「ライブビューイング」は録画ものも多いので、なにか区別してほしいですね…録画はシアタービューイングとかどうでしょう?いかにも和製英語ですが…(笑))

演出がダニー・ボイルジョニー・リー・ミラー怪物ベネディクト・カンバーバッチが怪物を作ったヴィクター・フランケンシュタインを演じるバージョンです。(逆バージョンは来週鑑賞予定)
とりあえずメモとして感じたことを羅列してしまうので、原作との違いなどを中心にネタバレになることも書いてしまっています。逆にうろ覚えの部分もあります。そしてあふれた思いを編集してないので長いです!(笑)ご了承下さいませ!(^^;)


先にリンクを貼っておきますね。東宝シネマズの近場の上映館ページをちらっと見たところ、今日もまだ席に余裕があるようなので、ご都合のつく方にはホントにオススメです!

ナショナル・シアター・ライヴ 『フランケンシュタイン』 
(先行抽選の告知ページですが、実施劇場のリンクがあるので、そこから各劇場に飛ぶと現在の残席状況等調べられます)

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すごくよかったのでそちらに集中するため(笑)、まずは興業そのものについて改善してほしい、残念だった点を書き出してしまいます。ナショナル・シアター・ライヴ今後もいろいろ上映されるそうで、マーク・ゲイティス兄が出演した『コリオレイナス』(主演はトム・ヒドルストン。くっついてた宣伝映像で彼の短いインタビューも見られました。彼も好きな方にはボーナスだったのでは♪)も予定されてるそうですので、その頃には改善されてほしい。

・パンフレットがないこと
立派なバンフじゃなくても、せめてキャスト・スタッフ一覧と元の公演の日時・会場が書かれたチラシくらいは情報としてほしいところ。ペラのコピーでもいいからほしかったです。

※追記・こちらから元の公演パンフのPDFがダウンロードできるそうです!
Frankenstein

・字幕がない部分
イギリスで上映されたものをそのまま使っているらしく、本編前にたくさんCMが入ります。具体的にはこのあとのナショナル・シアター・ライヴの予定(つまり日本では見られないもの、すでに終わったもの)、ナショナル・シアターの物販やサイトなどの宣伝です。それらはすごく興味深くはありますが、上映前に一言説明がついているとよかったと思います。(本国での宣伝で、日本の観客に適応していないこと。ちょっと戸惑います。そして「本編字幕あるんだよね?」と一瞬不安になってしまう(^^;))

また、舞台が始まる前にリハーサル風景の写真が出ます。こちらのキャプションにも字幕がほしかった。まあぶっちゃけベネさんファンのための上映ではありますが(そこはもう、「博士バージョン」「怪物バージョン」という名称からもはっきりと(笑))、普通にイギリスの演劇が見たい人もいるでしょうし、ほかのキャストやスタッフへの興味は出て当然ですから…。

冒頭にリハーサルやインタビューが編集されたショートフィルムがつくのですが、これを紹介するプレゼンターの言葉も字幕がほしかったと思います。短いですが、演出のダニー・ボイルがロンドン五輪の演出を勤めた人物であることなど話しています。お芝居が始まる前の雰囲気作りの部分なので、ここも大事だと思います。


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前置き長くてスミマセン。では本編。物語は有名なものなので省きますね。ただ、一般に広まったイメージではフランケンシュタインはマッド・サイエンティストですが、原作ではそういう描かれ方ではなく神の領域を侵した若い科学者の苦悩、というイメージです。(それでタイトルは「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス」)それにいろんな要素が絡まりあっています。

冒頭が、写真でよく紹介されていた怪物誕生のシーン。伝統的なものと違って、羊膜を破って生まれてくるようなイメージです。すごく哺乳類!ジョニー・リー・ミラーの怪物はこれまた新鮮な解釈で、生まれ出るとイキのいい魚がビチビチはねてるような動きをします。きちんと歩けるようになるまでに、生まれたばかりの馬や鹿が立ち上がる感じなども取り入れてます。それでいてすごく激しい。死体の継ぎ合わせに電気をバーンと通した、というより、異形の新生児というイメージでした。

さっき書きましたショートフィルムで、主演の二人が怪物を演じる上で参考にしたものに言及していて、ミラーはたしか「二歳の息子も参考になった」と言っていたと思います。ベネさんはリハビリ訓練をする人を観察したそうで、いとおしさも感じたと言っていました。(「ナンタラといとおしさ」、だったんですが、もう一つが記憶から抜け落ちました。来週きちんと見てこよう☆)

ここからは想像ですが、もしかしたらミラー版とベネさん版の怪物はNew BornRebornみたいな対比が見られるかも…ぜんぜん違うかも知れませんが(^^;)、ちらと思った印象です。

