個人的にはノンケJUNEと呼ぶジャンルですが、画面から受ける印象は…少なくとも「微ほも」以上の濃厚さ。たぶんその手の趣味の方には定番の一本なんではと思います。
お話は、外人部隊所属でマルセイユに帰還したチャールズ・ブロンソンが、同じく帰還したアラン・ドロン(軍医。あれっ「元軍医」?)を次の「仕事」に誘い、手ひどく断られたものの偶然の再会でまた付きまとい、はては一緒に金庫に閉じ込められてなんだかんだというもの。(女がらみ丸ごとすっ飛ばしました。雑ですいません(笑))
冒頭からもう、ブロンソンがドロンをナンパしてるとしか見えない。帰投した波止場で一目惚れです。いやーもう、あんだけの美形なんだからBLならたしかに理屈なんかいらない。(表向きの理由はここでは無視)ドロンがクチつけて飲んでるボトルを奪って、下腹に立てて持つメタファ表現もあまりにあからさまでスバラシイ。執着、殴り合い、駆け引き、上半身裸でテラテラと汗ばみつつ密室に二人…わかりやすく言うとBLからラブシーンだけ削除したような。(しつれい!でも本当にそうとしか見えない!(^^;))
ほかに出てくるおねいちゃんたちも百合くさく、いろいろがんばった作品のようです。ブロンソンがなにかと「イエー」を連発するのがノドに小骨がひっかかるようなこしょばゆさ。うーんマンダム。時代感ですねえ。こうでなくちゃ。当時はこれかっこよかったんですよね❤
それにしても、ドロンとブロンソン、タイプの違う二人のセクシー俳優をあんなふうに「鑑賞」する「ためだけ」に撮られたような映画。そのきっぱりした志や良し。幕切れのドロンのアップと一言にもひっくり返りました。いや、この路線ならやっぱこれくらいしないとね。脱帽です。
もちろんストーリーはありますし、当時の基準で「スタイリッシュ」なところとかもあるんですが、あえてすっ飛ばして書かせていただきました。まったく違う視点で書くこともできるとは思いますがもう、画面の「ほもくささ」に幻惑されてしまって。(正確に言うと、キャラ二人がほもというより、撮り方の姿勢がほも(笑))それと、「こういうショットやシチュエーションが撮りたい」が先にあってできてるように見えるんですね、うん。いいんですよね。それで。
…若い頃のアラン・ドロンは、「とにかくこの人を美しく撮る」だけが目的みたいな映画もあるんですが、それはそれでOKだと思います。いや、私なんぞがOKだろうがNOだろうがどうでもいいんですが。(笑) なんか最近、「美しい」だけ、「萌える」だけ、というものにも価値はある、と思うようになってきました。どこで読んだか忘れましたが、「現実逃避できる作品には価値がある」という言葉を読んで、ああ、本当にそうだ、とつくづく思うようになりまして。人間丸くなったかな…。(笑)
「表向きの」ラインとしては、角つき合わせてる二人がつんとしたまま互いをかばうというのが萌えどころ。…「萌え」と今では一言で言ってしまえますが、それは腐女子文化がこういうものを萌え対象として消化してきたからで、当時は「クールな男の友情」という切り口だったろうし、「萌え」にあたる感覚を表現する言葉はなかったんですよね。でも二人の男優のエロティシズムを見せるのが目的の1つであるのは確かで、根がそこで同じだとすると、「JUNEは同性愛でなくてもまったくかまわない」という、今さらですが明確な定義にたどり着くわけです。今われわれ腐女子が「ほも」と言ってるのは、多くの場合リアルな同性愛だけでなく、そこまで入れた広義の「ほも」、ファンタシーとしての「ほも」ですよね。(以上我田引水(笑))
とにかく、腐女子さんにはツッコミいれつつもホントに楽しめる1本だと思います。ラストの「タバコ」のシーンは有名らしく、ここは真面目にきゅんときますよ。イエー☆(←赤面しつつ(^-^*) )
※2024/8/19追記:プロフィールは当時コピペした文章ですが、実際は「父を亡くし」ではなく離婚だそうですね。コピペ元もその後訂正されているようです☆