ミラー版はほんとに「無垢な状態」から始まる、「動物」っぽい感じが強烈だったんです。配線がおかしくて痙攣してるような感じもあって、決してただの「新生児」ではないんですが…。ベネさんが参考にしたという「リハビリ」は、一度失った機能をもう一度身につける過程なので、もしかしてもっとぎこちなくて「元は死体」というイメージが前面に出るかも?(ということは、より伝統的な「フランケンシュタインの怪物」に近くなるのですが…)まあ来週わかることで、あまり考えるのも興ざめですのでこのへんでやめときます。(笑)とにかく楽しみです♪

おおまかな流れはたしかに原作通りですが、かなり大胆に変わっているところもありました。まず、原作の額縁構造がすっぱりはぎ取られています。原作は怪物を追って遭難しかけていたヴィクターを、北極探検中の船が救出するところから始まり、全体がこの探検隊を率いる青年の手紙という形式で、物語からワンクッションおいています。(「筆者が聞いた話」とか「発見された手記」とかいう形で物語に額縁を作る構造は、ドイルせんせもよくやってますが(笑)この時代の小説でよく見る気がする…流行ってたのかしらん?)そして原作のかなりの部分はヴィクターの側の苦悩なのですが、これも今回はスパッと切り落とされています。原作版のヴィクター「悩みまくって苦悩のあまり病気になってぶっ倒れて周りに迷惑かけて」、ということを繰り返しています(笑)。この変更からヴィクターのキャラが大きく変わっていて、ある意味原作の人物とは別物。これが全体の構造やテーマにつながっています。

原作の語り手の青年とヴィクターの関係はこれまた萌えがてんこ盛りなので、ベネさんのヴィクターでこの関係も見てみたかった!(笑)でも今回は怪物とヴィクターの関係にフォーカスしているので、なるほど適切な判断なのね…と思いました。

さて、演出のボイルがショートフィルムで説明している通り、舞台は怪物の視点から始まります。…正直に書きますと、冒頭は少々イライラしてまして…それで物語そのものに入り込むのに時間がかかってしまいました。本編前に関係ない邦画の予告編やら、見られないイギリスのライブビューイングの宣伝やら、字幕なしでたくさん見させられた余韻で(笑)。そのうえミラーの怪物の「新生児」なインパクトに戸惑いもあり、あっさりヴィクターの所から逃げ出すのでベネさんはちらりと姿を見せただけ。「うわーもっと見せて!」と気が散ってました(笑)。
怪物が初めて親切にされる盲目の老人のシークエンスに入って、やっと落ち着いて入り込めた感じです。

この老人から、怪物は言葉や「知的なもの」をいろいろと学ぶのですが…怪物があまりに早く言語を習得するのは原作でも違和感がありました。(笑)考えてみると習得ではなく思い出しているとも解釈できるんですよね。(たぶん大人の脳を移植してるんですから、元の人物の記憶があるほうが自然だと思うんですが…それをいうとこの物語は成り立ちませんので野暮はやめときましょう…(笑))でもミラー版は「習得」に見えました。過去はない感じです。あくまで「醜く作られた異形の新生児」の悲劇。そして西洋ではほんとに「知性=言語」なんだなあ…というのを感じました。

ベネさんは、事前に話題になってたのは怪物役のほうですが(たしかにこれの主役は怪物のほう)、個人的にはなんとくなくヴィクターのほうが似合いそうなイメージだったので、このバージョンもすごく楽しみにしてました。でもこのヴィクターはさきほど書いたとおり原作からキャラが変わっていて、愛情という感覚がわからない人になってます。(これは意外でしたが、でもよかったです♪)一方怪物のほうは、愛されたことがないのにそれをわかっています。(愛情は愛されたからお返しのように芽生える、というものではなく、能動的な感情だという主張も読みとれます。これも深いですね)自分と同類の女を作ってくれと頼み、それが完成間近になったときに、怪物とヴィクターのやりとりがあります。怪物はまだ生命を吹き込まれていない、美しい女の「怪物」を見て、彼女を愛していると言います。ここで原作にはない要素が出ます。

ヴィクターは、愛とはどんなものなのか怪物に聞くのです。怪物は「胸から精気が噴き出すようだ。なんでもできる気がする」と(うろ覚えですがこんな感じのことを)、すごく生き生きとした様子で言います。それを聞いたヴィクターは「そういうものなのか」と言うんです。この人は家族にも大事にされて、婚約者にも愛されていて、自分もそれなりに愛しているのですが、そういう感覚を味わったことがないんですね。(それに似たものは、まさに怪物を作り出す過程で味わっていたはず…うーんJUNEです!)そして口先では、自分が作ったクリーチャーが心を持ったのはたいしたことだ、と喜んで見せます。でも行動がそれを裏切ります。彼は作りかけた女の人造人間…「怪物」の妻になるもの…を切り刻んでしまうのです。これは原作通りではあるんですが、まったく意味が変わっています。

原作では、この二人が子孫を作り、もし凶暴なものが繁殖して人間を襲ったら…と考えて、そんなことはできない、という結論に至ります。これは今回のヴィクターも同じことを言いますが、それはたぶん口先だけ。本当の意味は怪物に対する嫉妬に見えます。自分には分からない「愛」というものを、自分が死体の寄せ集めで作った、たかが実験動物が会得している。それに対する嫉妬です。それを強調するように、やはり原作にはない、残酷なことをします。

怪物に、最後の仕上げをする間に「花嫁」に着せる服を選んでおけ、と言うのです。ケースに自分の婚約者エリザベスのドレスがあるから…というのですが、怪物が開けてみるとヴィクターの本などしか入っていません。その怪物の背後で、ヴィクターが怪物の「妻」を切り刻むシルエットが浮かび上がります。すごい脚色。原作のヴィクターは行き当たりばったりだったために(笑)結果として怪物を「裏切り」ますが、今回のヴィクターはわざわざ怪物の期待を煽ってから、それを意識的に、残酷に奪って見せます。その残酷さは、人間として未熟なところの発露。激しい嫉妬の発露に見えました。

原作のヴィクターも非常に未熟な部分があります。でもそれはうじうじと悩んで知恵熱を出す(笑)という方向にいってます。今回のヴィクターはそれが攻撃的な方向に出ていますね。原作にあった内省的な部分はなくなっています。「怪物」へのリアクションという形で、怪物に「影響」されている…これも原作にはほとんど感じなかった要素だと思います。怪物は醜さゆえに人間から迫害を受ける過程で残酷なことをしでかし、ヴィクターはその怪物の行動によって自分のなかの残酷性を触発されています。二人を鏡像のように描いたと冒頭のインタビューで言っていますが、それがよく出ていました。うまく言えないのですが、原作のヴィクターと怪物の関係が光と陰、天と地のような縦の鏡像だとしたら、今回の二人左右対称に見える鏡像です。

ラストは、ある意味ハッピーエンドの色を裏に持たせた形で終わります。北極まで怪物を追ってきて死んだ(ように見える)ヴィクターを抱えて、怪物はどんなに彼を憎んだか、そしてどんなに彼にこそ愛されたかったかを述懐します。そのあと、ヴィクターが息を吹き返します。

ヴィクターは怪物に対する奇妙な愛情を裏に充分含ませて、おまえは殺さなくてはならない、どこまでも追うから逃げていけと(これもうろ覚えですがだいたいこんな意味のことを)言います。ああ、これはもう告白です。怪物はたぶん、永遠に逃亡と追跡の関係を続けていたいでしょう。それが、怪物が「愛されたい」と望む創造主との間に取り得る唯一の関係です。ヴィクターが怪物を殺そうと追ってくれるかぎり、その関係は続きます。よく言われるとおり、愛の反対は憎しみではなく無関心、ですよね。

怪物は嬉々として歩きだし、そのあとをヴィクターが追っていく後ろ姿が、北極の吹雪の中に消えていくイメージで終わります。たぶんこのあとヴィクターが先に死ぬのでしょうが、そこまでは見せなくて。もしかしたら、ヴィクターが息を吹き返したところからは怪物の悲しい妄想なのでは…とさえ思えます。彼の描きうる最良の夢だとも思えます。

(原作でも、怪物がわざと自分を追わせるという描写があります。舞台はここまででちょんぎっている感じで、そのシーンの意味を強調して脚色していますね。原作のラストはもっと容赦のない悲劇で…正直好きです。(笑)怪物のヴィクターに対して愛を乞う気持ち、憎しみ、崇拝がない交ぜになった演説のような台詞があり、大好きなのですが、ここでのネタバレはやめておきます)

その他たくさん思ったことがあるのですが、きりがないのでとりあえずこの辺で。来週の逆バージョンではどうなるのか…ベネさんの怪物、ものすごく楽しみです!

個人的なメモ…昨夜は記録的な大雪だったので、行けるか、帰ってくこれるか心配でした。が、乱れた運行スケジュールが偶然サイワイし、ホームに着くとすぐ発車のようなタイミングばかりだったので、いつもより移動に時間がかからなかったくらいでした。横殴りの雪と幻想的な雪景色のなかを歩けて、舞台ラストの北極のイメージが重なり、夢見心地で(?)帰ってきました。いい思い出になりそうです☆(笑)


参考にしたフランケンシュタイン原作邦訳(他にも出ています)。kindle版もあります。